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人間の土台

一つ前のブログで、
今の大人は、受け入れられた、生きているだけで価値があるんだという体感が圧倒的に少ない(全然文章ちゃうけど)と書きました。

不安そうに周りからみられたり、生きやすいように、失敗しないような道を用意されていく経験が積み重なっていくことで、どんどん自分で考えられなくなり、やってみよう!の好奇心や主体性も失われ、自己肯定感が奪われていく。
言葉として言われていなくても、周りから信じてもらえていないという感覚で与えられ続ける経験は、"ありのままの自分は受け入れてもらえない" "失敗したらダメなんだ"  "自分にはできない"というメッセージとして受け取ってしまう。
そうして、その子は作り上げられ、思考のクセが出来上がってしまう。

肯定感の低い思考のクセしかないので、フニャフニャ土台人間がどんどん製造されていくんですね
私も、土台フニャフニャやん!に気付き、
軌道修正中ですが、大人になってからの軌道修正は大変だ、、、笑
だからといって、自分の親たちが悪いというわけではなく、もうそういう環境に、ならざるを得ない仕組みに、今の社会がなっているってところが問題なんですよね。
このままでは、自分の子どももそう育ち、孫もそう育ち、、、それが受け継がれていっちゃいます。
どんな未来になっちゃうんだろう…と思います。

子どもの頃に、どれだけあなたのままでいい生まれてきてくれてありがとうと言われたり、認められたり、ギュッてされたかが、人間の土台を作る

それが生きぬいていく力

これがあれば、一生物なのに
目に見えず、数字に表せないから
軽視されがち

これから、字が書けることより
英語が話せることより、数字に強いことよりも
大切なこと

非認知能力などの言葉がだいぶ前から出てきているにも関わらず、一番大事な時期である子ども時代、今どうでしょうか??

子どもに与えているように見せて
めちゃくちゃ奪っていませんか? 

やりたいことを見つけて欲しい、人の心がわかる子になって欲しい、幸せになって欲しい

誰しもそう願うのに、
子どもを取り巻く環境は、そうなれる環境でしょうか??

学校や行政が環境や仕組みを作っているようにみえるけど、この社会にしたのは自分たち

生きぬいていく力に重きをおく大人が増えないと
変わらないんですよね

教育ムーヴメント、起こしましょう
いろんなカタチで、ムーヴメントを起こす活動がありますが、私は
"トーキョーコーヒー"という登校拒否をもじった名前で活動する環境にいます。

ここで、私は心の豊かさ、安心できる場所があることの大切さを体感したんです。
別に自分はできないんだ、とか誰も私をわかってくれないとか、深く感じたことないと思ってたんですが、体感して初めて、この安心感は何??自分はこんな場所を求めていたんだって気付いたんですよね。不思議〜〜〜

またトーキョーコーヒーの話もします♡

気になる方は、メッセージくださいね〜!


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