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読むに値する記事の話

強烈なタイトル。批判的とも捉えられるこの言葉を誤解を恐れずに書いていきたい。

一言で、その答えとは「限りなく少ない」。

これは質問の文脈や答えの含みを無視した言葉になってしまう。
真意を伝える為に、物語仕立てで書いていこうと思う。

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道を極めんとする弟子がいた。弟子は師匠である山奥に住む仙人に聞いた。

弟子「師匠、なぜ山奥に住んでいるのに街の事を詳しく知っているのですか?なぜ昔住んでいた時の情報で止まっていないのですか?」

師匠「弟子よ、それは超一流のベテランシェフに『なぜレシピを見なくて料理が出来るのですか?』と聞いているのと同じことよぞ」

弟子「それは当たり前の話じゃないですか。ベテランシェフは数え切れない程料理をして、体が覚えているからでしょう?」

師匠「半分正解じゃ」

弟子「それ以外に半分もあるのですか?」

師匠「だから、お主にはそういう質問が疑問として頭に浮かんでしまうのだ。では逆に問おう。お主はどうやってこの山奥まで来た?」

弟子「どうもこうももう何十回と来ているこの家への道は覚えています。地図を見なくても来れるという意味ではレシピを見ずに作るシェフと同じです」

師匠「じゃから、わからないんじゃ。では聞き方を変えよう。なぜ来た?」

弟子「師匠に最初の質問をする為に来たのです」

師匠「残りの半分の答えがそれじゃ。わしにはそれがわかる。お主が来た時、質問があります、とお主の顔には書いてあった。それが、わしが街で何が起きているかわかる半分である」

弟子「動機や目的が大事ということですか?」

師匠「そうじゃ。だが、それそれで半分じゃ。お主への今の質問はあくまでも個人的な質問じゃ。最初の質問、街の事になると集団や社会の話になる。残り半分の応用が必要じゃな」

弟子「街の動機・目的を誰が持っているか、という事ですね?」

師匠「ようやく見えてきたな」

弟子「街の作り方のレシピを知れば、レシピを見なくても料理が作れる。つまり街に行かなくても街で何が起きているかがわかる。という事ですね?」

師匠「そうじゃ。わしは街のレシピを知っておる」

弟子「では教えてください。街のレシピはどこにありますか?それは本ですよね?どンな本を読めばいいのですかね?」

師匠「読むに値する本を探しなさい。わしが教えてもいいが、それではお主はわしの料理しかできない料理人となってしまう」

弟子「わかりました。では本の選び方だけでも教えてもらえませんか?」

師匠「本には大きく2種類ある。読むに値する本と値しない本と。違いはわかるか?」

弟子「読むに値するのは、そのレシピを考案したもので、値しないものはその評論したもの、という事ですか?」

師匠「このままでは探せぬな。ヒントを与えよう。『本質』じゃ。『本質』の話をしているのが値する本で、『本質』以外の話をしているのが値しない本じゃ」

弟子「『本質』・・・。」

弟子「街の本質が書いてある本という事ですね?」

師匠「そうじゃ。地図に本質が書いてあるか?レシピ本に本質が書いてあるか?こうやって本を分類していけば自ずと読むべき本や値する本が見えてくる」

師匠「街とはどういう本質から出来上がったのだ?」

弟子「なるほど、少し分かりました」

ひらめきを得た子供が宝探しに行くように、弟子は街へ降りていく準備を始めた。

師匠「馬鹿者。何もわかっておらん。そんな本が本屋にでもあると思うたか!街が出来た本質は出来上がった街ではもう探すことが困難になっておる。お主が向かうのはこっちだ。これから街が出来上がるこの山の反対側へ行け」

と言うと、師匠は反対側の未開の地を指差し、荷物をそっち側の崖へと放り投げた。

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本屋には大量の本が。ネットには大量の記事がアップされている。その中で『本質』の話をしているものはどれだけあるだろう?

つまるところ、『本質』は人の『本質』になってくる。そこへたどり着いた人間がこれまで何人いたのだろう?それが「限りなく少ない」とことだ。

その本を、記事を探すことがこの答えになるのかもしれない。現状思い当たる本や記事はかなり少ない。それを紹介していくシリーズを始めようと思う。

ちなみにこの話の元ネタは『アナスタシア』というロシアの本である。まずは、そのアナスタシアから始めたいと思う。

読む本を探している、これから何を読めばいいか?という想いの人はぜひ『アナスタシア』をオススメする。

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