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リベンジ・オブ・ポケット・ティッシュ

フライヤーとはいわゆるビラやチラシのカッコいい言い方である。

そして俺たちバンドマンは、太古の昔より、フライヤーを撒くことを伝統芸能としている。


2019.10.08 @渋谷WWW

今から1週間前。
久しぶりにバンドの自主企画、"渋谷大賞典"を開催した。

共演にはteto、HINTO。
会場は渋谷WWWというゴージャスかつデカめの箱だ。

この日に向けて、俺は約1ヶ月前からフライヤーを撒いていた。


初めてフライヤーを撒いた日を覚えている。ディスジャパを結成して間もない頃だ。

"THIS IS JAPAN EXPO"と書かれた、珍妙なフライヤー(水元がデザイン)を配ることは、なかなかに勇気が必要だった。

当時はライブハウスに通い始めた頃で、友達も少なく、マナーや空気も探り探りだった。

おそらくその頃は、挙動不審という言葉を辞書で引くと俺の名前が載っているに違いない、そんな時期だった。


しかし、フライヤーマンは一人ぼっちではないのだ。

同じような輩が終演直前になるとライブハウスの出入り口付近にたまり始める。

前髪が長くやたらと細いこれぞバンドマンな人もいるし、いわゆるサブカル女子や、モロ業界人みたいなオッサンまでその面々は様々だ。

ひとしきり配布が落ち着くと、恒例行事・フライヤー交換会が始まる。サラリーマンの名刺交換とほぼ同様のものだ。

交換したフライヤーを見て、知っているバンドがいたりすると話は早く、海外旅行先で出会った日本人同士のように会話が弾む。

あっという間にフライヤー友達。

こうして、フライヤーマンのネットワークは広がっていく。



フライヤーを配っていると、必ず思い出す出来事がある。


大学4年の夏。

時間はあったが金がとにかく無かった俺は、様々な日払いバイトをしていた。

中でも、忘れ難いバイトがある。

バイトの名はティッシュ配りだ。

その軽やかでファンシーな響きとは裏腹に、俺がトライしたティッシュ配りは異端中の異端、ゴリゴリにダーティな仕事だった。

電話で友達と恐る恐る申し込んだ。

3回呼び出し音が鳴り、「ハイ」とドスの聞いた声が返ってくる。
圧がすごいです。

持つ手が震える受話器の向こうで話す、ぶっといローミッド・ボイスの男性は、俺たち2人を早々に事務所に呼びつけた。


地下1Fの薄暗い事務所、積み上げられたティッシュの山。

俺たちとは確実に異なる世界線の匂い。

革張りの椅子から覗く大きな背中が、こちらに振り向く。

食物連鎖の頂点に君臨するであろう肉体と殺気を纏ったお兄さんとご対面。

「とりあえずコピーとるネ!」と、俺たちは個人情報満載の学生証を開幕早々、人質に取られる。

一度目の走馬灯がめぐる。

そして業務説明。
内容はティッシュを配るだけの簡単なものだった。

安心して顔がゆるんだのも束の間、お兄さんの野太いローミッド・ボイスが再び鳴る。

「ズルしちゃだめだぞ?
この前ズルした子は、○○を○○しちゃったからね!はは!ちゃんとやってね!」

二度目の走馬灯。

みんな、今までありがとう。


戦場に駆り出された三等兵ティッシュ配りの2人組。見張りの青白い顔をしたお兄さんも同行。

都会のど真ん中が戦場だ。

人生であんなに一生懸命にティッシュを配ったことは、後にも先にもないだろう。

命を懸けて俺たちはティッシュを配り続けた。
断られても、無視されても、こっちはそれどころではない。

「なんとしてでもティッシュを捌かなければ、後がないんや」

野球少年の素振りのようなひたむきなストロークと、生徒会長のようなまっすぐな声で、朝から晩まで俺たちはティッシュを撒き続けた。
それはもう、撒き続けた。


今まで俺たちの汗と涙を拭ってきたティッシュが、その日、俺たちに汗と涙を流させた。


ポケット・ティッシュの逆襲



フライヤーを配るとき、俺が他の人よりも少しだけ貰ってもらえる理由は、この経験に由来していると思われる。

命がけではない、かもしれないが、今も自分の人生を載せてフライヤーを撒いている。少しでも自分の気持ちが伝わればいいなと祈りを込めている。

こんな便利な時代にフライヤーを撒いている他の人もきっとそうだろう。

また名刺交換しよう


#バンド #バンドマン #バンドマンの日常 #THIS_IS_JAPAN


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