【神奈川のこと28】朝も夜もジョン・カビラ(国道134号線・藤沢町田線)

金曜の朝は、ジョン・カビラの声で目覚めるのでこれを書く。

大学生の頃は、毎日、車で通学した。

車を運転して大学に通っていたというと、皆、一様に驚く。平成元年(1989年)から平成5年(1993年)の4年間、バブル景気ど真ん中という時代背景だ。親に買ってもらった真っ赤なユーノスロードスターに乗って通学していた。今の時代ではなかなか考えにくいし、自分の子どもにもそれはさせないだろうが、まあ、そういうことだ。

一方で、東海大学の湘南キャンパスというのは、これまた不便なところにある。一応、平塚市だが、北金目という住所で、秦野市との市境。電車で通学しようとすると、藤沢までバスで出てから、小田急線に乗って相模大野で小田原線に乗り換え、当時「大根」から駅名変更をしたばかりの「東海大学前」で下車。急な階段のある道を15分ほど歩く行き方が一つ。もう一つは、藤沢から東海道線で平塚下車、そこから神奈中バスに乗って40分。大学正門前下車という、実に難儀な行き方しかないわけだ。

必然、車で行くのが一番早いという結論に至る。最初の一年は、それでも何とか電車で通っていたが、2年目からは、同窓会館の横にある月極駐車場を借りて、本格的に車で通った。学校が終われば、そのまま綾瀬市にある中学生向けの学習塾で英語講師のアルバイトがあったので、車でそのままバイト先まで行った。綾瀬市は鉄道の駅が無い街なので、車が最も便利な移動手段となる。

ということで、大学生時代の生活圏は完全に車と共にあったと言える。

そんな車の運転中には、J-WAVEをよく聴いていた。このJ-WAVEは、「バブル時代の申し子」のような存在で、当時、他のFM局に比べてスタイリッシュで都会的、そして国際的な印象だった。

朝、国道134号線を走りながら大学に向かう際は、ジョン・カビラがDJを務める「TOKIO TODAY」を聴いた。ジョンのDJにはしびれた~♡。国際空港の雑踏の音の中、"Air Canada, flight..."とアナウンスが流れる。まるで海外出張に旅立つ朝の空港にいるようだ。ジョンが各都市の曜日と時刻を伝えながら、最後に "Tokyo, Wednesday, 7a.m. , TOKIO TODAY!" と言って番組が始まる。印象的だったのは、海外に電話して直接インタビューを行うコーナー。ジョンがその場で電話をかけて、全編英語でやりとりをする。生放送だから、たまに上手く繋がらないこともあったりする。そんな時はこちらもハラハラするのだが、ジョンは見事にその場を乗り切る。かっこいい♡。

そして、夜、塾講師のバイトが終わり、22時ごろ車に乗り込むと、そこには、夜のジョン・カビラと出会える。「PAZZ & JOPS」という番組だ。パット・メセニーグループの番組テーマ曲が流れ、朝よりもシックな雰囲気のジョンのDJ。番組名はずっと「PATH & JOBS」だとこの30年間勘違いしていた。空いている夜の藤沢町田線を走らせて家路に向かう中、癒された。木曜の夜だけは、FM東京で佐野元春がDJを務める「TASTY MUSIC TIME」を聴いた。

=朝8:58=

時は、平成2年(1990年)11月某平日。遠くに富士山を望みつつ、イチサンヨン(国道134号線)を西に向かってユーノスロードスターは走る。このままじゃ、一限の講義には間に合いそうにない。カーステレオから流れるJ-WAVEの「TOKIO TODAY」は終わりに近づいている。この時間になると、9:00から始まる次の番組のDJ、キャロル久末とジョン・カビラがちょっとした会話を交わす。小粋で楽しい会話。そして、ジョンの "Good day." の一言で番組が終わると、キャロル久末の素敵な声が入れ替わりに聴こえてくる。「俺の一日はこれから始まるのに、ジョン・カビラはもう一仕事終えたんだな。今日はこれからどうするのかな。」なんてことを考えながら、イチサンヨンを右折、花水川沿いを走る。

この時期、「将来」に対する漠然とした不安が、いつも胸のどこかにあった。ジョン・カビラの声に励まされていた。Good day.




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