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ドラマ「silent」を見てギョッとしたこと

「優生」のネーミングの是非

巷で話題の木曜ドラマ「silent」 第9話が12/8に放映された。

 その中で、ギョッとしたのは、佐倉 想(さくら・そう)の姉で、現在は結婚して実家を離れている井草 華(いぐさ・はな)が、今は2歳の息子・優生(ゆうき)を連れて、実家に顔を出しているシーンだ。

 音声だと「ゆうき」なので多くの人は気づかなかったと思うが、字幕だと、「優生」という言葉が出てきたのだ。ここになんとも言えない気持ち悪さを感じた。

字幕では「優生(ゆうき)の話し声」と表示されている

 ちなみに断っておくが、一般的に存在する「優生」の名前そのものではなく、「silent」というドラマの話の流れ(きこえないことを避けるかのような流れ)で出てくる「優生」の方を問題視しているのだ。それぞれの親の想いから付けた「優生」という名前、および「優生」という文字付く名前は、本記事の対象外である。

 華は、息子を出産するにあたって、きこえない想の存在が結婚相手の家族からよく思われなかったことをにおわせる発言があったり、新生児聴覚スクリーニング検査というきこえるかどうかを調べる検査で息子がきこえると分かって安堵したりと、色々な葛藤がある様子を演じていた。

 華は、妊娠中に、母 律子に対して「まだちゃんと言えてないんだよね」「向こうの親に、想のこと」と切り出す。
 義理の両親は想が耳が聞こえないことは知っているが、病気で聴力を失ったことは言っていないとして、
「遺伝性ってさ、お母さんの子供が耳聞こえないってことはさ、私の子もありえるってことだよね」「どうすればいいの?もし同じ病気だったら」
と問いかける。

引用:セリフ部分はテレビ放映を元に筆者が書き起こし

後日、出産を終えた華の病室に律子が見舞いに来る。華は生まれたばかりの子どもの検査結果を待っていた。病室に医師が入ってきて、検査結果を伝える。
「検査終わりました。井草さんの赤ちゃん、大丈夫でしたよ」
「聞こえてる?」と華は泣くのをこらえて返事をする。
「はい、聞こえてます」
それを聞いて、華は安堵して泣いた。

引用:セリフ部分はテレビ放映を元に筆者が書き起こし

 その結果、産まれてきた息子につけた名前「優生」の「優」は「やさしい」の他に「すぐれている」という意味がある。そして、「優生(ゆうせい)」というのは、良質の遺伝形質を保つようにするという意味があり、命の選別につながる言葉だ。

 繰り返しになるが、「優生」の名前自体ではなく、この番組のこの流れで出てくる「優生」に、前出のように選別を想起せざるを得ない。そういう描写に違和感を覚える。

 ちなみに「優生(ゆうせい)」は、1996年まで障害者の強制不妊手術を強要していた旧優生保護法(※)という法律の根幹となった「優生思想」を想起する。私はきこえない当事者として、旧優生保護法の被害者をさまざまな形で支援する立場でもあるため、どうしてもそのように思わざるを得ない。

※ 旧優生保護法とは、障害のない人を優れている、障害を持つ人を劣るとみなして、障害のある人が増えないように、障害を持つ人には強制的に不妊手術をして子孫を増やさないようにすることを合法としていた法律。1996年の法改正で優生思想に基づく部分は障害者差別であるとして削除された。

 現在も旧優生保護法の被害者が全国各地で国を相手に損害賠償訴訟の裁判を起こしており、まだ未解決の状況が続いている。
詳細は、以下のWebサイトを参照ください。

「silent」の脚本を手がけた脚本家の生方美久さんは群馬大学医学部保健学科を卒業され、看護師・助産師として働いた経験がある。その中で、「出生前診断」や「新生児聴覚スクリーニング検査」についての知識は当然持っており、それがドラマの中にもでてきている。そして、その関連事項として、「優生思想」についても学んでいるのではないだろうか。

意図しない形の抑圧

 「考えすぎ」「気にしすぎ」「深読みしすぎ」とか思う人も中にはいるかもしれない。でも、このネーミングを字幕を通してみて、当事者や当事者の家族など不快に思った方はたくさんいる。事実、TwitterのTLにもそのような発言がたくさんみられた。その一部を抜粋する。

 すくなくとも、このネーミングは「意図しない形の抑圧」である「マイクロアグレッション」に相当する。「マイクロアグレッション」とは、「相手を差別したり、傷つけたりする意図はないのに、相手を傷つけたり、嫌な気持ちにさせること」だ。

 マイクロアグレッションについては、以下の記事を読んでいただけるとどんなものかイメージが掴めるかと思う。リンクされている動画は秀逸なので、この動画を見るだけでもおおよそのことは理解いただけるかと思う。

メディアが留意すべきポイント

アメリカのろう団体National Association of the Deaf(NAD)は【ろう者コミュニティに関するメディアの表現に関するガイドライン】を出して、いくつか注意喚起しており、重要な示唆がいくつかある。その一部を抜粋する。

(仮訳) メディアが描く聴覚障害者や聴覚障害者コミュニティは、医学的病理や聴覚障害者であることを「修正」または「治癒」する必要性に焦点を当てるのではなく、彼らの文化的差異を認識する必要がある。多くの聴覚障害者は、技術や治療によって「治す」必要があるとは思っていない。

メディアの専門家が聴覚障害者やコミュニティに関わる記事を書く場合、その記事が医学、法律、社会、文化、その他の観点に基づいているかどうかに関わらず、聴覚障害者コミュニティのメンバーの生の声を含めるよう注意しなければならない。

引用:Guidelines for Media Portrayal of the Deaf Community

 「silent」制作にあたって、聴覚障害や手話をテーマとする際、当事者(ろう者・難聴者・家族などの関係者)へのヒアリングやシナリオ確認を実施し、また、さまざまな当事者団体の方が監修されているようだが、こういったセンシティブな部分に対する意見が反映されなかった可能性が高い。

 多くの当事者の文化的差異に配慮して、抑圧を感じるような誤解を招く表現は避けるべきではなかったか。あるいは、「優生」という名前を出すなら出すで、「優生思想」の背景(今の世の中はなくしていきましょうという方向に進んでいる)ことの言及も欲しいところである。

 放送倫理・番組向上機構(BPO)で定められている放送倫理基本綱領(NHK 民放連)にはこう書かれている。

放送は、民主主義の精神にのっとり、放送の公共性を重んじ、法と秩序を守り、基本的人権を尊重し、国民の知る権利に応えて、言論・表現の自由を守る。
(中略)
放送は、適正な言葉と映像を用いると同時に、品位ある表現を心掛けるようつとめる。また、万一、誤った表現があった場合、過ちをあらためることを恐れてはならない。

引用:放送倫理基本綱領(NHK 民放連)(太字は筆者により付与)

 「silent」の製作陣は、今一度、人権を尊重し、適正な言葉、品位ある表現を心掛けるようにすべきではなかろうか。そのために、シナリオ段階のみならず、制作・撮影段階でも当事者と協調して、より良い番組を作り上げていくことを希望する。

 「silent」のように多様性ある聴覚障害者(先天性ろう者、中途失聴者)や手話を扱ったドラマそのものは共に生きる社会を目指す上で、大変意義があると考えており、ドラマそのものを否定するつもりは全くない。今回をきっかけに、番組制作サイドは当事者とより建設的な対話ができることを心から願っている。

意見書提出

 情報・コミュニケーションバリアフリーに取り組むNPOインフォメーションギャップバスターは、今回の表現(優生)を問題視しており、フジテレビおよび放送倫理・番組向上機構(BPO)宛に、賛同団体:17団体 賛同個人:134名となり、この賛同をもって、意見書を提出いたしました。短期間にも関わらず、多大な賛同をいただきまして誠にありがとうございました。
意見書の内容や提出については、以下の記事をご参照ください。(賛同受付は、12/27 21時で締め切らせていただきました)


あらゆる人が楽しくコミュニケーションできる世の中となりますように!