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フェイク/侵されつづける象牙の塔

うでパスタです。
不労所得、得ていますか?
私は得ていますが、はっきり言って仕事があれば働いた方がマシだというレベルで疲れています。正直向いてないなという感じもあります。
その昔には年に何度か職場の仲間とラスベガスへ行って一週間ぐらいほとんど不眠不休で博打を打っていました。大げさなことを言っていると思われるのを承知で話せば、空港へ着いたら迎えの車でホテルへ直行して、そのまま一週間ホテルから一歩も出ずにカジノに入り浸っていたということもあるのです。

しかし毎回そのすべてが終わったあとにマッカラン空港のうらぶれたターミナルでうつむきながらサンフランシスコへ引き揚げるちいさな飛行機を待っていると、誰かが必ず「これは今週も仕事してる方がよほどマシだったな…」と呟いたものです。そうすると僕たちは「そうだね」と胸のつかえを下ろしたように応え、もうこんなところへは絶対に来ないぞと誓いながら明日からの仕事に向けた活力を取り戻すのでした。これを年に三回ぐらい繰り返していました。
いまもやはり概ねそのような心境にありながら、それでも仕事の声がかからないので日々マーケットと向かい合っています。

先週のBiblioteque de KINOKO Weekly Magazineでもキノコさんが話している通り、「不労所得」とは労働力以外の資源を投じて得る所得のことをいうわけですが、私の場合はそこへ精神力や健康を投じています。
おかげで最近は心身の不調からくる不眠に苦しみ、ここ一ヶ月で二回も敷布団を買っては返品し、睡眠導入剤を飲んだり酒を飲んだり、臨床心理士の世話になってわけのわからないテストを受けさせられたりしています。ちなみにこのテストは以前にも受けたことがあるのですが、私がいちばん好きな設問は「スパイのようなひとがたくさんいる  はい・わからない・いいえ」というものです。
私の回答を明らかにするのは控えておきます。

このようなことから私などはやはり「不労所得」という、まるで「何もしていないのに入ってくるカネ」みたいなタームを易々と用いることは控えたいという考えを抱いています。
私の実家には福沢諭吉の十訓なる書が飾られており、そこに
「一、この世で一番寂しいことは、する仕事のないことです」
とあったのを見ては幼い頃から「はは、こやつ」と笑っていたのですが、いまその言葉が本当に身にしみています。

しばらく前に知人の不動産屋をはさんでキノコさんと酒を飲んでいました。
それは我々の九段下・図書室(「図書室」というか、それこそがまさにBibliotheque de KINOKOであるわけですが)の落成を記念した慰労会で、不動産屋というのはそこを仲介してくれた旧知の元同僚です。
あまり酒には強くないという不動産屋はビールをグラスで二杯干したあと、こう言いました。

「現金が一億あれば、一生働かずに食っていけます。一億キャッシュがあればカネは払わず、銀行から借りたカネを回して不動産を運用していけますから、そのカネは使わずに済むんです。一生余裕です。カネに働かせるんです。自分で働くんじゃないんですよ。カネに仕事をさせるんです

そのとき不動産屋の向かいで豚の三枚肉をしがみながらスマホを見ていたキノコさんがやにわにグッとテーブルへ身を乗り出し、ほぅ、と呟いたのを私はいまでもはっきりと思い出すことができます。
このひとは一億持っているな、と確信した瞬間でした。
しかし不動産屋の話を聞けば、やはり不動産の運用というのは証券とはまた違うものの非常に手間のかかるもので、管理から何から諸々を考えあわせれば膨大な時間を日々とられるものであったため、
「聞けば聞くほどカネというよりあなた自身が働いているようにしか思えませんが」
と感想を述べると、不動産屋は急にシラフに戻った目をして「まぁそうですね」と認めておりました。
つまるところ不動産業もまた「業」であり、私は主夫業のかたわら自由業を営み、また投資を業として営んでいるわけですから冒頭の「不労所得がある」という認識はこのように否定されるわけです。

前回の話をつづけよう。
有名な科学研究所にやってきた、無名の若い研究者。
野心的なプロジェクトに採用され、世界的にも名の知れたリーダーの下で研究を始めると目覚ましい業績をあげ、権威ある科学雑誌(「ジャーナル」)の「ネイチャー」へ論文が採用されると突如脚光を浴びるようになった。
しかしある論文に捏造のあとがあることが指摘されると疑惑の数は増え続け、やがて発見はすべてが偽りであったことが明らかになる。サンプルも、研究ノートも残されておらず、本人は発見を「自分はたしかにこの目で見た」と主張したが、上司や論文の共著者もそれ以上の確証を握ってはおらず研究者はやがて解雇されるにいたる。
この研究者は小保方晴子ではない。
これはいわゆる「STAP騒動」を遡ること十四年前の二千年に最初の論文を発表したあと、二年間で実に十六本の論文をネイチャーとサイエンスに投稿したあと、そのすべてが捏造論文であったことが判明したヤン・ケンドリック・シェーンの話だ。

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