ワールドカップを観ていて、中学生の頃を思い出した。

 今朝は明け方に目が覚めてしまったので、ネットでフランス対モロッコの試合を観ていた。サッカーのワールドカップと聞いて、急に中学生の時の事を思い出してしまった。

 遡ること20年前、ワールドカップの日韓大会が開催された年。
 ちょうど中学生でサッカー部だったので、よく覚えている。部活が終わった後に顧問の先生が会議室にテレビを持ち込んで(影響力の強い先生だったので、部活動に有意義だ、などと言ったのではないかと推測される)スポーツ系の部活の選手一同で一緒に試合を観戦したりした。同級生の中には決勝戦の行われた横浜まで行った奴も現れた。

 実は別にすごく積極的にサッカーをやりたかったわけではなく、1年生の時に所属していた演劇部をやめてふらふらしていたらサッカー部に誘われて入ったという経緯で、熱心にサッカーをやりたくて入部したというわけではない。帰宅部というのが許される空気ではなかったし、半ば仕方なくではあった。よかった点としては、体力がついたとか、サッカーがある程度わかるようになったという事だろうか。顧問の先生がすごくちゃんとした先生だったので理不尽なしごきなどもなかったし、部員同士のいじめなどもなかった。健全でやんちゃなサッカー少年の集団、といった感じだっただろうか。自由に帰宅部をさせてもらっていたら、と考える事もなくはないけど、あれでよかったのではとも思う。

 体もそこそこ動くので試合に出させてもらうこともあり、まずまずの活躍をすることもできたのだけど、大きな悩みがあった。それは、

「チームプレイができない」事だった。

 足が左利きなので最初は左サイドハーフで試合に出されていたのですが、わかる人はわかると思いますが、このポジションは守備も攻撃もどちらもやらねばならないし、体力も技術もいる。まったくなじむことができなかった。試合に出るのは楽しかったし、やるからにはうまくやりたいと思ってはいたけど、かといって努力をしたわけでもなかったので、だんだん左サイドでは試合に出されなくなった。代わりに前線、いわゆるフォワードで起用されることが増えた。
 このフォワードというポジションが自分には合っていた。点を取ればいいだけだし、オフサイドもなんとか理解できた。背は高くないけど裏を取ったり飛び出すのも多少はできたし、ディフェンスとの駆け引きというのもよく理解できていなかったけど、やる事は単純なのでなんとか務まった。 
 ただ、なじめてはいたけど問題がなかったわけではない。当時はボールを持つことがいかに大事な事かそもそも理解できていなかった気がするのと、攻撃的なポジションの選手といえどボールを奪われたら守備をしないといけない。何度「守備をしろ」と怒られたかわからない。それだけはつらかった。
 今なら、攻撃的なポジションの選手が守備をする必要は、ある程度はわかるけれど、未だに本当の意味ではわかっていないかもしれない。申し訳なくは思っているし、せっかく奪ったボールを無碍に扱ってしまった事もあった。今ならそのあたりをもう少し理解してサッカーをプレーすることができるかな、と考えたりする。

 結局3年生の夏に引退するまで部活は続けられた。別にやる気があったわけでないので続くか心配だったけど、周りの環境に恵まれていたのもあったと思う。運動をやるのに最低限の体力があった事も幸いした。とにかく腹が減るので、大きいアルミの弁当箱(いわゆる「ドカ弁」というやつ)を持って登校していた。それをガツガツ食べて勉学や部活に励む、ジャンボリーな中学生活だった。

 というような事を思い出した。今や30代になってしまいましたが、そんな時があったのだなぁ……

 

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