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マイペンライの行方

私の知る限り1990年頃から「日本人はカネを持ってるからタイ人も多少のことは大目に見てくれたんだよ。それがマイペンライの正体なんだよ」と言われていた。

誰が言ったのかといえばいわゆる買春おじさんやヒッピー諸氏。この二派閥は仲が悪いようで行動は似ていた。タニヤで嬢を連れ出したりサムイ島で麻薬をたしなんだりとやりたい放題。イサーンの姉妹16歳と14歳を母親公認で恋人扱いにして連れ回しその詳細をブログにアップしている今考えると凄い人もいた。それでも冷めた物の見方をする人達も結構いたのだ。

それでも日本人に好まれたไม่เป็นไรマイペンライという言葉。อะไรก็ได้アライコダーイ(なんでもあり)というフレーズも好まれた。「タイはアライコダーイでマイペンライですよね」と酒席で言えばタイ好き日本人クラスタから私は人気者になれたかもしれない。「かもしれない」というのは出来なかったから。酒があまり飲めず社交能力が低めでなおかつ天邪鬼の私は「何がマイペンライだよ、何がアライコダーイだよ。貧乏人の面を小銭でひっぱたいてるだけだろう」と1人ですねていた。10年前は実際そんな人達ばかりだったのだ。

では、タイ人がคำว่าไมเป็นไรマイペンライという言葉に対してどんな感情を持っているかと言うと「良い面と悪い面がある」と思っているようだ。

上に挙げた「マイペンライと言っても内心は収まらない」というタイトルのコラムにはあるタイ女性が「マイペンライと言う時感情を押さえている。そう口にすることで自分を慰めることになるが問題が解決する訳でなく、お互いの気持ちに配慮することになっても相互理解が進むわけではない」と述べている旨が書かれている。

「タイ人でもそんな風に考えている人がいるのか」と思われた方もいるだろう。上のタイ語記事では明確に書かれてはいないが、パワハラやセクハラを受けてもマイペンライとは言いたくはないだろう。ニューノーマルな世界でマイペンライやアライコダーイという言葉が死語になることは無いにせよ意味合いは変わってくることは覚悟した方がいいだろう。

私がタイ語を学び始めたのは1992年のサムイ島で自然発生的に出来た日本人の集まりで「タイ文字は覚えられないですよねー」「そーですよねー」と他の人が話しているのを聞いて天邪鬼が発動し「なら俺が覚える」と決心したところから始まる。英語だけだと(今でも大して出来ないが)欧米留学組に負けてしまうから他の何かを求めていたというのもある。韓国語も初歩程度には習ったが、今は英語も日本語も韓国語も出来るタイ人が多く太刀打ちできない。全員修士号取得者というタイ人グループと飯を食ったことがあるが自分が一番英語が下手で恥ずかしい思いをしたことも。

貧富の差=学歴の差なのはどこの国でも同じだがタイの低学歴層はマイペンライじゃ済まないレベルで勉強が出来ない。日本的(しばしば否定的な意味で使われる言葉ではあるが)な意味での社会人としての訓練も足りない。この辺りは直に見た人も多いだろうが中卒者が日本の小学校レベルにも及ばない。日本人同士なら「学歴は社会に出たらまた別で仕事能力と関係無い」とある程度は言えるがタイではそれは通用しない。そのレベルの人達と付き合っていると高学歴富裕層に見咎められ、付き合いを絶たれることもあるのが悩ましい。マイペンライもアライコダーイも階級社会という厚い壁を乗り越えることは無い。

今はまだタイは「敷居が低い国」として先進国出身なら大卒者でなくとも、大して裕福でなくともマイペンライやアライコダーイは通用するだろう。だが3年後は分からない。それでも日本の厳格さに疲れた人達がタイに流れていく傾向は止まらないだろう。さてその時マイペンライはタイのどこにあるのだろうか。

記事作成の為、資料収集や取材を行っています。ご理解頂けると幸いです。