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【第40話】キッシュが冷たくなるまえに

 音楽が一瞬途切れと、グリルの中からバチバチとサンマの油が弾ける音が聞こえる。ガラス越しに見えるサンマはグリル上部からのバーナーの火で焼かれて、オレンジ色に照らされている。そろそろひっくり返して逆面を焼く頃あいだ。
 「父さん、そろそろ焼き魚用の皿を出してよ。長いやつね」
 そういうと人也は食器棚から長い焼き魚用の皿を三つ取り出してテーブルの上に置いた。ざらっとした岩のような手触りの美濃焼の皿で、細長く、頭つきのサンマがまるまる乗せられる大きさだ。美穂用の淡い肌色、僕と父用の黒があり、確かデパートのワゴンセールで父さんが買ってきたはずで、ここ十年は使っている。グリルからトレイを引き出すと、バチバチとサンマが焼ける音がダイレクトに飛んでくる。銀色と青のサンマの表面には焼け焦げがついていて、サンマが乗っている網の下を覗くと、煙防止のために張られた水の表面には、サンマの油が浮いて虹色になっている。このサンマ、油が乗り切っていて、絶対に美味しいに違いない。生唾をゴクリと飲み込んで、サンマをひっくり返してグリルの扉を閉めた。
 「このサンマ、油の乗り方が半端じゃないね、こんな大きさのサンマ見たことないよ。どこで手に入れたの?」
 「もらいもの。はるかさんって子から頂いた。昨夜のお礼だそうだ」美濃焼の皿に大根おろしを盛り付けながら父さんはそう言ってニヤリと笑った。
 「いやぁ、庭で水まきをしていたらホンダのPCXが凄いスピードで坂道を登ってきたんだわ。ブレーキを使って90度ターンをかまして玄関前で駐車したと思ったら女性でビックリ。スクーターから降りると、長身のモデルのような体形で、ヘルメットを脱いで、髪をこうかき上げる仕草をして俺に向かって歩いてくるんだわ。目の前の来たら、はにかんで俺に向かって微笑んで・・・。まるでスローモーションのようで、陳腐な言葉だけど映画のワンシーンを見てるようだったわ。ミカさんのカフェで働いてるはるかといいます。昨夜は娘さんと息子さんにお世話になりました。これ、もらいものですがよかったら食べてくださいってこのサンマを渡されたんだよ。いやぁ、ブレーキターンでの駐車で降りてきたのが美女。その落差が凄い。いいもの見させてもらったわ」
 人也は一気に語ってグラスのビールをゴクリと飲み干した。まぁ、父さんの興奮も無理はない。あんな美女がバイクに乗って、ブレーキターンをかまして、ヘルメットを脱いで微笑んでくれたりしたら、誰だって目がハートになる。
 「で、キッチンに上がってもらって、アイスコーヒーを出して、しばしバイク談義で盛り上がってさ。国道からこの家までのワインディングは気持ちですねとか、どんなところにツーリング行ったのだとか、バイクどんなの欲しいとか、もちろんワインの話とかいろいろしゃべってた。彼女大型2輪の免許を持ってるらしいぜ、すごいなぁ。で、サンマ大丈夫か?」
 あわててグリルの中をのぞくと、ちょうどいい焼け具合だった。焼きあがった大きなサンマは、まだ身の内部の油の部分がジュッと音をたてている。大きなサンマなので、持ち上げると胴体の真ん中から折れてしまうと思ったので、トングで注意深くもち上げて、そっと皿の上に置いた。そして三本の大きいサンマはついに食卓に並んだ。
 「うわぁ、ほんとに美味しそう。まだ音が鳴ってる」
 眺めていたスマホをテーブルに置いて、美穂はサンマを覗き込んでいる。父さんは戸棚からご飯茶碗を取り出して、炊き込みご飯をよそっているので、僕はみそ汁をお椀によそい始めた。
 「今日の炊き込みご飯は、豚小間とブナシメジとえのきは先に炒めてみたんだ。そのほうが味にコクがでて美味しいらしい。ほら、洋物のスープなんかでさ、野菜や肉を炒めたコゲの部分が出汁の代わりになるじゃん。もちろん昆布を使ってるんだけど、昆布と肉でグルタミン酸とイノシン酸は入ってる。醤油にナトリウムは入ってるので旨味は保証されてる。それにあと何か付け足してさらに旨くしたかったんだ」
 父さんは熱っぽくそう語りながらご飯茶碗を美穂に渡している。さんまを焼いていたので香りは漂ってこないが。確かに鶏肉じゃなく豚小間で、キノコ類が炒めてあるなら、こってり感のある炊き込みご飯になりそうだ。僕もみそ汁を三人分よそい終わって着席した。
 「今晩は日本酒だな」
 父さんの瞳がキラリと輝いた。
 


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