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やっぱり大阪は義理人情の街だった。

 大阪の田舎から、市内の下町に住んでもう何年も経つ。アパートの周りには、くねくねとした路地が無軌道に這って交差し、それに沿うように木造の平屋やエレベーターの設置義務がない程度のアパートが立ち並ぶ、ごみごみとした古い下町だ。

 朝晩、窓を開けて過ごしていると、いろんな音が聞こえてくる。自転車の錆びたブレーキ音に和音をかける酔っ払いのオッサンの歌声。かかとをズルズル鳴らしながら歩くヤンキーのバカ笑い。ハイヒールのイラつきに合わせて高まる女の愚痴。子供の走る音、思いがけず顔を合わせたおばちゃん達による挨拶の三段重ね。

 物々しいが、それはそれで街の息遣いを感じられて、ある種の風情はあった。

 そんな街にある地銀のATMに行った時のことだ。

 日曜日、クレジットカードの引き落としのために入金に立ち寄った。ふと、見慣れないものが視界の端に映った。

 半透明のビニールに包まれた、茶色いなにかだ。

 ATMでは見慣れないそれも、よく目を凝らしてみると、スーパーではよく見るものだった。

 半透明のビニール越しに、『三 温 糖』という文字が見えた。

 ははーん、忘れ物だな。そう思う以外にない。

 そしてふと、ある欲望が、胸の奥底でうごめいた。

そう! 今だ! 今電話をかけよう!

 それまでずっと、ATMに併設されていた受話器を握る機会に恵まれなかった。銀行員にこれといった用事もなければ、ATMの操作で困るようなこともない。振り込みや入金はウェブで完結してしまうし、もっともな話、今日日はウェブでパスワードなりを入力しない限りそれが不可能になりつつある。

 ATMの前で困ることは、おそらく金輪際ないだろう。

 だからこそ、あの受話器を手に取ってみたい。そういう欲求が、いつからか芽生え始めていた。そのチャンスが、ようやく、誰かが忘れていった三温糖によってもたらされたのだ。

 意を決して受話器を手に取る。音声ガイダンスにいざなわれて、呼び出しボタンを押す。

 そして案内係の女性の声が聞こえてきた。

「どのようなご用件でしょうか?」

 忘れ物がありまして、と言うと、女性はまず、こう考えた。

「ではどのようなものをお忘れになられましたでしょうか?」

 そう言われた瞬間、なるほど、と唸った。

 ATMに併設された受話器は、困った人が手に取るものだ。困りようがないのでこれまで手に取ることがなかったが、言われてみれば確かに、これは困った人が手に取るものだ。

 困った人の言う忘れ物とは、私が忘れたなにか、を示すのだろう。女性の機転かマニュアルか、そのステップはたしかに正しいものだった。

「いえいえ、ここにありまして」と言うと、間髪を入れずに返事があった。

「もしかして、お砂糖ですか?」

 あれ? と感じる。

 銀行の窓口は閉まっているが、土日祝でも裏には人がいるのか?

 カメラ越しに誰かがこちらを見ているのか?

「ええ、ええ、そうです。お砂糖です。茶色い三温糖です。いやでも、どうしてわかったんですか?」

 すると、女性の機転かマニュアルか、明瞭な答えが受話器越しに返ってくる。

「お客様のお電話で、今日はもう4回目になるんですよ」

 女性の笑い声につられて、たまらず吹き出してしまった。

 そこに忘れさられた三温糖をなんとか届けようと試みた人が、その日もう3人もいたのだ。そりゃそうだ。忘れ物があると言われれば、ピンとも来るだろう。

「そのままにしておいていただければさいわいです」

「はい、わかりました。失礼します」

 そうして受話器を置く。笑いをこらえながら。

 1kgの砂糖くらい、ギッても罪は軽い。それでもこれを買った人の心情を思って、なんとか持ち主の元へ返してやりたいという人がすでに3人もいたのだ。みながみな、ATMにはカメラが付いてるから置き忘れの現金や財布を持っていってもすぐバレる、と知っていたかもしれない。しかしそうであるならば、わざわざ忘れ物があると電話で知らせることもないだろう。

 安くも高くもない砂糖に、値段以上の予定が詰まっていることを、無自覚のうちに理解していたのだろう。

 この物事を察する心が、義理と人情なのではないだろうか。それが当たるか外れるかはさておき、これこそが、人の立場になって考えるということの本質だろう。

 ごみごみとした古ぼけた下町も、なるほど住めば都なのかもしれない。

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