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冒険飛行家 アメリア・イヤハート

 かつて何人かアメリカでは有名だけれども、日本では知名度の低い人を取り上げて記事を書きました。アメリカ国歌の作詞者、フランシス・スコット・キィ、独立戦争最初の英雄、ポール・リビア、南部アメリカの奴隷制に抵抗したハリエット・タブマン、北米植民地と先住民の懸け橋とならんとしたポカホンタス、といった人々です。
 アメリア・イヤハートもまたこれらの人々と同じく、アメリカの英雄でありながら日本での知名度はそれほどではない人物ではないでしょうか。
 女性として初めて飛行機で大西洋を横断し、リンドバーグに次ぐ史上2人目の大西洋単独無着陸横断を達成し、航空機の普及と女性の地位向上に多大な貢献をした人物です。

 1920年に後に多くの飛行記録を打ち立てるフランク・ホークスの操縦する飛行機に同乗して飛行機に魅了されたイヤハートは、働きながらパイロットとしての訓練を受け、翌年には単独飛行が可能になります。更に翌年には飛行機を購入し、女性パイロットの最高高度記録4,267mを達成しました。更に一年後にはアメリカ人女性として初めて、国際航空連盟のライセンスを取得しました。
 その後ボストンに移りソーシャル・ワーカーとして働き始めたイヤハートは航空機会社のデモンストレーションと、自身が所属する施設への寄付金を募るための宣伝を兼ねた飛行を行うようになりましたが、専業のパイロットへの道はまだ遠いものでした。

 1927年リンドバーグが大西洋単独無着陸横断飛行に成功すると、多くの人々が大西洋横断飛行を試みます。その中にイギリスの富豪フレデリック・ゲストの夫人がいました。彼女はフォッカーの3発単葉機(フォッカー F.VII)を購入し「フレンドシップ」と名付けます。操縦士を雇って自らは乗客として大西洋を横断する計画でした。しかしながら同様の挑戦をした女性を含むパイロット達が多数遭難したことで家族に反対され、ゲスト夫人は女性初の大西洋横断を誰かに託すことにしました。
 相談を受けたのは出版社のオーナーであるジョージ・パットナム。彼の人脈によって、飛行機による北極点到達を成功させたとされるリチャード・バード(後に南極点にも到達)からイヤハートの情報が齎せられます。

 1928年6月17日、アメリア・イヤハート30歳。ウィルマー・スタルツ操縦士、ルイス・ゴードン機関士、記録担当のアメリア・イヤハートを乗せてフレンドシップ号はカナダのニューファンドランドを出発。20時間40分のほとんどが悪天候というコンディションを乗り越えて、ウェールズ(イギリス)のバリー港に到着。人々は操縦士や機関士を差し置いて、女性として初の大西洋横断飛行者に注目し、イヤハートは一躍時の人となりました。
 第一次大戦以降の女性の社会進出の動き、大不況に突入しつつある中で明るいニュースを求める雰囲気がイヤハートをスターに押し上げました。女性のリンドバーグという意味をこめて「レディー・リンデン」なるニックネームが新聞に踊ります。この飛行の功労者の一人であるパットナムの出版社からはイヤハートの手記が出版されました。

 イヤハートは雑誌のアドバイザーやライターを務め、航空関係の式典に出席したり、女性パイロットによるエアレースに出場するなどして航空産業のPRに尽力しました。
 またまだまだ危険な乗り物と考えられていた飛行機に果敢に乗り込んだ女性としてのイヤハートは、新しい時代の女性のシンボルともなり、働く女性による「ナインティーナインズ」という組織の初代会長兼機関誌の編集長も務めました。

イヤハートは飛行機をより身近に感じてもらうため、
飛行服ではなく軽装で搭乗することを好んだそうです。

 1930年イヤハートは協力者であるパットナムと結婚。1932年には赤いロッキード・ベガで再び大西洋に飛び立ちます。今度は自ら操縦桿を握り、単独での挑戦となります。5年前にリンドバーグが単独無着陸横断を達成したのと同じ5月21日にアイルランドに到着し、史上2人目、女性としては初の大西洋単独無着陸横断成功者となりました。
 1935年にはハワイからアメリカ本土までの飛行を成功させ、アメリカ大陸無着陸横断の女性新記録を樹立。また講師として招かれた大学から、ロッキード・エレクトラ機を提供され、これが最後の愛機となります。

イヤハートとパットナム

 イヤハートは飛行機で様々な調査を行いながら世界一周をする計画をたてます。一度は出発したものの事故で再出発を余儀なくされ、計画の再検討を経て1937年6月フレッド・ヌーナン飛行士と二人でマイアミを出発、ベネズエラ、ブラジル、南大西洋とアフリカを横断し、インド、ビルマ、シンガポール、ジャワ、ポート・ダーウィンなど21か所を経由してニューギニアのラエから、ハウランド島への飛行に挑みます。洋上の小島を見失わないよう、島の近くにはアメリカ沿岸警備隊の巡視船が待機していました。途中で悪天候も予想される中、7月2日ロッキード・エレクトラは出発しましたが、予定の18時間を過ぎても到着することはありませんでした。出発から20時間後、巡視船に視界不良と燃料不足を告げる無線が届きましたが、それを最後にイヤハートの乗機は姿を消してしまいました。アメリア・イヤハート40歳、空母まで出動する大捜索でもイヤハートは発見できず7月19日に捜索は打ち切られました。

 こうしてアメリア・イヤハートの物語は幕を閉じました。アメリカの一部の人々の間で、日本軍にスパイとして逮捕されて殺害されたという俗説が信じられているというのは日本人として辛いものがあります。

 数年前、無人島で発見された人骨がイヤハートの物かもしれないというニュースがあり、

 そして今月、イヤハートの乗機が発見されたかもしれないというニュースがありました。

 私事ですが昔書いた小説のヒロイン、カタリナ・ヤハーの名前は、このアメリア・イヤハートのもじりだったりします。

 この女性パイロットのことが少しでも知られれば良いと、以前からその人生を纏めたいなと思っていましたが、今回乗機発見のニュースを見てようやく記事にできました。
 この記事は主に国土社「アメリア・イヤハート」リチャード・テームズ著を参考にしました。児童書ですが、mixi時代に「あるテーマについて手短に良質な情報が欲しければ児童書を読め」と言っていた人がいたので、それに従いました。まあ大人向けの本でイヤハートの本が無かったのもあるのですが。

 以下、この記事のために検索して見つけたサイト色々。

 イヤハートが大西洋単独無着陸横断に成功した際の乗機、赤く塗装されたロッキード・ベガのイラスト

 知らない雑誌でしたが、アメリア・イヤハートの記事

 イヤハートの最初の飛行でパイロットを務めたフランク・ホークスについて詳しくまとめられたサイト

 大西洋横断飛行に挑み遭難した女性飛行家

 リチャード・バードは北極点到達後に、北極点に空いていた穴から地球内部の空洞に入った、というオカルト話があり、特に「リチャード・バード 北極点」で検索すると、地球空洞説を紹介するサイトの方が多いくらいになってしまっています。

 この記事に使用した画像は、スミソニアン協会がCC0(いかなる権利も保有しない)で提供している画像です。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。本業のサイトもご覧いただければ幸いです。


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