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三つの視線


せの君の如何ありやと見ておれば
    火鉢の湯気の立ち上る見ゆ

この間、思いがけなく、祖母の日誌を開いてみた。その中にある、祖父を歌った情景が心に残った。

火鉢の前にすわって、おそらく鉄瓶の湯気を見ている祖父がいる。湯気が立ち上っているので、炭もあかあかとよく燃えている。赤く熱した炭火が、安定した火力で部屋を暖めている。

立ち上る湯気を見る祖父

それを見る祖母
その情景を歌に詠む

その歌を長い時を経て鑑賞するわたし

言葉で残されたものは、言葉を辿っていくとその情景が再現できる装置だ。歌は装置。好きな時に思い出し、鑑賞できる言葉の楽譜。

しかし、火鉢の湯気という日常の一瞬について、

その湯気を見る祖父を歌にする祖母の姿を想像する。

湯気の中に祖父を探す祖母。

また、湯気と火鉢と祖父という言葉の出会いの中に、祖母の姿を探しているわたしがいる。

湯気をめぐって、三つの視線が交差している。
(時間という背景の中を!)

歌を詠むという行為が、視線が交差している場所を生み出す。

表現することの不思議、歌を鑑賞することの不思議を感じている。


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