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『内臓とこころ』を読む。2

『内臓とこころ』を読む。1は、途中で止まってしまって、もう後戻りできなくなってしまったので、もう一度、とりあえず、立ち上げています。とりあえず、って何?と思いますが、助走みたいなもの。とりあえずの助走。

自分の胃袋感覚について考えてみる。
まず、存在の主張を始めたのは身体の中で、胃袋だったようです。不安はいともたやすく胃の不調を連れてくる。胃の存在感が現れて、身体の中心に居座る。胃によって支配される身体。友人のYちゃんがどんな感じなのと聞くので、胃に繋がれている意識を、最近笑ってないな。。音楽も聞いてないし、などと言いながら、電話で説明していたように思う。私はそのとき、父の介護をしていた。介護と言っても、病院にいる父に会いに行くという生活を、一年半毎日送っていた。

胃と言えば、なんといっても
胃と言えば、なんといっても、赤瀬川原平さんの作品群が思い出される。多様な作品の表現形式、いってみれば、赤瀬川山脈の作品の端々に胃袋感覚が滲み出ている。『出口』がそうだし、体壁系の『虫の墓場』もある。

次に、1995年の1月21日から4月2日まで、名古屋市美術館で開催された「赤瀬川原平の冒険ー脳内リゾート開発大作戦」展の最初の部屋で見た、”痛み消しの像”が浮かんできた。正確には、”痛み消しの木彫像”という。そのときは、突然現れた小さな木彫りの像に、どういうわけか釘付けにになった。

              「赤瀬川原平の冒険ー脳内リゾート開発大作戦』展の図録  1995
                                     名古屋市美術館

痛み消しって何だという疑問とアフリカ美術を感じさせる、小さな像は「赤瀬川原平の冒険」展の代表作、目玉商品ではないけれど、いまだに忘れがたい。図録には、十二指腸潰瘍の苦痛を堪えるために制作したりする、とある。だとすると、何体もあったのかなと思う。修行僧のごとく、円空さんのように黙々と彫る作業に没頭して、痛みから遠ざかる姿が浮かんでくる。そのあと、十二指腸潰瘍が悪化して手術を受ける。それを、(胃袋強奪事件)と命名してあるのが、また、面白い。作品のタイトルは重要ではないという考えもあるけれど、作品に無題などとつけるのはもったいないし(と思う
)、赤瀬川作品をみていると、タイトルを付けるという行為も表現の一部のような気がする。この、痛み消しの木彫だけではなく、晩年のトマソン写真に至るまで、ホッとして楽しい題名がついている。”路上のマリア”に”無用の庇窓の夢”に、”真空の踊り場・四谷怪談”、”雨上がりの体重計”、”凹んだ凸・両性具有”、”風のレコード”、などなど。やっぱりタイトルは、誰かと絵について語る時の共通の言語だと思う。「あの、”植物ワイパー”はいいね~、”セメント—フ”って知ってる?」などど、会話出来て、便利で、楽しい。

”千円札拡大図”
赤瀬川原平作品の一番代表的な(全部代表的で、一番はないと思うけれど。)”千円札拡大図”の作品がある。これの本名は、”復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)”という。凄いタイトルが付いている。展覧会では、畳一畳くらいの大きな千円札の前に机があって、自作のテンプレートがズラーッと並んでいた。このスゴイ曲線定規(できるなら、もう一度鑑賞したい。作品じゃなくて定規を見たいって。。定規は図録には掲載されていないのです。)があったとしても、千円札作品に挑むには、”よく見る”程度の秘策でも、何か追いつかない気がする。おそらく、この作品に挑むエネルギーが変換されたものが、この復讐という言葉に出ている。闘う感じに近かったんだろうな~と思ったりもする。この作品は、赤瀬川さん、25歳の時、第15回読売アンデパンダン展に出品されたんだけど、この作品搬入時には、すっかり、手術後の胃も暴れ出していたと思う。

と書きながら、読売アンデパンダン展の熱狂についていろいろと詳しく描かれている『反芸術アンパン』(赤瀬川源平著 ちくま文庫 1994)を探し出してきた。

                    『反芸術アンパン』赤瀬川原平著 ちくま文庫 1994


胃の具合はどうだったのか探していると、もう最初の〈序章 熱と熱の物々交換〉の中に胃の文字を見つけた。

私はそのとき二十五歳だった。その最後の読売アンデパンダンに私は梱包と千円札を出品した。梱包というのはただキャンバスを紙と紐で包んだもので、その日会場に行ってから瞬時に出来た。千円札というのは普段使っている千円札を畳一枚ほどの大きさに拡大模写したもので、これは瞬時にはできず、何カ月も前から徹夜徹夜の連続だった。点の一つ、線の一本にも気を付けながら虫眼鏡でのぞく細かい作業に、しまいには胃痙攣になって倒れたりした。

『反芸術アンパン』 赤瀬川源平著 ちくま文庫 1994
ゴシック体太字は筆者 

これを読むと、よく見る秘策は〈虫眼鏡〉だったんだと分かる。集中して覗く点の一つ、線の一本は、身体中のエネルギーをどんどんと奪っていったんだと思う。点の一つ、線の一本は凶器だったんだ。自虐的で、自己破壊的な作業だったのにかかわらず、表現活動に駆り立てられたとある。その過程と、読売アンデパンダン展に熱狂する時代の表現する人たちの空気がビシビシと伝わってきて、ジーンとなる。


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