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組織的な腐敗

3月はロッテや仕事やいろんなことのnoteを書くぞ、と息巻いてましたが、ろくに時間が取れず、きづいたらもう中旬です。

さて、今日からなぜか発足された草野球チームの練習が始まります。
ことの発端は、行きつけの居酒屋で集まるプロ野球ファンたちが、「野球チーム作れるのでは?」となったことが始まりで、その後、勢いでマジで野球の練習をやることに。

チームのモットーは
野球を楽しんでうまい酒を飲む
という、これまた私好みのものになっています。

チームは経験者1.5割、他未経験というドラベース以下の状態から始まります。
どうなることやら…。
(最初の練習で挫折して解散したりして)

そんなこんなで草野球チームをやるのもこれで4チーム目になるわけですが、チームを回していくのにも手慣れてきたものではあります。

が、どうもチーム運営というものはうまくいかないという過去をここに書いていければなと思います。


1チーム目での話

1チーム目にて、初めて地元の友達たちと野球チームを作ろうという流れになり、高三~大学生あたりでスタートしました。

が、今ではもう活動していません。
そこに至った経緯と起きたことを述べます。


チームとしての崩壊

まず、人数が徐々に大所帯になっていった結果、派閥的なものがチーム内に巣食い始めました。
「俺らは俺らで練習をする」「あいつらは自分のことを話してくれない」「知らない奴が入団してきた」
といったような、 不協和音はだんだんと大きくなります。


報連相ができない

次に、チームのトップに立っていた(過去形)人が報連相が迅速かつ明確にできなかったことも組織の腐敗につながりました。
その後にも、「俺が代わりに色々こなす」と言った人物も、多少のアクションの後に何も動くことがなくなり、「じゃあ誰がトップなの?」状態が続きます。
後者の人物も自分が抱えたものが予想以上にデカくて、こなすことができないと察した時点で、誰かに助けを求めるなり、その職を降りる旨を述べることが報連相だと自分は思っています。


思惑の違い

首脳陣を7~8人近く擁立したことも間違いであったのではないか、と時に思います。
最終的にそれぞれの思惑の違いも組織の崩壊につながったと思います。

また、思惑の違いにつながった出来事がひとつ、個人的に浮かぶのは、そのチームで初めてサヨナラ勝ちを決めた試合です。
その試合では、普段活躍できなかった選手が輝いて勝利をおさめると言った、プロでもたまにある感動する試合でした。
そこに「参加したもの」「参加しなかったもの」でチームに対する温度感の差が生まれていったような気がします。
前者は、より一層チームが勝って楽しめるように、より試合を組めるように、人員を増やそうと画策したりしました。(自分ですが)
後者は、結果的に「このチームで勝つ喜び」を享受できなかったこともあってか、変わりつつあるチームにクエスチョンマークを出す人も散見しました。
最近の少年野球の指導において、チームを上げるなら、全選手試合に出した方が、勝ちを分かち合えるとかなんとか聞きましたし、当てはまっていると思いました。
(余談ですが、ボビーバレンタインも勝ちゲームにこそ選手を出しまくっていたとか)


そんなこんなで僕の1チーム目は組織として朽ちてしまった感じですが、それは会社でもチームでもサークルでもよくあることなのかなぁと思ってます。
いずれ組織に寿命はくるので、プロ野球と違って組織内の入れ替えができない状態であれば、滅ぶのを待つのみかと思います。
こればかりは「誰が悪い」「誰のせい」というわけでもなく人間と同じ寿命なものだと思うので、仕方のないものだと思います。


最後に余談ですが、「組織的に腐敗したチーム」というワードは、その居酒屋で1チーム目のことを語ろうとした時にふいに湧いたワードです。
そこから今回のことを書いておこうと思いました。


P.S.
いきなり練習で腰をいわさないようにしたい


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