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全ての商材はコンプレックス商材である

「○○%の人が1か月で-10㎏を達成」

「飲むだけで✖✖のサイズアップ」

「これは凄い!△△が生えた」

インターネット媒体と共に育ったデジタルネイティブ世代の私たちの目の前には、日々これらが流れてくるのではないでしょうか。

そして筆者は職種上、流している側の人間であります(笑)

本稿では、怪しい商品に騙されてはいけないというありがちな啓蒙活動を行うのではなく、広い意味での「コンプレックス商材」という財やサービスの概念から、消費者サイドと生産ー供給サイドの人間模様から形成される現代社会と、自身の在り方について考察したいと思います。

コンプレックス商材とは何か?

ダイエットや薄毛治療、美容、整形といった人間が抱えるコンプレックスや劣等感に訴求する商材、サービスのこと。「痩せたい」「モテたい」「きれいになりたい」といった消費者の欲求、感情を解消することを謳っている。悩み解決型商材。 出典:https://makitani.net/shimauma/complex-shouzai

コンプレックス商材という言葉そのものは「第1類医薬品」や「栄養補助食品」等のように公式に定義された商品カテゴリを指すのではなく、いわゆる業界用語として曖昧に浸透しているものです。サプリメントを例にあげるとその正式な商品カテゴリは栄養補助食品であり、使用後期待される結果に対して非正式に業界で定義された分類がコンプレックス商材となります。

なぜ人はモノを買うのか

リチャード・ドーキンスは著書『利己的な遺伝子』のなかで、「生物は遺伝子の乗り物に過ぎない」という考えを提唱しています。生物の行動はすべて、子孫を残すという目的のために成されるものであり、それは人間も然りであるということです。マズローの欲求5段階説より、人間の最終的な欲求は「自己実現」に収斂すると今日では広く知られていますが、人間を「個人」単位ではなく生物という「個体」単位で見たときには「より強力な遺伝子を残す」ことが最終的な欲求の一般化となります。(ここにデザイナーズチャイルドや同性愛についての議論が出てくるのではないかと思いますが、筆者の浅はかな知見での言及は避けたい)

資本主義社会において、人はモノを買うことを通じて自己実現への活力としますが、その「あるモノを買う」→「最終的な自己実現」という長期的なプロセスの間には「モテたい」という生物的な要素が入ってきます。買うのはモノそのものではなくそこから得られる体験であるという見方をするのが近年のマーケティングのトレンドですが、買うのはモノそのものではなく結果としてのモテであるというのは資本主義成立当初からの原理ではないでしょうか。

コンプレックス商材はこの時代をよく表している

そもそも論として、「買う」のは「足りない」からであり、「充足」している状態では買いません。しかし、マーケティングは本来必要のないものであってもそれを必要であると感じさせる経営戦術であると言えます。「充足」のレベルは主観的な基準であるとともに相対的に決定される部分もあり、現代環境はその「充足」の平均基準値がインフレし続けています。

そして、「充足」平均基準値のインフレという人間独自の現象のなかで「モテたい」という生物としての欲求を満たすための基準も上がっているかのような錯覚が蔓延した結果、「相対的に見て、現環境下で充足していない要素を充足させる」商材、すなわちコンプレックス商材という概念が出現したのではないでしょうか。

全ての商材はコンプレックス商材である

学歴で人の価値は決まらない。収入で人の価値は決まらない。大切なのは...。

長年語られてきた言説であり、筆者はまだ辿り着いていませんがおそらく真理ではないかと思います。結局のところ人の価値とはその人自身が自分の価値の期待値を定義し、客観的に下された実態との乖離を見て一喜一憂しているものではないでしょうか。つまり、✖✖のサイズがアップすることにより期待値と実態のギャップを小さくする、あるいは期待値と実態共にサイズをアップさせることで一憂を一喜に変えることがコンプレックス商材の効用です。

すなわち、コンプレックス商材と定義される商材以外も今日のインフレした充足基準値環境下で新たに出現し、売上を伸ばす商材の多くが期待値と実態のギャップを生むコンプレックスをテーマとしているといっても過言ではないでしょう。

全ての人はコンプレックス人ですから。

幸せになるには見た目を変えるしかない

コンプレックス人の筆者にとって今日のインフレは厳しいものです(笑)

これまでの経験上確かなことは、結果をコントロールすることはできないということです。しかし、行動はコントロール可能です。実態を狙った通りに大きくすることはできませんが、自分の期待値を上げることはできます。

これは、「人は見た目か否か」という、問に近いものがあります。

大切なのは中身であるとは先の続きですが、中身は狙い通り変えられるものではありません。一方、見た目は狙って変えることができます。そして中身は見た目が内面化したものです。行動と結果の相関関係同様に見た目と中身の連動率に個人差があるだけで、内面すなわち結果だけを変えることはできないでしょう。

そんなわけで筆者は筋トレをしています(笑)


















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