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忘れたくない日々の掌編

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記事一覧

手紙

先生が満面の笑顔で取り出した手紙は角が折れていた。私は彼女の顔をまじまじと見つめてから、わざと折れた角側から受け取った。
あとで読んで。そう言って彼女はグランビルストリートを南に歩き出す。
 私には自信があって、背中を数秒確認したあとすぐに手紙を開いた。
「あなたの意見はいつも優れていたわ。私の授業を受けてくれてありがとう。 マヤ」
 便箋のどこから使って書き出せばいいか考える必要のない、汚くて短

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Shadows

彼女は街灯の下で追いかけっこをしている。一番長い影を探しながら思い出す、たくさんのあの時のこと。それはやがてダンスに変わる。満足は、オレンジ色のミラーボールが照らしてくれる。やりきれなさは、これからの約束にする。ひとりでもひとりじゃないって、とっくに知っているから彼女は笑う。夜風がダンスを続ける彼女の手を取って、道の真ん中へ連れて行く。角を曲がる車のライトに一瞬照らされ、彼女と影は向かい合わせ。こ

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世界のどっかで勝手に幸あれ

──今年はどんな年だった?
 次々と光に沈んでいく水鳥たちに、細めた目が奪われる。カモの群れは列をなして夕陽の前を横切って、白鳥は浅瀬に浮かぶ岩の上で優雅に羽を震わせている。この光景をどうにかして明日にも残せないかと思案して、明日またここにくればじゃないかと自嘲する。それでもやっぱり、この光は今日だけのものな気がして、携帯のシャッターを切るけれど、スクリーンにはこの目で残したいと思ったもの以外が写

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もぬけ

 散乱したキッチンで、マリアンはひとつため息をついた。会話を邪魔しない程度に鳴っていたクリスマスナンバーが虚しく響き、空いたビール瓶、飲みかけのワイングラス、油まみれの平皿と、保存するには少ない量のラザニアがまだ香りだけを残し、部屋を満たしていて、今日のディナーのために用意したターキーは脂身の少ないテンダーロインの部分だけがしっかり残っている。
 これをすべてひとりで片付けるには、骨が折れる。今更

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Q.E.D.

 思い出せることはいくつもある。感情のままに書き連ねることだってできる。けど、僕はしない。なぜなら、いわゆるそういう本能的な行動が君にとっては獣に見えるってことを知っているから。君はもっと論理的に──例えば数学の証明問題に取り組むみたいに──君の価値を言葉にして欲しいと思っているはずだ。たとえ君の頭が良くなくても、君はそうして欲しいと心底では思っている。それは僕も同じで、だってそうじゃなかったら、

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無血戦争

 いよいよ、戦争が始まる。僕はソファに背もたれながら、テレビのチャンネルを国営放送に切り替える。ライブ中継先である自国の西端、ポンパドゥ島は暗く、人の気配はない。音声はまだこちらに届いていないようだ。
 期待と興奮を削がれた脱力感に、僕は見舞われる。視線をテレビから、スマホに写し、オンライン仮想空間【AndU】を覗くと、世界トレンドに勝者予想のハッシュタグが昇っている。大方の予想では、どうやら国土

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ダイソンの扇風機

 きみの顔があると、私の視線は意識よりも深い場所から出たサインによって一瞬で定まった。いつぶりかわからないきみの顔は、そこにある画像がすべてを語っているはずなのにだんだんと自分の脳内で再構築されていく。わずかな時間で、その画像は画面から消えた。私の指は、それからしばらく動かなくなった。
 それが、うずくからだを抑えているのだ、とわかったのはまばたきをしたからだった。少しでも動いたらめちゃくちゃにな

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オール電化

「えー前線。スリートップは左から小島、山田、野島でいく。小島と野島はどんどん裏に抜けろ。山田はくさびになって、左右に散らしてゴール前で待て」
 スタメンを発表する監督は真面目な顔を崩さない。マネージャーである高崎さんの顔も笑っていない。ベンチメンバーたちの顔も強張っている。それどころではないのだ。全国が掛かっている。
「よし、絶対勝つぞ。勝って、歴史を塗り替える。全国へ行こう!」
 声高らかにキャ

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おソロいのふたり

 隣に座ったのは、女性ひとりだった。
 すぐに彼女はランチの食べ放題メニューを選び、烏龍茶を頼んだ。私はちらりと横目で気にしながら、口にカルビを運ぶ。テーブルにはすでに平らげられたタンの空皿と、さらに大して分量が多くないホルモンとハラミ、それにサンチュとナムル、食べかけのチョレギサラダとカルピスが並べられていて、丸い皿と四角いテーブルが合わさったこれは何かの数学の問題みたいだと思った。
 焦げた匂

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自分らしさは更新できる

 サヤカはいつも遅れてやってくる。都心から少し離れた駅前は家路を急ぐ人たちの雑踏で混み合っている。サヤカが遅れてくるのはみんな知っているので集合時間には来ない。みんな集合時間より遅くて、サヤカよりも早い。店は予約してあるけど、みんなには嘘の時間を伝えている。これも、サヤカ対策。だいたい遅くても20分以内にはやってくる。慣れたものだ。
「ごめんごめん」
と、サヤカがやってきて「おせえよ」なんて言って

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エゴ

 東京オリンピックについて、競泳日本代表である私から今の気持ちを率直に、普段から応援してくださる皆様には直接ここで伝えたいと思います。結論から申し上げますと東京オリンピックは、開催してほしくないし、開催して欲しいです。
 もっと詳細に言いますと、一国民としては開催してほしくはないけれど、一アスリートとしては開催して欲しいということです。
 私は選手として、日本代表として、力の限り泳ぐつもりです。で

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人様に迷惑をかけるな

 わたしの不満と孤独は、遠くにいる姉がしたためた便箋で真ん中が膨張している七インチサイズの缶々が物語っている。たいていは、送った時点で満足している。手紙なんて、すぐには返ってこないから。
 今よりも子どもだった頃、「人様に迷惑をかけるな」と父はよく言った。公園の砂場で遊んでいて、友達のお人形を砂だらけにしたとき。合唱コンクール直前に声が出なくなったとき。好きだった先輩につられて万引きしたとき。ほか

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小4

 小学四年生は九歳か十歳です。
 主におならとうんことちんこで会話ができています。やっと慣れた給食中におならをして、わざと先生に怒られます。うんこという言葉は好きですが、教室の隣のトイレではうんこはできないのでどうしても行きたくなったら職員室の近くのトイレに行きます。うんこよりもおならのほうが、簡単にできます。
 担任が男の先生じゃなくて安心しています。大人の男のことが怖いですが、平気なフリをしま

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バイバイを言うとちょっと死ぬ

 メガネかけたことある? ないなら想像して。
 0時になって、外に出るの。あたりは真っ暗。でもきみが想像する田舎よりも、1つ都会かな。コンビニの駐車場は、フットサルコートよりも広いけど家からは徒歩5分。駅は無人じゃないけど、30分に1本。
 高校のときから着ているジャージは、お腹周りが苦しいけどこれしかない。メガネをかけながら走るとね、視界に入る世界はまるでVRみたいに思える。少ない外灯は私のため

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