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大前提として世の中は間違っている。

生きづらい。
ああ生きづらい。
なんてこの世の中は生きづらいんだ。

良いこと、嬉しいこと、幸せなことに対してあまりにも悪いこと、嫌なこと、辛いことが多過ぎる。
明らかにバランスがおかしい。
割に合ってない。
フィフティ・フィフティじゃないとバランスが取れない。
ただでさえ悪いこと、嫌なこと、辛いことの方がずっと多いのに、悪いこと、嫌なこと、辛いことはひとつひとつが強烈過ぎる。
ちょっとやそっとの良いこと、嬉しいこと、幸せなことなんていとも簡単に黒く塗りつぶしてしまう。
小さな幸せを見付けるのが上手い人のことは尊敬するが、小さな幸せで埋められるのは所詮は小さな不幸でしかないよなあ、と痛感させられる日々である。

一体どうしてなのだろうか。
よくTVドラマや漫画などで失敗した人が頭を抱えて「こんな世の中間違っている!!」と絶叫する場面を目にする。
そう。
それ。
まさにそれ。
世の中は大前提として間違っているのだ。
……ただし、そういった登場人物は大抵の場合やってはいけないことをやっての結果なので除く。
あくまで真っ当に生きている人の場合のみに適応される。

「世の中が間違っているなんてなんでおまえごときが分かるねん」
「何様やねん」
と思われたかもしれない。
いやきっと思われたに違いない。
なにしろこの私は世間的に名が知れているわけでも何ひとつ成功したわけでもない存在なのだから。
でも分かる。
ハッキリと分かる。
「この世の中は間違っている」と。

至極簡単な話だ。
世の中が本当に正しいのなら、善良な人が幸せになって悪人がその報いを受けていなければおかしい。
それがどうだ。
善良な市民を食い物にして私腹を肥やし、罪に問われてもカネの力でそれをもみ消したり、罪を軽減したりしている悪党がいくらでもいる。奴らにとっては社会復帰も容易だ。
戦争はなぜ起こる?
戦争で死んでいるのは戦争を起こした奴らだけか?
どれだけの一般市民が巻き込まれて犠牲になっている?
通学途中にトラックに突っ込まれて亡くなった児童に罪はあったのか?
生まれつき難病を抱える人は前世で極悪人だったのか?
災害で家や家族を失った人たちが何をした?
毎日のニュースは24時間、理不尽な不幸で溢れ返っている。

世の中は間違っている。
それは分かった。
だったらどうだと言うのか。
はい。
ここからが本題だ。

そもそも世の中自体が間違っているのだから、あなたは正しくあり過ぎようとしなくてもいい。
最低限の公序良俗を守りさえすればいい。
あなたがどれだけ正しくとも、世の中がそれに正しく報いてくれることは残念ながらほとんど期待できないのだから。
そりゃしっかり試験勉強して受験すれば合格する、なんて仕組みはさすがにまともに機能している。
今述べているのはそういう部分以外の数字では表せない物事の話だ。
世の中に期待し過ぎない方がいい。
なんなら期待しない方がいい。
その方がずっと気が楽だ。
でも、簡単に絶望はしない方がいい。
「ゼロか100か」の思考にだけはならないように。
一見堅固に見えるものでも、柔軟性を持たないものは実際にはひどく脆い。

今回の記事は今まさに人生の、世の中の理不尽に日々振り回されているこの私からの提言の1つだ。
この記事を読んだ今まさに悩める人たちの心が少しでも軽くなることを望む。
大前提としてこの世の中は間違っている。
だからあなたは正しくあり過ぎようとしなくてもいい。

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