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「現代アート業界の現在地」について

TBSドキュメンタリー「解放区」#9 〜現代アート業界の現在地〜
を観て、多々感じるものがあったのでこちらに記しておく。

番組の内容をごく簡単に要約すると、

美術史を作るのは美術館
美術館収蔵作品が史実を形成していく
その美術館のコレクションは富裕層からの寄贈によるものが多い
寄贈のメリットは税制の優遇措置があるから
(寄贈することで、作品価値に合わせて、税の控除が効く)
日本の税制は海外に比べて、そこまで旨みがないから、アートコレクター、富裕層や、市場が加熱しにくい
結果日本の美術作品は、海外に流出しやすい
税制をもっと優遇すればいい

という、主にお金とアートの軸だけで語られている内容。


一応、投機的に加熱している日本のアートバブルに対して、警鐘を鳴らしてはいるが、アートの属性の紹介や、本質的な魅力、味わい方はほとんど語られず、
結局アート作品を、資産やファイナンスの視点で考える内容だった。

確かにメガベースの市場の話題が拡散して
我々末端の価値観を刺激するという側面はあると思うけれど、
そもそも「アートはお金になるから楽しいもの」という思考軸がずれている

野球はお金になるから楽しいのか?
サッカーはお金になるからみんなやるのか?
そんなことはない。
楽しいからやるんだ。

美術も同じ。
何か言葉では表しにくい世界を表現すること
それをみた時に湧き上がる、感じる、新たな世界線、価値観、自己発見
それはとても没頭性があるものだし、単純に気持ちがいいのだ。

ただ、日本の美術教育や美術文化は、開国以降これまでのアイデンティティを一旦全部リセットして西洋ファーストに舵を切ってしまったので、

写真のようにデッサンできなければ、「絵心ない」「才能ない」
美術史の知識がなければ「作品を語る資格がない」

といった美術の本来の楽しさとは、はずれた世界線で進行してしまった過去の過ちがあるし

今の日本は美術という分野をなんとか
「興味を持って理解しようとしている」
状態なんだと思う。
後天的に、論理的に、説明的に、言語ベースで魅力を示さなければ安心できない。

それは、まだまだ真に美術を「楽しんでいる」状態には程遠い。

(現在の自分にとって)すごい作品に出会った時、思いがけないものを作り上げることができた時、理由や論理的根拠を抜きにして、言語に表しがたい、気持ちよさがある。

それが、美術表現の真の楽しさであると、自分は思っている。

詳しくはこちらの記事にて↓
https://note.com/bijutukaisetu/n/nffd652beaf06

そして、そうやって、(高価なものとしてではなく)自分ごとのように美術の表現や作品について語ることが当たり前になること
その価値観が底堅い文化を形成すると、本気で思っている。

(その結果、あの人すごい!という形で、自他ともに認めるスタープレイヤーが出てきてもいいだろう。というか、アメリカのアートシーンはそういう注目のされ方である。日本は、「○○円だから、アメリカで活躍したから、あの人すごい」という評価の仕方)

映画について語る時、映画史やカメラワークについて知らなくても
大自然に立った時、植物の種類や、気候について知らなくても
おのおのが感じた美しさや、良さを気軽に語るのに、
美術となると何故かみんな文字に起こしたがる。明確な価値をつけたがる。


ごちゃごちゃと描いてしまったが、結論はシンプルで、

「「「美術はお金がなくても楽しいものなんだよ!!!!」」」

曖昧でいい。正体不明でいい。何かすごい。何か綺麗。そう素直に感じることが楽しいんだ。
そのことにより多くの人が気付けば、オーディエンスの母数が増えて、買う側も家具を買うように普遍的に気軽にアートを購入するようになるし、自然とアーティストも作品が売れることが当たり前になって、食っていけるようになると思う。

コレクターが、オークションが、税制が、贋作が...
という世界線があることは、そういう本質的なアートの楽しみ方を阻害していると思うけれど、それはそれでお金好きな人たちに任せるとして、
自分はそういう「美術は富裕層のみが楽しむもの」という世界線ではなく、生活ベースで、癒しとして、刺激として楽しめるアートの見方を紹介し続けていきたいと、再確認した番組だった。

(番組の中で、杉本博司さんの「日本人はもっと日本の文化に自信と誇りを持つべきだ。」という言葉には、すごくジーンときた。そういった文化の形成のされ方、扱われ方については、また改めて別の記事で紹介したいと思う。)


ここまで、読んで下さってありがとうございます。
相変わらずどこかに導くような内容ではありませんが、あなたの中の何か新しい価値を刺激するきっかけになれれば嬉しいです。

2021.8.9追記

作品1つの値段に対して、今みたいに簡単に○千万円,○億円って馬鹿げた値段がつくのは、よりアートを生活から遠ざける、本質的な潮流ではないと思っている。
(というか、セカンダリーという市場がその空虚な加熱を煽ってるんだよなぁ...プライマリーではそんなに馬鹿げた価格で販売されないしなぁ...売るなら買うなよ...)

もちろん世の中の全てのものは、需要が高まれば、値段が上がるというのも事実。
人気アーティストのライブのチケットは高くても売れるし、人気俳優はギャランティを高くしないと出演してもらえない。
しかし、こと美術市場において問題なのは、みんなが好きになっているというより、一部のお金持ちが内輪で投機的に作品の売買を楽しんでいる様な雰囲気なんだと思う。
みんなの需要が高まっているから価格が上がっているよいうより、次さらに売れるから買う。
まさに泡のような価値の付け方。
そのお金の話題ばかりが先行して、表現すること、鑑賞することの楽しみよりも、「アートは一部のお金持ちしか触れられない道楽」という偏見を生む。

もちろん1つ1つの作品には相当な技術の積み重ねと、莫大な材料費や保管コストがかかっているから、不必要に安く買い叩く必要はない。
単純に時間と材料と、技術のバランスで、もっと適正な値段で販売されるべきだと思う。
まあ、まだまだ市場が小さ過ぎて、誰も相場感が良くわからないんだろうなぁ...不動産バブルも弾けて初めて相場が分かった感じだもんなぁ...
結局痛い目見ないと学べないのはどの分野も一緒なのかな...でも、せめてバブルが弾けたときに痛みを伴うのがアーティストって状況だけはやめてほしい。。

追記したのにまとまらないや...
こんな記事書いてごめんなさい...もっと勉強します...

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