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エッセイその70. 小さなタイムカプセル(6) 青林堂・ガロ・白取千夏雄さんのこと(下)

2021年3月17日の今日は、白取千夏雄さんの4回忌になります。
思い出ぐさに、過去ブログを再録し、ご冥福をお祈りします。


2018-07-21 12:09:17

テーマ:つれづれ

白取さんについての最後の回です。
ちょっと長いです。


結婚や出産を機に生活も行動も変わり、
昔の仲間とは疎遠になっていましたが、
子供ができてから連絡をもらい、
谷田部さんとは薄いつきあいが復活していました。

彼も青林堂を退職したり、いろいろ大変なことがあったそうです。
電話もやがて間遠になり、そのうちに連絡がつかなくなりました。

最後の方の様子がとても気になるものだったので、
白取さんに連絡をとりましたが、

「懐かしいっすね」
「また呑みましょう」

とはおっしゃったものの、彼も谷田部さんの行方は知りませんでした。

かつての他の仲間たちも、谷田部さんのことを知る人はいませんでした。
連絡をとっているうちに、
私の知らなかったこともいろいろ入ってきて、
逆にもっと心配になりました。


2015年3月、もう私たち一家は名古屋に住んでいましたが、
間欠的にあの頃を思い出すものですから、
また白取さんのサイトを覗きに行きました。

その時初めて、やまだ紫さんが、
2009年の5月5日に亡くなっていたことを知りました。

と同時に、京都に居を移していた白取さんが、
難しい病気で闘病中であるということがわかり、
連絡をとって良いものかどうか、随分迷いました。

闘病のブログがあまりに壮絶なものだったからです。
そんなところへ、「懐かしいですね」というようなことを
言いにいっていいとは思えませんでした。

ブログ更新のたびに読ませていただきながら、
長い間迷いましたが、思い切ってメールをしてみますと、
すぐに返事がいただけました。

いま、2015年の3月の日付のそれを見つけることができました。

「懐かしいですね、お元気ですか?
その切はいろいろお世話になりました。
とかよそよそしい挨拶をするより、ご記憶にないかもとかご冗談を(笑)!
楽しかったですよね、あの頃は。」

と始まっています。

途端に、みんなで歌ったり、
こたつで再現なくごろごろしていたり、
ほろ酔いで 人通りの絶えた神保町のすずらん通りを、
みんなで歩いていたりの、
みんな若かった、楽しかったころを思い出しました。


以下、いただいたお返事は私信ですので
ここにそのまま再録することはできませんが、
こんな部分がありました。


・・よく飲んでよく歌ってよく遊んでいましたね。
大人になってからの青春みたいな思い出です。
仕事もして、ちゃんと遊んで、という充実感みたいなものもあり、
今思い出してもみんなの笑顔しか浮かんでこないです。


私も全く同感です。

お見舞いの方は、もう少しよくなってからということでしたので、
私はそうなったら絶対、京都に伺うつもりでした。


白取さんとの最後の会話(メールですが)になった部分だけ、
思い出のために載せたいと思います。
お許しください。


「いや本当、お会いしたいですね。体がマシになったらぜひ。
出来たら一杯やりたいですよね。
ではでは、また。お気軽に。」


そんな日が必ずあると、信じようとしながら、
読んでみる闘病ブログは、刻々と壮絶さを増すばかりでした。


奇跡を祈る気持ちになっていましたが、
白取さんは2017年3月17日、51歳で亡くなりました。


1年以上遅れて白取さんの訃報に接したのが、
日本中がうだる暑さの、今週のはじめです。


冷たく出来上がったぬか漬けを切りながら、
薄暗かった西銀座デパートの地下街の通路、
もうなくなってしまった「いかだ」のコケシののれん、

「ぬか漬けってこんなにおいしいんだね!」

と言いながらみんなでつついた小鉢。

「ちょっと、そっち側にいないで!」

と言いながら、タイトスカートをたくし上げて、
深夜のビルの柵を乗り越えたこと。

そんなこんなを不思議なほど鮮やかに思い出しました。

もう何年も思い出さなかったのに・・
と、不安を伴う胸の締め付けを感じてGoogle検索をして、白取さんが、もう1年以上前に亡くなっていたことを知りました。

最後のブログは亡くなる3日前の3月14日、
新薬の投与ができたというご報告でした。

その時点で、音声入力しかできないともおっしゃっています。

クラウド・ファンディングもその数ヶ月前にできていたので、
ちゃんとブログをフォローしていたなら、
いくばくかのお手伝いも遠くからできたでしょう。

いろいろ悔やまれることが多いです。


以上、そんなに深いつきあいのあったわけでない私が、
彼の若い頃のほんの数年をご一緒して、
彼から受けた印象や、大人の「青春」について、
思い出せることを漫然と書いてみました。

彼をよくご存知の皆さんからは、

何を言っている

とお叱りを受けることと思いますが、

切れ者の編集者であり、
素敵なやまだ紫さんを魅了し、
その最期まで一緒に駆け抜けた人であり、
ガロの変遷に伴い、大変な思いをした、

という、皆さんがご存知のこと以外の、
白取さんについてのこぼれ話を、一度は書いてみたかったのです。

9月には、白取千夏雄さんについての本が出版されます。
またお知らせするので、ご興味があれば、手にとってみてください。

白取さんは北海道の出身です。
「千夏雄」と、彼にぴったりな素敵な名前をつけられたご両親はもちろん、
私たちはみな白取さんに、
千も二千もの鮮烈な夏を過ごしてほしかった。

白取さん、やまだ紫さん、杉浦日向子さんと、
私が若い頃に傾倒した皆さんが、みな鬼籍に入られました。

みなみな、四十代から六十そこそこでこっちから旅立ってしまいました。

谷田部さんの、

「あいつ器用でさ、ロットリングで仕上げしたりするんだよ」

「ああ見えて白取くん、やまださんにメロメロ」

なんて言っていた声が聞こえてきます。

みんなお酒が強かった。

もう一度喋ることができたら、やっぱり、

「今度落ち着いたら呑みましょう」

って言われそうな気がします。


白取さん、大変な闘病お疲れ様でした。
ゆっくり休んで、やまださんと酌み交わしてください。

私とも乾杯してください。


過去ブログからは以上です。

勝手に書かないでくださいよぉ、って怒られそうですね。
彼の出てくる本や、彼の闘病ブログは、ちょっと辛くてまだきちんと読めていません。大人の事情満載の、ガロの終わっていく歴史は、部外者の私は、各人が書き残したものをこわごわ辿るだけですし、神田神保町の材木屋の2階にあった青林堂も、入れてもらったのは1回だけです。
けれども、若かった私のある数年に、大きな跡を残したみなさんとの付き合いでした。
この先も忘れることはないと思います。

長々おつきあいいただき、ありがとうございました。


サポートしていただけたら、踊りながら喜びます。どうぞよろしくお願いいたします。