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べてるの家のオンラインマガジン「ホップステップだうん!」 Vol.226

・巻頭写真 「ひかるくん」(写真・文/江連麻紀)
・続「技法以前」191 向谷地生良 「自分が立ち上がる」
・木村敏先生とのダイアローグ(2010年8月 京都にて)
・心をスイッチする海沿いのカフェ「blue SW coffee+」
・「ラインホールドニーバーの祈り」 宮西勝子
・福祉職のための<経営学> 088 向谷地宣明 「あいだ」
・ぱぴぷぺぽ通信 すずきゆうこ 「いてくれるということ」


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ひかるくん

8月20日発売の「コトノネ」の特集記事「こどもは宇宙」の取材撮影で担当者と私はひかるくんに会いに行きました。

安本志帆さんの息子のひかるくん。お母さんのご縁から当事者研究をしているひかるくんは、福岡に住んでいて、魚が大好きな中学生です。

釣り好きのひかるくんに毎日通っているという海に連れて行ってもらって撮影しました。

釣り雑誌なのかな…と思うくらい釣りの写真ばっかりで当事者研究中の写真は数枚撮っただけでした。

コトノネの特集記事は今年の2月、子ども当事者研究交流集会でひかるくんが発表した「キモいの研究」と、そうすけくんの「お父さんの圧の研究」がイラスト付きで紹介されています。

○ コトノネ Vol.39(コトノネ生活)

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続「技法以前」191 向谷地生良

「自分が立ち上がる」

コロナ禍にあって思いもよらぬ訃報を耳にすることになった。家族が「木村敏先生が亡くなった」と知らせてくれたのだ。すぐに新聞を手に取ると、木村敏先生(精神科医、精神病理学者、京都大学名誉教授)が、 4日に老衰で亡くなったことを報じていた。90歳だった。

私と「木村敏」との最初の出会いは、「心の病理を考える」(岩波新書1994)を通じてである。直接お会いしたのが、2010年に、医学書院の企画「当事者ならわかる、木村敏。べてる meets 木村敏@京都」で京都の名刹金戒光明寺の境内で、べてるのメンバーと共に座談した時である。以来、年賀状を交わし、2018年には立教大学で開催された国際心理学会の基調講演で、多くの引用をさせていただいた関係で、先生に論文を送りお礼のメールをいただいたのが最後だった。

「心の病理を考える」(岩波新書1994)中に忘れられない一文がある。それは「治療が目指しているのは、第一義的に治療や寛解ではない・・・患者が、日常生活のなかで私たち『生活者』の『仲間』になってくれること・・」という含蓄のある言葉だった。「私たち生活者の仲間になってくれること」、もしかしたら「木村敏」が生涯をかけて探求した「心の病理」という現象との向き合い方の一つの到達点が、このシンプルな言葉の中に言いあらわされているような気がする。

学生時代は、難病や障害者運動、さらにはハンセン氏病の啓発活動の領域で活動し、メンタルヘルス領域とは全く縁のなかった私が、はじめてこの領域に足を踏み入れた時の“違和感”が、「精神科の患者さんとは距離をとること」「電話番号や住んで居る場所を知られないように」との先輩のアドバイスだった。私は直感的に、そこに、精神医療の世界に内在する“深い病”である、精神障がいを持つ人たちは、特別な理解や手立てをもって対処すべき対応の困難な存在、私たちの日常を侵害する可能性をもった存在としての理解という課題を見出した。

それに抗するように、私は、名刺に自宅の住所、電話番号を刷り込み、メンバーと共同生活(後のべてるの家)をはじめ、食卓を囲み、交流をした。その結果、6年目のべてるの家が立ち上がった1984年4月に、まるで待っていたかのように職場の精神科から出入り禁止となり、メンバーとの接触禁止を言い渡されたが、多くの苦労がありながら収穫の多い「社会実験」であった。なぜなら、いろいろなトラブルや苦労を経て私の中に生まれたのが「同じ人間である」という極、当たり前の実感だったからである。「木村敏」の「私たち生活者の仲間になってくれること」というメッセージは、それを裏づける至言となった。

精神医療の歴史は、「心の病」を普通の医学のテーマとして捉え、他の病気と同様に治すことに注力することで、差別や偏見の除去が図られると考えてきた。しかし、その点では、「木村敏」も精神病理学の目的を「それによって患者をよりよく知り、理解し、よりよく治療したいという気持ちだけからなのである」(「心の病理を考える」岩波新書)と述べているので、目指していることの方向はそう違わない気がする。

しかし、「心の病理」をどのように捉えるのか、という点において、決定的な違いがある。それは精神病を単なる「脳病」と捉えるのではなく「自己が自己であるためのもっとも基本にかかわる病気、つまり、哲学を成り立たせてきたもっとも基本的な条件にかかわる病気」であり、「その解明を、客観主義にとらわれた自然科学だけにまかせておくわけにはいかない。」(木村敏-臨床哲学の知:終章-洋泉社)のであって「心の病理」を、単なる自然科学の枠に押しとどめるのではなく、もっと哲学することの大切さを説いている。では、哲学するということは、どういうことか。それは「病むことの意味」を考えるということでもある。それを考える上で、私自身が拠り所にしているのが「患者は、生きているから、生きなければならないから病気になるのである。病気とは、生きていることのこの上なくすぐれた一つの表現形態なのだ。患者は、自分の人生を生き、自分の生活を生き、自分の生命を生きている。生きにくい人生を生きようとするところから無理が来る。彼が他人との関係で苦しみ、自分自身との関係で悩み、周囲の世界との関係で途方に暮れるのも、彼なりに無理を承知で懸命に生きようとしている生き方なのだ」(木村敏『生命のかたち/かたちの生命』青土社)という人間に対する深く温かい眼差しである。

先の京都のお寺で「木村敏」と対談した時に、忘れられないのが、今まで味わったことのない身体の芯から伝わってくる「深く聴かれている実感」だった。私たちの拙い言葉、思いにじっと耳を傾ける「木村敏」の持つ圧倒的な傾聴力に触れた感動を今も忘れることが出来ない。それは、まさしく「自分の人生を生き、自分の生活を生き、自分の生命を生きている」者たちと「共に哲学する」姿勢の現われでもある。

同時に、その裏返しのように、いわゆる治療者、支援者の在り方についても深いメッセージを残している。

「このような患者の生き方に密着して、その病気の生命的な意味を、生き方の一形態としての病気の意味を捉えようとするならば、観察者の側でも自らの行為ーそれは当然治療行為ということになるーによって、その行為自身に内在する感覚ーいわば治療感覚ーでもって、患者との関係そのものを自らのこととして生きなくてはならない。このような治療感覚で患者を見るということは、主体として生きている患者を主体の立場から見ると言うことである。患者が妄想を抱き、幻聴を聴き、理解しがたい行動を示すのも、患者が主体としていきようとしているからなのであって、それを異常だとか病的だとかいうのはその主体性を捨象したこちらの勝手な判断に過ぎない。患者を主体として見ることによって、個々の症状の意味は主体的に「生きること」の困難さにまで還元される。精神病の治療目標はもはや個々の症状の消去ではなくなって、患者がーときには症状をもちながらー主体的に生きてゆく努力の援助ということになる」 (木村敏『生命のかたち/かたちの生命』青土社)

最後の「主体的に生きてゆく努力の援助」こそ、世界共通のキーワードとなっているリカバリーの概念にも通じるものである。そして、「患者との関係そのものを自らのこととして生きなくてはならない」ということは、支援者自身が「自分の当事者になる」という経験でもある。それは「われわれ自身が行為者として、行為しながら、行為そのものに内在する感覚でもって生きものを見るということにほかならない」のであり、「外界の光を媒体としてみるのではなく、われわれ自身の動きを媒体としてみる」ということであり、「研究対象をその生命から切り離して客観的に考察するのではなく、対象自身が行為し感覚しながら生きている生命活動そのものに照準を合わせてこれを見るということ」(木村敏『生命のかたち/かたちの生命』青土社)の重要性を語っている。ここに支援者と被援助者の共同性と、ともに当事者研究をすることの根拠がある。

それは、支援者が、さまざまな生きにくさを持った人と出会うという経験は、その経験が私たちの一部として内在化され、また、すでに内在化されている体験の一部が他者の経験と出会うことで“寝た子を起こす”ように反応を起こし、追体験されるという事態を引き起こす。現在では、このような事態を「トラウマ」と称しているが、「経験は宝」という当事者研究の理念にあるように、大切な共感と出会いのはじまりと言えるものである。これは、支援者である私たちが「自分の当事者になる」という経験のはじまりを意味する。カウンセリングの祖と言われるカール・ロジャースが共感的理解を「クライエントの体験や情動をあたかも自分のことのように感じること」と説明していることにも通じるものである。

最後に「木村敏」が究めようとした生命論的な精神病理学の世界は、精神医学の世界では、現実にそれを臨床の場で語り、論じ、実践するような空気は、少なくとも当事者研究の領域を除いて無きに等しい。

2010年に、金戒光明寺で、メンバーと共に座談したとき、「サトラレ」と「ワイガヤ」の関係について、たずねたメンバーと「木村敏」のやり取りが面白い。それは「入院中に、何人かの仲間と病棟の片隅で苦しかったことをみんなが一緒に感じながら笑いあっている瞬間に感じた“この中にいたら病気が治るかもしれない”と思った」、さらには「気心が通じると“サトラレ”が気にならなくなる」というメンバーの発言に対しての感想として述べられた言葉だった。

「なにか自分というものが成立する“もと”になるところに今の“わいわいがやがや”や“おのずから”みたいなものがあるんじゃないでしょうか。自分も相手もない世界みたいなものがあって、そこから“自分”というものを引っ張り出してくるんだと僕は思っているんですよ。だからサトラレっていうのも、自分も相手もないような雰囲気というのか、“場”というのか、そういうとこと絶対に関係があると思うんだけどね。そこで自分がうまく立ち上がってこないような仕方でわいわいがやがやがあると、サトラレているという被害的な受け取り方になっちゃうんじゃないかなあ。そんな気がしてしょうがない」(精神看護「当事者ならわかる、木村敏」2010年11月号)

このワイガヤの世界こそ、私たちが目指す日常であり、当事者研究はその試みなのだと思う。その座談の席で、メンバーの一人が、大胆にも「木村敏」の世界観を「私たちが受け継いでいきます」と言った時である。「木村敏」は少し寂しそうに「精神科の医者ではなかなか受け継いでくれないんですが、それはうれしいですね」と語っていたのが忘れられない。もしかしたら、「木村敏」の世界をもっとも理解し、受け入れられるのは本当にそのような世界を日常として生きている当事者なのかもしれない。勿論、難解な「木村敏」の世界は、特に精神科の臨床でどのように活かせるかについては、批判も含めていろいろな議論がある。しかし、「木村敏」が目指したのは「純粋な哲学の方法論を医学に転用しようとする応用哲学」ではなく、「従来は哲学だけが取り扱ってきた諸問題を、臨床の現場で、既成の哲学理論から自由な立場で、しかし基本的な姿勢としては哲学的に考える方法」( 「心の病理を考える」(岩波新書1994)を模索し、探求することであった。

そこで今をいきる私たちに期待されることは、自分たちが生きる現実、出来事、歩んできた歴史、世界を徹底して「哲学する」ことなのだ。そして、それをやめないこと、そして「哲学する」という一見、非生産的で見通しの無い営みを、にもかかわらず続けることなのだ。これは決して統合失調症を含めた精神疾患に魅惑的、神秘的な理解を求めようとする単なる「ロマン主義」ではなく、心を病む、という体験を生き抜いた人の経験から導き出された実感の世界であり、それが当事者研究という市民による「臨床哲学」、「臨床研究」の営みが目指すものである。私たちは、これからもその世界を語り継いでいきたいと思っている。それが、「木村敏」の世界を受け継ぐことだと思っている。

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向谷地生良(むかいやち・いくよし)
1978年から北海道・浦河でソーシャルワーカーとして活動。1984年に佐々木実さんや早坂潔さん等と共にべてるの家の設立に関わった。浦河赤十字病院勤務を経て、現在は北海道医療大学で教鞭もとっている。著書に『技法以前』(医学書院)、ほか多数。最新刊は『弱さの研究』(くんぷる)。

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木村敏先生とのダイアローグ

木村敏先生(京都大学名誉教授)の訃報に接し、2010年に京都のお寺にて木村先生と対話させていただいた動画を共有させていただきます。

この対話の内容は、医学書院発行の『精神看護』に掲載されました。

当時、YouTubeにアップロードできる動画の時間に制限があったので、2つに分割されています。また、途中機材トラブルで「その2」の動画は予備のカメラで撮ったため今あらためて視聴すると見づらい点があると思いますがご了承ください。

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心をスイッチする海沿いのカフェ
「blue SW coffee+」 (浦河町西幌別)

浦河の市街地から海沿いを南東に向かって車で5分ほど走ったところに昨年オープンしたカフェ、「blue SW coffee+」(ブルースイッチコーヒープラス)

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浦河から様似に向かう途中の国道沿い、町立の郷土博物館のちょっと手前に看板が出ています。

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青いお店の外観がとても印象的です。

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店内のクジラの壁画。

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コーヒーはテイクアウトも可能。1杯500円〜。他のお店では感じられない、スペシャルな風味が特徴的です。
気分や心を「スイッチ」したいときにとてもいいと思います。

浦河の近くに立ち寄られた際にはぜひ行ってみてください。

「blue SW coffee+」(ブルースイッチコーヒープラス)
 北海道浦河町西幌別273-98
 営業時間 11:00〜16:00

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