【地球市民】言葉に頼りすぎないコミュニケーションを創造するとき
ヒトの話す言葉は地球全体ではマイナーなコミュニケーションであるため、もし、地球全体にいる動植物との会話ができる方法を模索することができたら、私たちは動植物のように共存社会を築ける”地球市民”というメセンを持つことができるのでは?、ということを前回ボソッとしました。今回のボソッともその続きとなっております。
地球の陸上生物の総重量の95%を占める陸の王者として君臨している植物も、土1gだけで地球の全人口約80億人に匹敵するほど存在しているという想像できないほど無数いる微生物も、どちらとも言葉ではなく”物質を使ったコミュニケーション”を行っています。
地球上ではメジャーなやり方であるコミュニケーション方法をヒトも真似をすれば、植物や土壌微生物のような”利他的な生き物”になることができるのでは?つまり、コミュニケーション方法を変えれば、ヒトも”地球市民”のメセンを持てるのでは?というのが、私の妄想です。
ということは・・・人は言葉に頼りすぎたので”利己的な生き物”になってしまったのか?という問いをすることができます。
植物や土壌生物のように、言葉に頼りすぎないコミュニケーションを創造するとき、ヒトは次の段階へステップアップすることはできるのではないでしょうか?
言葉によってヒトは文明を築いた
まずは、言葉と人類についてボソッとしたいと思います。
なぜ、人類は言葉に頼りすぎたコミュニケーションをとることを選択したのか?
なぜなら、言葉を発明してから、人類は言葉から多大なる恩恵を受けてきたからである。
そのことについて教えてくれたNHK番組『ヒューマニエンス』「言葉」では、言葉こそが文明の生みの親であると断言しています。
例えば、「弓矢」は言葉が無いと発明できなかったということを検証していました。
弓矢というのは鏃を矢に接着し、さらにそこに矢羽根を接着するなど複雑な構造をしており、その複雑な構造は人間の言語の階層構造に匹敵するという。言葉の階層構造を既に有していたことから、このような弓矢を作るなどの複雑なことが出来るようになったのだという。
弓矢の複雑な成り立ち”弓矢の構造”=言葉の階層構造
このように人間は言葉を使って物事を考える生き物となった、つまり「人間の思考は言葉によって深まった」ということです。人間が駆使する言葉。それはコミュニケーションのツールであるが、一方で脳内で言葉で考えることによって論理的に高度な思考を出来るようなったという側面があるそうです。
言葉に頼りすぎた結果、起きたこと
言葉によって力を得た人類は・・・
NHK番組『ヒューマンエイジ』「第二章 戦争」で教えてもらったのですが、「活版印刷技術」が進化したことで戦争を深刻化させたことを、ジョージ・ブラウン大学ダニエル・ホイヤー博士らは15世紀以降3000回を超える戦争や紛争の死者数のデータから分析して判明させました。つまり、技術革新と言葉の力によって、戦争が拡大したことを歴史は教えてくれます。
このような歴史背景もあるからこそ、養老先生こと、養老孟司さんは言葉についてこのようにおっしゃっています。
言葉に頼りすぎる人間の中で、虫たちは変わることがないモノサシとして、一本の揺るぎない信念をもって養老先生は虫を頼りにしているとおっしゃていました。養老先生のお言葉からは、いつも新たな気づきを頂いております。
平和にするため身体を使ったコミニュケーションを大事にする
NHK番組『NHKアカデミア』にて人類学者の山極壽一さんも「言葉には集団の共感を暴走させてしまう」とおっしゃっています。
そのうえで、暴力と戦争を、どうやって抑止したらいいのかということに対して山極さんはこのようにおっしゃっています。
そして、言葉に頼りすぎないコミュニケーションを創造するときに必要なことを山極さんはこのようにおっしゃっています。
人類が平和になるためには、言語中心のコミニュケーションではなく、身体を使った同調コミニュケーションの場を増やすこと、さらに、そのような場を設けるためには、自由に集まってコミュニケーションをとれる場として「シェアリング(共有)」や「コモンズ(共有財)」を拡大させることで、みんなで助け合う社会を築くべきだと山極さんはおっしゃっておりますが、そのことに私も共感します。
勝ち負けではなくて互いに対等につきあえるような社会を築く、まさにそれこそ”利他的な生き物”である植物や土壌生物が築き上げている世界と同じ。
言葉に頼りすぎないコミュニケーションを創造するとき、私たちは次のステップに進化できると私は信じています。
人間は技術革新によって植物や動物、微生物たちの”物質を使ったコミュニケーション”を理解できるようになったとき、私たちの価値観は”地球市民化”へ向かうと思っております。
もちろん、技術革新を待たなくてもできることがあります。まずは私たちのコミュニケーション方法を見直し、コモンズを拡大しながらお互いが共感を得られる場や時間を増やすことによって、動植物のような”利他的”な生き方を模索することから始めたらどんな社会へとなるのでしょうか?という問いで、今回のボソッとを終わらせたいと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?