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生体腎移植のその後~


ドナーとしての生体腎移植が無事終了して、早丸二年を迎えようとしています

当時の日記のようなつもりでnoteに残してあったドナーとしての生体腎移植後からの生還日記をこちらに残したいと思います。


この画像は私の二つあった時代の腎臓です。大きい方の正面右側をママにあげたみたいです。


まえがき

手術からもうすぐ1ヵ月経過ですが、ようやく体力も回復してきたので私なりに想像していたドナーを無事済ませた感想と、体感、そして現在の心境を書き残したいと思います。
(2021年12月31日 23:33)


いよいよ移植へ


③が腹腔鏡の穴で①と②が③から取り出した腎臓を出す切開線です。


私より一週間早く入院したママに付き添い入院手続きをします。

その日はママの入院手続きのみと思っていたら、手術の詳しい説明を各ドナー(腎臓摘出)とレシピエント(腎臓移植)担当医から手術の流れと術後の主な注意点の説明を聞きます。

既に理解していた手術内容と、リスクではありましたが、いよいよ本番と言う事で更なる具体的かつリアルな説明に、ラストは、あらゆるリスクに対しても理解したというサインに署名。

いよいよって感じの戦闘モードです。



幼馴染みっちゃんの反対


その後私自身は一旦自宅に帰ったものの、自分が入院するまでのこの1週間が想像以上にナーバスな心境になりました。

理由は言うまでもなく、いよいよだと言う事実と逃げようのない現実。



そして何より幼馴染で若い頃からお母さん大好きっ子だった親友みっちゃんに直前のやり取りで移植手術を止められたこと。


みっちゃんはハッキリとこういいました。


「私は反対。」直前でもいいから「辞める」と断ればいい。

「万が一のリスクを考えたら例え母親の為とは言え自分の腎臓をあげるだな

んて私には出来ない。だから私は反対、少しでも迷う気持ちがあるなら止め

た方がいい。」

直前で辞めるだなんて言える訳ない。

親子関係可笑しくなるって!と言う私に

「そんな事ない。オバちゃんだって分かってくれると思う。そんな事で怒るわけない」

と言うのです。



唯一移植に反対した、みっちゃんのこの言葉に激しく動揺し、本当に直前には辞めたい心境50%?もしくはもう少し高い数値に到達。

ヤベー私( ゚Д゚)

それでもココまでの道のりも結構長く紆余曲折あり、ようやくゴール目前の移植手術を迎え、既に入院体制のママに気安く「やっぱり手術辞めたい」などと私が言いい出せる訳もなく、当日を迎えます。(当たり前)

でも、私の僅かでも迷いのある心の内を見抜いたように「止めたらいい」と止めてくれたみっちゃんには感謝。何か知らんけど嬉しかった。何か分からんが嬉しい気分でした。



父親にこの事を言うと


「みっちゃんに移植辞めといたほうがいいって言われたわ。私なら母親であっても腎臓あげるだなんて出来ない」


って言われたわ~とこの事を云うと父は
笑うのみ、まともに取り合ってもくれません。

それどころか



「ここまで来たんだからヤルだけの事するしかないやろ」



と止める気配ゼロ

結構複雑な心境でしたが、まぁそりゃ~
そうだわな、と反論の余地無し状態。

逃げ道は無し!





いよいよ私の入院に


入院前の説明でもらった紙反対だけど


モヤモヤした気持ちのまま1週間後を迎えいよいよ入院に。


その2日後が手術日でしたが、それまでに入院して、即利き手に大きな点滴を打たれ手術日から術後4,5日まで入れっぱなし。




2日目の手術前日の夜から絶食で水やお茶しか飲めない状態に、もうこの頃になると半分以上開き直り、どうにでもなれと言う心境。


何て事になってしまったんだ、という土壇場での後悔も入り混じりかなり、モヤモヤした心境に。



振り変えるとかなり個人的にはナーバスな精神状態になっており、かなり不安で、ネガティブな感情で胸がいっぱいに。



とは言いつつ、流れ作業の如くスムーズに手術日を迎えることとなります。



まな板の上の鯉


手術は朝一の8時半からのスタートで当然、順番はドナーである私が先で
す。


前日から絶食でしたが飲み物だけはお茶か水を許されていたので、飲んでいましたが朝の5時?5時半?位から全ての飲み物もストップに。


そして想定内だった病院で受ける(他人に)初めての浣腸も看護婦さんにしてもらいます。


恥ずかしいもクソもありません。


ただただ流されるように誘導に従うのみの無の境域。

それらの一連の作業が終了し、いよいよ看護婦さんに付き添われ初めての手術室に連行。



初めての、手術は想像以上に大きな手術室に、今回の手術に参加してくれる医療関係者10人程に囲まれ独特過ぎる雰囲気に。


そう、この雰囲気の中、半裸状態で手術台に乗らされた私は、まさにまな板の上の鯉状態!


麻酔科の先生に挨拶を受け、下着を脱いで背中に麻酔の針を打たれ、その後口に吸引機?のようなテレビで見た事のある器具を充てられ



「深く息を吸ってください」

「2回吸ってくださいね」


そして私の記憶はそこで途絶える…
お酒飲めないからか麻酔の効きは抜群…



これ以降一切の記憶無し!全身麻酔で意識不明の状態に突入。


無事手術が終了して看護婦さんの声で起こされ、



「こちらに移動してくださいね」と誘導されベットに移動。



私の身体は1つの腎臓に


その後はまだ全身麻酔が残り意識朦朧の中、父と弟が部屋に入ってきて声をかけられる。


時刻にして予定通り午後14時半。結構長い。

朝8時半から14時半に病室に戻ったので、きっちり6時間の記憶が無い間に、この間、私の40数年間体内にあった腎臓の1つは取り出されました。



ママの腹の中に!


それにしても今思えば6時間って長いし、その間、全くの意識不明状態で我が体を移植の為とは言え、不特定多数の全くの見ず知らずの人間にアレコレ
弄られたのでしょう。



医師らであり、他もそれに準ずる看護師のみとは言えとは言え、ある種の恐怖を感じてしまいます。





母親への腎臓装着


ドナーの腎臓摘出よりレシピエントの、腎移植の方が手術時間が長いと思っていましたが実際は逆でした。


理由はドナーの私は腹腔鏡手術で術後のダメージを最大限抑える代わりに、大きく開腹して行う手術よりは、どうしても時間がかかるそう。


摘出する腎臓を浮かした状態にして腹腔鏡で剥離し尿管を切除して切除した部位を縫合。

ここまでのステップに時間がかかり、それが全て完了して初めて腎臓摘出の為の切開をして腎臓摘出します。


もちろん腎臓摘出した後には少ないとはいえ(いう程少なくもない10センチ弱)傷口の縫合をして全ての手術を完了。



私の腎臓取り出しが完了したと同時に次は、へその横を大きく開腹した状態でママの腹部全面に生着する手術に取り掛かります。


ちなみに母の手術は私が14時半に終了して14時くらいに手術室に入室し手術終了は16時だったそうです。


私が6時間の手術だったのに対して、母は2時間の手術。



これには意外だなって思いましたね。


普通に素人考えで腎臓と尿管を移植する
手術の方が時間がかかると思っていました。


やっぱりあった悶絶タイム


術後のお腹の傷


しかしホットしたのも束の間、意識朦朧の中、徐々に明確になる意識と共に直ぐに感じ出した術後の苦しみでした。



本音で言いますが、個人的にドナーとして、大変だったのは術後でした。




何と言っても手術中は6時間かかったとはいえ、その術中の記憶は麻酔以降一切の記憶が無いのです。



全身麻酔の恐ろしさは静脈麻酔とは違い、全く意識が無い中での手術故、どれほど体内を切り貼りされていたとしても全くの無痛。


ドナーの苦痛は意識が戻った術後が何より大変。

特に術後24時間は何とも形容し難い苦しみで、今まで経験した事の無い悶絶レベルの激痛との闘い。



激痛、とにかく僅かに身体を傾けるだけでも、一苦労で理屈抜きに痛い。


痛い痛いと24時間涙を流したのは生まれて初めて。


何故こんな事になったのか?(自分で立候補)

何故こんな想いをしてるのか?(自分で立候補)

このまま無事元の身体や生活に戻れるのだろうか?(以外に早く戻る)



永遠に感じるレベルの激痛と睡魔が襲うも寝ようとすると、激痛で寝付けず繰り返しナースコールを鳴らし背中の麻酔を看護婦に追加要求しまくりです。



体は高熱が続き、激痛も続く。


全身麻酔の影響なのか術後24時間は水1摘飲ませてもらえず、意識が明確になる程、生汗の出るような感じた事のない猛烈な違和感と激痛。


手術前から術後もあまりの激痛で、ほぼ何も食べられない状態。



術後初ウンチはムンクの叫び!


食べ物も飲み物もまともに口にしていないにも関わらず、入院後から入れ続けている点滴の影響なのか、尿意はカテーテル挿入で問題無いが問題は便意。


術後意識不明な中、勝手にセッティングされていたオムツ完備とは、言えオムツの中にウンチはしたくない、できない。



だけど元々軟便でかなりな快便の私は、万年便秘症の母とは違い漏らしたら、一大事。


ちびったら大ごとになる。



完璧な便意のカウントダウンを察知して、術後まもなく激痛とはいえ、漏らして若い看護婦に迷惑をかけるわけにはいかない。



「ウンチだけはちびる訳にいかない」


の気持ち一心で、それこそ1人全身汗だくで

全身麻酔の影響で声も出ない中1人、唸りながら

激痛を堪え、かなりの時間をかけて起き上がり

尿道カテーテルやら背中の麻酔やら点滴やらを

引きずってトイレに到着。



努力の甲斐あり、何とかウンチちびりを回避する事ができました。後にも先にもこの時のトイレまでの時間が永遠に感じられる長さでした。


本当に痛くて苦しかった。


本格的な術後の経過


手術前の点滴入れっぱは腎臓浮かせるためだったみたい腹がパンパン



術後1週間でドナーは退院。1週間で激痛は、軽減されるだろう
と考えていました。



ネットで調べた経験者談や、医師からの事前の説明でも1週間でかなり軽減されると聞いていたから尚更です。


ただ、当然個人差はあり、あくまで予想に過ぎませんでした。


私の場合、想定外に術後の麻酔の影響か、身体中に発疹は出て痒くて痒くて掻きむしる状態だし、3日間の高熱にほぼ食べていない状態にも関わらず過去最大の驚きの増量で体重は入院から7キロ超え。(点滴の影響)


過去見た事がない体重で54キロになっていたのです。

そしてお腹は腎臓を出したにも関わらず、妊娠5ヵ月の妊婦のようなポッコリ出っ張ったお腹の張り具合。


そのお腹の張りが苦し過ぎて夜も寝付けない程、圧迫感が強かったのを
今でも明確に覚えています。(今月の話だから当然)


とにかくそのお腹は今でも妊娠5ヵ月から、3ヵ月くらいに減りはしたものの体重も54キロから既に45キロに戻ったのでお腹が妊娠3ヵ月なのは、間違い無く手術の後遺症。


そして切開した傷周りの麻酔が、術後1ヵ月経とうとする今もジンジンしています。



時間と共にだいぶん痛みや、妙な痺れに似た皮膚の麻痺感覚はだいぶん軽減されてきましたが、それにしても未だにお腹は妊婦風。



生体腎移植の結果


今回の目標だったママへの移植の腎臓生着は大成功しました。

人工透析を長くしている人の中には、移植した腎臓が直ぐには生着せず移植したにも関わらず、尿が排出されないと移植後であっても、腎臓が生着して尿がしっかり出るまでの期間、2週間程時間を要する人が居るそうです。


どうゆうことかと言うと健康な腎臓を移植したにも関わらず、尿が出ないから透析続行の必要がある人も少なくないらしく、その情報を入院前に仕入れていたので酷くママは移植手術に戸惑いを見せていました。


でも結果オーライで手術は大成功。

これが何よりの嬉しい結果となっています。



私の腎臓は移植後、何の問題もなく、ママの身体に生着して術後直ぐに尿は脈々と出ています。



あまりの順調な腎臓の生着ぶりに担当医が驚いていた程だったそうです。


だから手術前の一時の迷いで、辞めなくて良かったと思います。(当たり前)してたら家族崩壊しそう…

でも思っていた程軽い手術ではなかったのも事実。


ママをあの人工透析から離脱できる唯一の、根治治療が腎移植しかなかったのだから、それに成功したという事で一応は結果オーライと言う事。


これでママの寿命は少なくとも透析を続けていた時よりも間違いなく延命出来たのではと自己満しています。

ちなみに腎移植の5年生存率は98%

透析患者の5年生存率は60%です。
日本腎臓学会:引用




あとがき

透析を3年3ヵ月続けていたママは、素人目の私が見ていても良く頑張って後2年持つかな、と言う程に日に日に体力が衰えていました。

だからそこを回避できたのだから当初の目的は、見事に完了したんだと思い今年を締めくくろうと思います。

後にも先に人の為に痛い想いをするのはこれが最後のハズ。

そしてママが残りの人生を楽しく全うできますようにと願いを込めて。

みなさん糖尿病にはくれぐれも気を付けて下さいね💖




医師も絶対ではありません。何等かの大病を患ったら個人的には必ずセカンドオピニオンを受ける事をおすすめします。その理由を記事にしました↓


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