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美心 ーbijinー #0.17〜身近な人との死別を経験して知る「生」〜

みさこ:でもやっぱりあれだよね。茉莉ちゃんも私も、身近な誰かを亡くすっていう、大きな痛手を負って、生きるってなんだろうって言うのを見つめなおした時間って言うのもあるだろうね。


茉莉花:25歳で父が他界したとき、いつも自分が誰かに決めてもらっていた人生を歩いてることに気づいた。自分で決めてやってきてない、誰かの意見をもとに決めてきた人生。自分で人生を決めて、自分で人生を創っていなかった。私って何もないなと気づいた。すごくなんか人生について考えたし、般若心経の本とか、いろいろ買って。


みさこ:わかる。私もお寺の説法を聞きに行きたくて。だから瀬戸内寂聴さんの本とか読んで、すごく慰められたりもしたし。そういう「別れ」とか「生きる」とか、人生をどうムダにせず、なあなあで生きないようにするかって。それまで私もなあなあで生きてたもん。


茉莉花:なんとかなっちゃってたってかんじ。人よりいいポジションやそれなりのところ取れてたり。


みさこ:先祖のおかげなのかわかんないけど、私も大して苦労もせずに、行きたい学校に受かって、高校も大学も就職先もなんとなくいいところに入れて、とか、トントン拍子できていたなって思う。


茉莉花:身近な人が死ぬって経験って、本当に想像していた以上のもの。


みさこ:喪失感もそうだけど。命ってなんだろうって、なんだったんだろう今まで生きてきた私って。あまりに無知だった自分に茫然自失とした。


茉莉花:不平等とかもすごく感じちゃって。


みさこ:わかる。それは思った。


茉莉花:悪いこともせず生きてきた人が、がんが見つかって半年とかで亡くなって。こういう最期を迎えるって、じゃあ人生ってなんだろうって。


みさこ:わかる、わかる。私の彼は22歳の誕生日に亡くなったから。そうなんだよね。でも最期のかたちはどうであれ、その人がそれまでに命をどれだけ輝かせて生きていたかっていうのを周りの人が知っているだけで、それが慰めになったりするじゃない?そういう自分でありたいなっていうのも出てきた。私が死んだときに、周りの人に、みさちゃんはものすごく楽しそうに生きていたよ、輝いていたよって。そういう記憶を人に残していけるのがいいかなって。


茉莉花:そういうのがあったから、より誰かの記憶に残っていきたいというのがあるよね。


みさこ:どういう自分でありたいか、どういう自分で終わりたいかというのも、自分を輝かせるというか、生きるモチベーションみたいのになっていくのかなって思うな。


茉莉花:そこをどう引き出していくかだよね。ある意味、身近な人との死別は究極の経験。生きてなきゃ何もできないし、それこそ命なんて本当にいつなくなるかわからないというのを、身をもって知っているから、そこをどうやって伝えていくかだよね。


みさこ:やっぱり今でも災害や事件で命を落とした人を思って何年経っても泣いている人たちは絶えないわけだけど、「今頃何歳だったのに」「生きてたら~だったのに」とか周りの人はいろいろ嘆くじゃん?もうそういう事を周りの人に思わせない、言わせないくらい、生き生きした自分で終わるのが、やっぱり周りの人も楽だろうなって思う。


茉莉花:そうなんだよね。結局痛みって、自分にしかわからない。周りの人には伝わらないから、理解してよって思ってもね。ま、これはまた続けていく上で、こういう人生を送っている人がいますっていう感じで内観のキッカケ作りで紹介できるといいかもね。


TEXT MISAKO


美心プロジェクトInstagram: http://instagram.com/bijinproject88
プロジェクトメンバー:藤城 茉莉花山田 みさこ

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