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コミュ障からみた世界

 10月末日に無職になった。理由は上司からパワハラまがいの行為を受けたからなのだが、事の発端は私の度重なる遅刻・仕事のミスである。最初、他人に説明するときには、この部分をあえて伏せてしまっていたのだが、最近になってようやく冷静に自分を見つめなおすことが出来るようになった。私も見栄を張りたくなる関係が出来たということなのだろうか。それは喜ばしいことだが、26にもなって子供じみた見栄の感情から逃れられない自分に嫌気が差す。そうだ。お前は遅刻をしたのだ。社会人としては失格なのだ。だから無職になったのだ。
 ところで、この頃コワーキングスペースに通っている。福岡市はIT企業が多く立地しているせいか、このような場所に事欠かない。中でも、コロナワクチンの接種券さえ見せれば、ドリンク無料で利用できるものなどもある。私は無職であるし、貯金にも気を使わなければならないしで、このような場所は重宝していた。今日もいつものようにコワーキングスペースに立ち寄っていたのだった。
 このコワーキングスペースであるが、時々、イベントなどをスペース内で開催しているようだった。この日も一部スペースでスタッフたちが準備をしていた。私はそれらをぼんやりと横目に見ながら、パソコンに向きあっている。すると、ふと妙なことに気付く。スタッフの中に、見覚えのある男がいたのだ。そうだ。確かこのイベントの主催者は…。主催者名の写ったスクリーンを見やると、やはりそうだった。以前私が参加したイベントの団体である。見覚えのある男は、その時、参加者を引率する役目を引き受けており、一言二言喋ったことがある。非常にマズイ。私は緊張が背筋に走るのを感じた。彼とは一言二言喋った間柄であるが、それほど深く見知った関係でもない。「社会的なマナー」として、一言何か言うべきではないか。だが、その一言を言うには、「喋りかける→以前イベントで一緒にいたことを述べる→さっと別れる」という一連の動作が必要だ。しかし、私のコミュニケーション能力では、最後の「さっと別れる」が非常にぎこちないものになり、一歩間違えれば互いに気まずい空気を醸し出してしまうことになる。それは何としても避けねばならない。後ろには「社会的なマナー」が待ち構えており、前方には「コミュニケーション能力の欠如」という壁が立ちはだかっていた。八方塞がりである。男は私の存在に気付いたのか。ちょいちょいと視線をこちらに向けていた。時間が無い。イベントが終わってから話しかけてもいいが、それは少しヘンではないか?今話しかけるのがベストだが、イベントの準備に忙しい男の邪魔を結果的にすることになってしまいやしないか。額に汗が滲み出る。まるで時限爆弾の赤と青の導線どちらかの切断を迫られた爆弾処理班の気持ちであった。社会的なマナーか、コミュニケーション能力の欠如か。いや社会的なマナーだ!私は意を決して、男が近づいてきたタイミングで話しかけた。

 「××さんですよね?以前、イベントでご一緒させて頂いた○○です…」
 男は、ああ!あのイベントね!という風に頷くと、互いに軽く会釈をしてサッと終わった。悩んだ割には随分あっけない終わりだった。
 私はホッとする心地だった。良かった。特に滞ることなく、彼に恥を欠かせること、気まずい思いも抱かせることなく、社会的責務を果たしたのだ。しかし…と。そこでふと疑問に思う。私は最初、彼を見かけたとき、マズイ…と思ったが、一体何がマズイのだろうか。ただ、過去にご一緒した知人に、挨拶をするだけではないか。何故こういった場面でいちいち、ライアーゲームかデスノートのような緊張感を持って、挨拶をするかしないかの無駄な戦略を練ってしまうのだろうか。
 
 考えてみれば不思議なことである。異性との付き合いや、暴力を目の前にした極限状態なら理解できるが、特に生存の本能にも関係ないこうしたことで、緊張が走らなければならないのは何故だろうか。そもそも、マナーとは。礼儀とは。社会人とは。など、無限に広がっていって収集がつかなくなりそうである。
 ということを考えていたのだが、分解すると、この記事では「知人に挨拶をし、すぐに別れた」という動作しかない。これほど些細な出来事でも、いちいち悩み緊張してしまうのだから、私は社会人としてまだまだであるし、就職への道のりがなかなか思いやられるな…と情けない気持ちになる。気づくと、無料のドリンクが空になっていた。取りあえず、ドリンクをゴミ箱に捨てがてら、男子トイレにでも行くか。取りあえず男子トイレに行くという動作で、切り替えが出来るだろう。ついでにオナニーでもしてしまおうか。私はしばし休憩を取るために席を立った。後には、イベントを開催しているスタッフの声が響く。挨拶をした男も忙しなく動いていた。

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