見出し画像

【第37話】キッシュが冷たくなるまえに

「おまたせしました、コーヒーです」
 ウエイターが頼んであったコーヒーを持ってきた。凪人との会話が攻撃的になりはじめると、彼はいいタイミングでやってくる。それを意図してやっているのなどうかはわからないが、何度か続いているので意図的なのだろう。ファウルで削り倒されて熱くなったフォワードとディフェンスの間にスッとはいって、両プレイヤーを落ち着かせ、なるべくイエローカードを出させずに荒れそうな試合を上手くコントロールしているサッカーの審判のように見える。わがままで独善的な凪人には、こういうふうに影でコントロールできる右腕が絶対に必要だ。それを喜んでやっているのかどうなのかはわからないが、あまりストレスを溜めずにつかず離れずの距離を取って、自分をすり減らしたりしないでね心から思う。

 「やっぱり海外で生活するって大変でなんですかね?あくまでも乙女が思い描く夢レベルの話なんですが、いつかはボルドーとかブルゴーニュに行ってワイン造りなんかやってみたいって憧れがありますけど・・・」
 はるかさんはそう言ってコーヒーカップに砂糖とミルクを入れてぐるぐるとかき回している。僕もブラックのまま熱いコーヒーを一口すすると、香ばしい香りが鼻腔をぬけていく。大きく息を吐いて新しいフレッシュな空気を吸い込むと、あの大変だったパリ時代の空気が今の日本の空気に入れ替わったようで、熱くなりはじめた感情がちょっと落ち着いて、冷静になってきた。
 「ま、ワーホリで一年だけでもやってみればいいんじゃないかな?
ワイナリーの求人まではわからないけど、日本人でフランスでワインを作っている人も何人かいるからなんとかなるんじゃない?」
 凪人はそういってはるかさんに微笑んで、振り返って僕を見た。
 「翔太、お前、カフェの料理顧問みたいなことをするんだろ?俺達はまたライバル関係になるんだな?楽しみだなぁ・・・」
 そう言って凪人は不敵な笑みを浮かべた。
 「カフェとレストランじゃ出す料理もちがうし、売上がどれだけ上がったとか下がったとか簡単に比較はできないことは多いけど・・・。今晩食べた俺の料理も、お前は料理人と客の目線両方で評価してるだろ?単に美味しいとか、高価な食材を使ってるとか、そんなことじゃなくて、なんて言えばいいんだろう・・・」
 凪人は眉間に皺をよせて黙りこくってしまった。天井を見上げて、言葉にならない思いを絞り出そうとして、組んだ腕の右手の一指し指が上下にタップし続けている。しばしの沈黙の後、静かに凪人は語りだした。
 「俺がやっているような、どこどこ産のなになにがどうだみたいな、食材や調理方法にやたら修飾語を乗っけて、本質よりも付加価値のほうが大きいみたいな事をお前が野暮ったいと思っているのはよくわかる。お前、昔からそういうの大嫌いだったからな。正直言って、今晩お前がそういう視線で俺のことを見ているは凄い感じていた。お客様の中で、調理方法や食材の事を知っていて、そういう情報を処理してわかったようになっている自称グルメが大体2割くらいいる。そういう人達はだいたい洋物コンプレックスが強くて、上昇志向が強めで、ずっと情報処理ばっかりしている。ま、正直そういう人なんて味覚なんてたいしたことないから、教養の一つとしての料理という大義があると、勝手に処理する情報を探してきて処理して満足している。時折、こちらからマニアックな情報与え続けていれば、それを一所懸命に処理して、わかった気になって大体満足する。情報処理をするのが目的になってるからな。ほとんど自己啓発本に群がるカモ読者と精神構造が同じだな」

 横目ではるかさんと美穂をチラ見すると、引きつった表情で凪人の話を聞いている。凪人は不敵な表情を崩さず身振り手振りが大きくなって、また話をし始めた。

 「あとの8割はいわゆる普通のお客さんだ。そんなにワインも料理も食材もくわしくない。誕生日とか結婚記念日なんかに利用していただいてる。フレンチという言葉の響きに、ファッショナブルさとか、ゴージャスさとか、非日常を思い浮かべて利用してくれる層だ。俺達がパリで作っていた料理とは同じものを作ってだしても、ここでは受け取られ方がまったくちがう。ほとんどファッションのように料理を消費している。俺達が作った料理が、教養とファッションという名の元に消費されてるんだ。「お洒落な料理」とか料理人が真面目に言ってるときがあって、ほんと面白くて笑えるよな」
 凪人は銀髪をかき上げて高笑いをすると、顔を僕の目の前まで近づけてニヤリと笑った。
 「で、一番めんどくさいのがお前みたいなタイプだ。料理ができる。現地で生活経験があり、人の洋物コンプレックスをつついてどんだけこちらがキラキラそうに見える付加価値をつけたり、意味がないのに意味ありげなストーリーをつけて料理を提供しても、ほぼほぼ無視して「はいはい」とこちらを見下して笑ってる。こういう奴は1パーセントくらいはいるな。俺は料理人だが、洋物コンプレックスとファッションと虚栄心を煽って商売している自覚がちゃんとあるので、そういう奴の視線に凄く敏感なんだよ」
 凪人は一気にしゃべり終えて「ふぅっ」とため息をついた。
 「いや、別に笑っちゃいないけど、野暮ったいことやってるなとは思ったよ。ありがたがらせる料理人側と、ありがたがって食べてる客が「プレイ」をやってるように見えてアホクサイと思ってこの業界を去ったんだ。ありがたがらせる役と、ありがたがる役をレストランという非日常的空間でお互い演じてるのがもう恥ずかしいんだ。もう関係ないから誰が誰とプレイしようが僕には関係ない。最近では、あぁプレイやってんなと思って無視してやり過ごせるようになったけどね。料理はすごく美味しかったけど」
 僕は素直にそう言って、冷めたコーヒーをゴクリと飲んだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?