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貴族の飽食と王義之の精神、それらが生んだ書道という学術。

 先日、テレビを見ていた時、大変な衝撃を受けた。野球中継の合間に、ちょっとチャンネルを変えた時のことだ。時間にしてわずか十秒足らずのことだったが、大変、ショッキングな映像だった。

 それはクイズ番組だった。出題は、こうである。

数字の5の、正しい書き順はどっち?

 ただでさえこの問題に驚いたが、なんとこれに答えるだけで、一万円がもらえるというのだから、開いた口が塞がらない。縦から始めるか、横から始めるかを答えろという問題だ。そもそも、答えがないのに、答えようもないのだが。

 ぼくに人並みの羞恥心があれば、テレビに向かって「アホか!」とマヌケを口走らずにすんだだろう。

 もっと羞恥心があればよかった……。

 さて。

 近年、妙な考えが学校教育にはびこっているようで、アルファベットに書き順や、大きさの統一というものが求められるそうだ。会社の同僚のお子さんも、大文字のAの横棒が、小文字の高さと一致しないために満点をもらえなかった、という話を聞いて椅子から転げ落ちそうになったこともある。

 今回、先に答えから言うが、英語の書き順なんてものは99%存在しない。英語にも、美文字という概念はたしかに存在するが、紙に書かれた文字について、それを読む人間が書き順まで読める道理はない。そこになんと書かれてあるかが読めるだけで、この読めるということが、文字が持つゆいいつにして最大の意味だ。

 たとえば漢字ドリルに頭を悩ませる小学生が居たとしよう。彼の記した、書き順の異なる結果の一致した文字を、傍で見ていた大人がたちまち読めなくなってしまうかと言われれば、無論、そんなことはない。

 書き順とは、それそのものに意味はなく、あくまで書く時の所作でしかない

 ただ、英語の書き順について、99%とは言った。例外も2つある。アルファベットを教わる時に、こうすればよい、という手本はある。けれどもそれに、漢字的な正しさという概念はない。二画目は横か縦か、という問題はテストに出ない。例外のもう一つが、筆記体だ。これにはある程度の法則があり、法則があることによって読み手を補助する一因にもなっている。

 そもそもこのような、存在しない英語の書き順について、妙な正解例と不正解例が、なぜ文科省から降ってきたのか。

 それは、漢字に書き順があるからにほかならないだろう。

 書き順を答えるテストをくりかえし行う一方、「英語のブロック体には書き順がないから好きに書け」と言ってしまえば、そこには秩序がなくなり、ABCに近くて遠い文字を書く学生を生み出しかねないからだ。なので正解例を作り、それにそぐわないものを不正解と見なすのだろう。

 出来ない生徒の首根っこを掴んで列の最後尾に引きずり加え、出来るからと一足先に学ぼうとする生徒の足を引っ張って列に連れ戻す、画一的な学校教育の負の面と言えなくもない。

 しかして、この考えが一方的に間違っているとは、言い難いのだ。物事とは、常に事実の多面体だ。真実など、どこにもない。英語の成り立ちやその歴史を考えれば書き順などない、好きに書けと切って捨てられる。だが、英語を書いて覚えるというレッスンには、当然、正解例があったほうが良い。ないよりは、圧倒的に良い。

 もっと踏み込んで教えるなら、漢字や平仮名には書き順があるが、英語にはない。なぜならば……ということを教えるのが本当の意味での教育なのだろうが、残念ながら、こんにちの学校にそんな事を教えている時間はない。好きに勉強してくれ、と生徒の自主性に任せるしかない。だが気をつけろ。列を飛び出したら足を引っ張って連れ戻されるぞ。

 ではなぜ漢字には、それ特有の書き順というものが誕生したのか。

 それは長大な安定期間の為せる、飽食の時代があったからだろう。

 さて、本題。

  歴史とは、なにかを得て、なにかを失うことの連続だ。

 イギリスの飯がまずいのは、十八世紀に起きた産業革命によって、家庭料理をするという必要性が少しずつ、少しずつ失われていった結果によるものだ。英国はそれから始まる歴史的栄光を得たが、伝統的な家庭料理という文化を失った。

 アメリカがコーヒーをたしなみ、コンビニよろしく街のそこかしこにコーヒーショップがあるのは、英国人がたしなむ紅茶へのカウンターカルチャーにほかならない。紅茶も捨てたものではないのだが、ティーを好むアメリカ人は変わった目で見られる。

 そして中国は、大陸で培われた長い歴史において様々な発明を起こしてきた。

 火薬、羅針盤、紙、活版印刷。この4つが、いわゆる中国の四大発明として広く知られている。この中の2つが、文字に関わっていることは、大変に興味深いことだろう。

 紙が発明される以前は、各地に様々な文字を保存する媒体があった。石に掘られたり、粘土に文字を書いて固めたり、銅板や亀甲、羊皮紙や葉っぱなど、地域性に富んでいる。もっぱら東アジアでは木簡や竹簡といった、木や竹に文字を書いて、それにひもを通したものを紙の代わりにしていた。これは上記した媒体と違い、表面を削って再利用することが出来た。だがこれでは、どうしてもかさばる。持ち運びにも不便だ。そこで発明の母である必要に応じて、紙が誕生した。

 そうして文字たる漢字が普及していく中、やはり、書いて覚えるというレッスンには、当然、正解例があったほうが良い。ないよりは、圧倒的に良い。

 そして当時の人たちは、晋の時代の人間、『王羲之(おうぎし)』を、なにより見習うべき『書聖』とうたった。彼の書く文字こそが本物の漢字だと長らく言われ続け、その概念は当然日本にも伝来した。漢詩は和歌と並んで長らく教養の一つとされ、夏目漱石のそれは口に出して読みたい漢詩として中国でも人気を博していたそうだ。

 そうして日本には王義之の精神が残った。一方で、漢字の本国である中国では、その精神はすっかり失われてしまったようだ。学生時代、みながみな書き順はしっちゃかめっちゃかで、「どうなってんの?」と尋ねたところ、「結果があってる(すげえきったねぇ文字(ワンくんごめんね))から良くない? キミの書く文字は丁寧だと思うけど、ちょっと神経質すぎない?(笑)さすが日本人だね(笑笑」と言われ、悠久のかの地に思い描いていたロマンに大きなヒビが入ったことがある。

 ここに、『飽食』と『』とが関わってくると、ぼくは考えている。

 イギリスの食文化が失われたのは、産業革命により、労働者の価値が圧倒的に落ちたからだ。人間一人の命より、機械一つのほうが圧倒的に高値がついてしまった。その結果、労働者の地位はあっという間に地の底に落ち、資本家の言うがままの労働生活を送ることになってしまった。食うために働いているのか、働くために食っているのか、手段と目的があべこべになってしまったパターンだ。

 それ以前の英国食文化は色味や味わいに富み、残されたレシピ本の再現を試みたところ、現代の英国紳士たちを唸らせるだけの味わいを、当時から持っていたことがわかった。一方で、ティーと洋菓子だけは他の追随を許さないことも、それが貴族や資本家の文化として、長い歴史を絶やすことなく積み重ねてきたからだろう。

 漢字の書き順も、またそうだ。当時の中国にも、あったと思われる。残された古文書の文字のクセ……長さの短長や太さの大小などを見れば、手順はなんとなくわかる。だがそれは、相次ぐ戦争によって失われてしまった。日本にも戦争は多くあったが、中国の歴代王朝の場合、相手が悪かった。

 奇妙だが、歴史は繰り返す。中国に統一王朝が誕生し、それが安定し始めたころ、北方から異民族がやってくるのだ。その再現性は枚挙にいとまがない。それもそうだ。国がボロボロの段階で攻め込んでも、あんまり旨味がないからだ。国家として成熟し、費用対効果の良い頃合いになると、外敵がやってくる。

 また襲来してくる相手は常に異なり、漢字に似た西夏文字や女真文字、契丹文字や漢字とは派生の異なるモンゴル文字などが、時の権力者の都合によって入り乱れ、結果的に中国にあった王羲之の精神は利便性という必要に追い立てられ、失われてしまった。

 けれども日本の中で行われた戦乱は、多民族を介しない、日本人同士の後継者争いがほとんどだった。戦火が何度起きようとも、漢字以外の文字が流入してくることはなかった。あちらが勝ってもこちらが勝っても王義之の精神は失われることなく、戦乱動乱どこ吹く風だった。

 それでも王義之の精神が庶民のものになるまでは、かなりの時間を要した。長い間、文字――特に漢字は貴族だけのものだった。

 ゆえに飽食を営む貴族には、漢字に対するこだわりを積み重ねることが出来たのだ

 漢字には、縦書きであることが前提だが、常に法則がある。

 おおよそ始点は、文字に対して真ん中上か、左上にある。電卓風に言えば、7か8だ。そして終点は、文字に対して真ん中下、右下、その他の微妙な例外はあるが中下段に近いところにある。電卓風に言えば、123のいずれか(漢字トリッキー部門の申し子しんにょうだけは6)になる。

 そうすることで、終点と始点が近くなり、続けて文字を書きやすくなるのだ。これはひらがなに置き換えても同様であり、基本的に下へ下へと続けても無理のない形になっている。

 この文化を絶やさないために、正しい書き順というものを代々に渡って継承してきたのが、日本の書き順という文化だ。そしてこれを、学術的に体系化したものが、『書道』だ。

 そう、『』なのだ。

 少し、道をそれる。

 弓道というものを、なんとなく知っている人は多いだろう。あの競技、あるいは、『あの道』の優劣の付け方はどこにあるか。矢が的に当たるか……ではない。的中は、あまり関係がない。

 射法八節という『打つまでの所作と、打ってからの所作』が、弓道の優劣を判定する材料だ。

 ではなぜ弓道においてその的中が重要視されないか。

 道は、逆に考えるのだ。

 手本になるような美しい所作であれば、矢は当たる(中る)のだ

 これが弓道の、道である。当たらなかったということは、その所作が正しくないからであり、逆に、当たったからといって正しい所作でなければ弓道ではないという考えが、弓道の道である。

 正射正中……料理本をなぞるように、射る作法さえ正しければ、矢は望みの場所に飛んでいくのだ。

 もっとも、学生弓道は単純な的あてだ。当てたほうが勝ちというわかりやすいルールになっている。この場合、所作はまあまあどうでもよくなる。弓道ではなく、スポーツとして行われるからだろう。弓道が持たれがちなイメージとは異なり、野球のような応援合戦が行われる。硬式テニスと軟式テニスくらい、趣が異なる。

 もう少し、道をそれる。

 柔道というものを、なんとなく知っている人は多いだろう。学校の体育の時間に、選択科目でさわりほどをやった人も少なくないはずだ。この場合の道もまた、所作の正しさにある。手本通りの投げを打つことが出来れば、文句なしの一本。相手にやや抵抗されれば技あり、もうちょっと頑張ってほしいときは有効……と、この道もまた、所作によってその優劣の判断材料になる。

 少し前、世界規模になりつつある柔道界に、ある種の提言がなされた。

最近の柔道は、汚い。』という提言だ。

 柔道にも、様々な技がある。その技の華麗さを競う道が、柔道だ。そんな中にも、ある時から変化が訪れ始めていた。世界規模になると、他の流派から柔道に参戦する人が表れ始めたのだ。

 その流派とは、レスリングだ。

 レスリングは、下半身にタックルすることがメインのスポーツだ。これを柔道にも応用することが、ある期間までは出来た。レスリング出身の選手が、一本背負いや払い腰、外刈内刈といった、いわゆる立ち技を一切捨てて、肩車や抱え投げといった下半身へのタックルをメインにし始めたのだ。旧来の柔道では、このような技は離れ技で、窮鼠と化した時に出すものとされていた。しかしレスリング的な投げが横行するあまり、本来の柔道からかけ離れているのではないかと、待ったがかけられたのだ。

 国際柔道連盟は、「これが道か否か」を話し合い、結果、これは道ではないという判定を下し、以降、旧来あった技が部分的に禁止されることになった。完全に禁止というわけではなく、相手の懐に飛び込む形で投げるという、『柔よく剛を制す 剛よく柔を制す』の理念に基づく所作は、認められることとなる。

 こうして一時期に蔓延した汚い道は、きれいに整備された。

 さて、本来の道……書道に戻ろう。

 こうした、『日本的な道』という体系化された学術の一つとして、書道が挙げられる。正しい所作……書き順というものを学んで、ようやくきれいな字が書ける、という道だ。これが漢字と王羲之の精神が伝来して以降、日本の歴史の中に脈々と受け継がれて行った。日本最古の道であるとも言えるだろう。柔道も弓道も、その他の様々な『道』も、書道という基礎教養が確立された概念があってこそ、道という形にたどり着けたのではなかろうか。

 この道という体系化によって、ある偶然が起きる。

 それが、庶民の識字率の向上、だ。

 明治以前の識字率を調査した統計は残されていない。一つの物証として、1257年に庶民が書いたと目される『阿氐河荘百姓言上状(あてがわのしょうひゃくしょうごんじょうじょう)』という、地主の横暴な徴税に苦しむ農民の嘆願書は、ほとんどがカタカナで記されている。この言上状、より正確に言えば申し状は、当時からすでに文面の書き方というフォーマットがあり、それは当然、『漢字で書くもの』だった。カタカナを読み書き出来る庶民の存在はいたのだろうが、まだ漢字は貴族のものであった。

 それが武士という存在が台頭するとすそ野が広がり、江戸期にもなると庶民文化には漢字とひらがなが広く使われている。北斎や歌麿の版画には、解説のト書きがかならずある。東海道中膝栗毛や南総里見八犬伝、雨月物語やその他の江戸期に大流行した読本など、非貴族階級の人々の識字率が低くなかったことは、庶民文化からうかがい知ることが出来る。

 これに一役買ったのが、書道といって間違いないだろう。

 正しい書き順があれば、正しく書け、正しく読むことが出来る。漢字やひらがなを書いて覚えるというレッスンには、当然、正解例があったほうが良い。ないよりは、圧倒的に良い。

 これが書道の、書き順という所作のもたらす、文字の表面には決して表れない意味だろう

 漢字の書き順の明確な成立それ自体は、1958年になる。戦後のことだ。

 けれども突然、鶴の一声によってそれが決まったわけではない。書道の流派によって書き順が異なり、各流派の家元が、「うちの書き順のほうが正しい! モア王義之だ!」と喧々諤々して、草案から完成まで二年余りの歳月を要した。そうしてその精神を軟着陸させた書き順が、こんにちにも息づいている。

 アルファベットに書き順はない。英数字にも書き順はない。だが漢字にはある。ひらがなにもある。ひらがなから派生したカタカナにもある。なぜなら漢字に始まる文字は貴族が持つ特権の一つであり、何千何万文字とある漢字を含んだ大きな学問が、そのこだわりによって体系化され、庶民レベルにまで降ってきたからだ。だれが降らせたのかは定かでないが、意図しない体系化が普及に大きく寄与したことは間違いないだろう。

 一方、英語は貴族の持ち物ではなかった。ヨーロッパ圏にとってのそれはフランス語であり、フランス人は今でもブロック体で文字を書かない(はず)。ブロック体で印刷された文字を読むことはあっても、書く場合、必ず書き順のある筆記体で書く。それは特権のなせる技であり、ある種のフランス的な『道』だろう。フランス語の筆記体が、クッソ乱筆であっても構わないことも含むのであれば。

 だからこれから、アルファベットや英数字の書き順を尋ねられた時、堂々と、言ってほしい。

 アホか! と。

 もしあなたに、羞恥心がなければ、の話だが。


 

 補足……台湾の漢字はどうなん? と、感じた人は鋭いと思います。より濃い王義之のエッセンスを持っているのでは? とは思います。簡体字というものを使いませんしね。正しいとか正しくないとかいう言葉は、文化というものを修飾しえないので、より濃いと思う、という風に考えます。

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