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心の目が開かれて見えるもの

何かを見て、わかっていたつもりで、実はその本当の姿が見えていなかったと気づいたことはありますか。

私の人生に強いインパクトを残した、ある経験についてお話したいと思います。


白内障手術

30代後半の時、私は白内障を発症しました。白内障とは、目にとってレンズの役割を果たす水晶体が濁る病気で、視力が低下していきます。

その原因の可能性となるものを医者がいろいろと説明してくれたのですが、どれひとつとして、当てはまりません。あとになって、これは何か身体上の原因があるというよりも、神から私へのギフトなのだと思いました。おかげで、とても素晴らしい経験ができたのですから。

最初の何年かは薬で進行を遅らせていたのですが、目から10センチまで近づけないと(メガネをかけていても)聖書が読めなくなった時、いよいよ手術は避けられないと確信しました。

白内障の手術は、カメラのレンズ交換のようなもので、水晶体を取り除き、代わりにアクリル製の眼内レンズを挿入するというものです。

まず片目を手術し、翌日に眼帯を外してから、病室の外を見ると、草の緑や空の青さが前日までの何倍も美しく、非常に感動しながら、しばらくそこに立ち尽くしていました。

それまで私が見ていた灰色がかった青空は、私の目の濁りのせいだったと気づきました。まるで、レンズについていたカラーフィルターが取り除かれたような感覚です。

そして翌週、もう一方の目も手術し、フィルターが完全になくなった時、世界は文字通り光であふれていました。神が造られた世界は、それまで私が見ていたものよりもはるかに美しく素晴らしいものだとわかり、神に心から感謝しました。

この経験から、私はパウロの回心の話や、ある賛美歌のことを思い出し、「心の目」が開かれることの大切さについて考えました。

パウロの「目からうろこ」体験

「目からうろこ(が落ちる)」とは、あることをきっかけに、急に物事の本質や実態などがよく見え、理解できるようになることのたとえですが、この言葉は当時サウロと呼ばれていた使徒パウロに起きた出来事を元にしています。(使徒9:1-22

クリスチャンを熱心に迫害していたパウロは、ある日、天からの光で目が見えなくなるとともに、復活したイエス・キリストの声を聞きました。

その3日後、イエスから送られたアナニヤというクリスチャンが彼のために祈ると、「たちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった」のです。

パウロの心の目からも、先入観や思い込みといったうろこが取れて、それまで見えていなかった聖書の真実が見えるようになりました。また、クリスチャンやイエスを誤解していたことに気づいて、見方が180度変わり、「ただちに諸会堂でイエスのことを宣べ伝え、このイエスこそ神の子であると説きはじめた」ということです。

私の目を開いてください

白内障の手術に関連して思い出した賛美歌とは、クララ・スコット作詞作曲の「Open My Eyes That I May See(私の目を開いて、見えるようにしてください)」のことです。(日本語訳では、新聖歌38「わが目を開きて」などがあります。)

この賛美歌は、詩篇の次の言葉からインスピレーションを得て書かれました。

わたしの目を開いて、あなたのおきてのうちのくすしき事を見させてください。

(詩篇119:18)

神の教えに隠された素晴らしい真実を見るのを妨げているものを取り除いてください、という祈りです。

クララ・スコットは、この賛美歌で、「私の目を開いて、真実を見させてください」、「私の耳を開いて、あなたの真実の声を聞かせてください」と祈っています。

そしてさらに、「私の口を開いて、温かな真実を伝えさせてください」、「私の心を開いて、愛を分かち合う備えをさせてください」とも祈っています。私は、パウロの人生に起きたことのようだと思いました。

クララ・スコット

では、最初の質問に戻りましょう。何かを見ていたつもりで、実はその本当の姿が見えていなかったと気づいたことはありますか。

聖書には、数多くの神の約束や霊的な真実が記されていますが、先入観、バイアス、この世の常識などが私たちの心の目のうろことなって、表面的にしか理解できず、それがどれほど素晴らしいものであり、希望を与えるものであるのかを理解できないことがあります。

また、目に映る現実にとらわれて、目に見えない霊のうちでの現実を忘れてしまうこともあります。隣国の王が預言者エリシャをつかまえるために送ってきた軍隊を見て、恐れと不安に押しつぶされそうになった召使いのように。神が彼の目を開かれた時、そこには天使の軍勢がいて、エリシャたちを守っているのを見ることができました。(列王下6:15-17

肉体の目によって、聖書の表面的なことだけ、あるいは人生に訪れる困難や問題や「灰色がかった空」ばかりを見るのではなく、心の目が開かれて、神を深く知り、神の力の絶大さや、私たちの周りにあふれる神の祝福の素晴らしさを悟り、感謝することができますように。


どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように。
そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。
また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように

(エフェソ1:17-19 新共同訳、パウロの祈り)





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