NO DAY,BUT TODAY?【2】

小型特殊免許取得体験記のためにnoteのIDを取得したのですが、他に記事が無いのも寂しいのでアメーバブログで記録していた北海道胆振東部地震の体験記を転載しますその2

(そういえば西日本豪雨の際、腰巻きタイプのライフジャケットも買っておりました)


情報源はラジオだけが頼りに


帰宅後に身内の無事を確認してからも、停電断水は復旧せず。
ライブや舞台遠征をしていたからモバイルバッテリーと電池はあったので、スマホの充電の心配はそれほどしていなかったのですが、仕事でノートパソコンを使っています。バッテリーだけで長時間業務をするのには不安があったので、その時点で仕事を諦めて買ってきたウィンナーと卵焼きを食べ、いったん寝直すことにしました。
余震が来ればどうせ起こされますから、なるべく体力を温存しようとしたのです。

ラジオは付けっぱなしにして、起きたら電気が使えるようになっていることを期待しながら就寝。
結果、浅い眠りの中で余震も感じましたが、数時間眠ることが出来ました。
起きた時間は正午前。しかし、停電は継続中でした。

更に、wimax2+ルータの表示に「圏外」の文字があらわれはじめました。
部屋をあちこちうろついてみましたが電波を拾うことが出来なくなっており、充電以前の問題に。
携帯キャリアの通信網も通話以外使えない。
情報源がラジオだけになってしまいました。


今頃SNSではデマが拡散されてるんだろうな……


デマは本当に厄介です。被災地ではほぼラジオしか頼りがないということだけでも発信できないかなと再び外出を試みたところ、道すがらでルータの圏外表示が消えたので、歩道に突っ立ったままSNSを更新。
首相官邸(災害・危機管理情報)で「停電の全面復旧までに一週間の見通し」という情報を得ました。

こういう時はきっと日数多めに発表するよね……

だから最悪一週間耐えれば良いという結論に達し、覚悟を決めて帰宅。
まさか厚真やむかわがあんなことになっているなんて知る由もなく、ただただ一刻も早い復旧を願うばかりの在宅。
なのにラジオからは「電気つきましたー」という市内在住者からの報告が徐々に増え、無駄に動かないように家の中でじっとしていたものの、ひたすら困惑していました。


アメ・漫画・3DS・三ツ矢サイダー・シーブリーズ・レトルトカレー


いやいや一週間耐えるつもりでこれじゃ駄目だわ。

気分を変えるためにアメを舐めたりしつつずっとラジオは流し、明るいうちに漫画読んだりして一旦停電のことを忘れるシチュエーションを作って。
暗くなったら漫画から3DSに切り替えて、ラジオを聞きながら音消しドクターマリオを延々とプレイする時間を過ごしました。
ゲームにひと区切りついたらルータの表示をチェックするように。たまに電波が復活していることがあったので、不安定ですが少しずつ通信網も回復の兆しが見えてきたのを実感します。
しかしながら、停電そのものが復旧しないとうちでは水が出ません。
なんだかんだで外に出て汗をかいたし、ぬるくなってしまった三ツ矢サイダーも、ありがたい貴重な水分として少しずついただきました。
去年買ってあったシーブリーズのデオドラントウォーターと同製品のデオドラントシート。余りものでシートなんか少し乾いてたけど、ウォーターで湿らせて体を拭くのにかえって良かったというか。
ウェットティッシュも常備しているので、これも使えた状態ではありました。

備蓄食料は「あたためなくても美味しい」という、ハルちゃん(ルパンイエロー/早見初美花役)のシール目当てに買った「ルパパト」のレトルトカレーを筆頭に、レトルト食品が少しと、カップ麺とドリンクゼリー、ビスコなんかもありました。


それから道民の嗜みとして冷凍食品を少しずつ買い溜めてあったので、冷凍庫には充分食べ物が入っています。夏の停電で心配ではあるけど、氷も入っているし、極力扉を開けないようにすればいいので。
ガスはもともと止まっていないので、暖がほしければ火が使えます。
実はアレルギーで食物繊維をうまく採れないのでサプリメントなんかもあったりして、水以外の備えは意外とあったかもしれません。


とうとう水を汲みに公園へ


何時頃か忘れましたが、聞いていたラジオから、知っている名前の公園が「給水場所」になったことを知ります。
朝、明るくなったら水を貰いに行こうと思い、無理矢理眠りに就きました。
何度も何度も目が覚めました。余震もあったし、体が強張って熟睡なんかできやしません。

そんな中で給水場所よりもっと近くに公園があることを思い出して、水が汲めるかもしれないと思って早朝すぐにその公園へ行きました。
思った通りそこの水飲み場は水が出るらしく、先客が2人来ていました。
しかし、そのうち一人の小太りおじさんは手ぶらで、笑いながら水を汲んでいる男性に向かって喋っている様子。
声も大きいのでだいたい何を言っているのかわかってきたのですが

「おたくのとこは水出ないの!? 汲んで何に使うの!? (男性は「奥さんが料理に使う」と答えていた)へー大変だね! うちも大変だったけど水は出るよ! しかし生まれ初めてのとんでもない揺れだった! うちは水出るけど!」

まあ、こんな感じでした……
私と私の後ろにも複数の人が徐々に集まってきているのを見て、おじさんは、じゃあ! みたいな感じで去っていきましたが、二度と会いたくないですね。他人事ながら。

水汲みは非力なせいで結構な重労働(容器もペットボトル3リットル分くらいしかなかったので、途中でバケツに替えて3往復した)になりましたが、思っていたより近場にあったのでとても助かりました。
ルータも圏外表示が出なくなったため、家でノートパソコンで給電しながらネットで情報を集められるようになりました。震度7とかブラックアウトとかこの辺でやっと理解できてきた感じです。
停電はその2時間ほど後に復旧しました。

そんな訳で、この災害では断水が一番辛かったです。
そして、心配されること、少しでも気にかけてもらえることってこんなに嬉しいんだな、と強く感じました。

今回は夏場の被災でしたので、道民の間では冬の災害に向けて準備をしている人たちが出始めています。
私も少しずつ準備をはじめました。とりあえず、一人なので、停電で復旧の見通しとして示された「一週間」を一つの指標として考えたいと思っています。

余力のある時にもう一週間分上乗せしていきたい、とも。
当事者になると「今日をどう生きよう」という考え方しかできなくなって来ますので、今のうちに……

(終)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?