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美少女の悲劇

今でもはっきり記憶しているが2008年10月、私はカンボジアのシェムリアップにいた。当時はスマホは普及しておらず、写真はデジカメで撮影していた。ただ、今でも表に出せない画像がある。

日本人の仲間数名と行ったシェムリアップ。アンコールワットが予想以上に巨大で晩飯は何故か焼肉だった。多分タイでムーガタと呼ばれるスタイルの焼肉がカンボジアでも普及しているのだと思うが、クメール語で何と呼ぶのかいまだに知らない。

常夏の東南アジアといえども夜は風が涼しい。酔い覚ましにひとりで散歩していると妙なことに気付いた。雑踏の中に老人が全く見当たらないのだ。おそらくクメールルージュに虐殺されたのだろう。なんとも言えない不自然な光景で背筋に寒気が走った。

もうホテルに帰ろうかなと思ったが、タクシー運転手らしき中年のクメール人男性に前を阻まれ、英語で話しかけられた。

「日本人だな」
「そうだ、日本人だ」
「女を買わないか」

予想通りの話を振られてしまった。客を連れて行けばマージンが手に入るのだろう、そのクメール人男性は必死だった。しかし夜中に詰め寄られると恐い。

「エイズが恐いから嫌だ」
「コンドームをつければノープロブレムだ」

今は知らないが当時のカンボジア人売春婦のHIV感染率はかなりのものだった。それでも死ぬまで体を売って家族に送金している女性は多かったのだろう。

HIV感染者を差別する訳ではなく、今いる所から更に薄暗い場所に連れて行かれるのかと想像すると恐かった。治安も悪く、パスポートや現金、そしてトラベラーズチェック(というものが昔あった)を巻き上げられ殺されるかもしれない。そんな警戒心も働いた。

「カラオケある?」
それまで黙っていた日本人同行者のひとり、N村さんがクメール人男性に訊いた。年齢と出身地が同じということもあり、なんとなく彼と行動を共にすることが多かったのだがその時もN村さんと一緒に行動していた。

N村さんは海外で遊び慣れているのでポン引きだかタクシー運転手だかよく分からない人物にも臆するところが無かった。

「カラオケならあるよ。ママサン(と彼は言った)日本人」
クメール人男性はちょっと何かを思い出すような面持ちを浮かべてからN村さんに返事をした。

「タカハシ、ホテル戻ってから出直すと女性陣の目がうざいからちょこっとだけ遊びに行こうぜ」
「そうですね。しかしシェムリアップのカラオケパブのママサンに日本人が?」
「いるんじゃないの?多分世界中にいるよ」

私とN村さんはクメール人男性の運転するタクシー(というかトゥクトゥク)に乗り込んだ。

着いた場所は高級住宅街のようなところだった。その一角にカラオケパブがあった。店名からバンコクのタニヤに店を出しているカラオケ店「スー●ーク●ー●」の系列店とすぐ分かった。

店内に入ってみるとママサンは日本語が上手い細身のタイ女性だった。クメール人相手には日本人で通しているのかなと漠然と思ったが色白なので確かに日本人に見えた。

店内には先客がいた。日本人駐在員数名が日本から出張に来た管理職の老人(白髪なのでそう見えた)を接待で連れて来たように見えたが、雰囲気の悪いグループで、私とN村さんのバックパッカーそのものの服装をチラリと見てわざとらしく眉をしかめた男がいた。

N村さんは特に気にせず隣に座ったクメール人ホステスとクメール語と日本語混じりでいきなり猥談を始め、ホステスを爆笑させていた。

私はN村さんと別のボックス席に案内された。

クメール語も出来ないし選んだ女の子(入店する前にひな壇に座っているホステスを選ぶシステム)はニコニコしているだけで日本語は上手くないので何を話そうかと悩んだが、カラオケとは名ばかりの売春窟なのでそんなものなのかなと思った。

「ほらあれ見て」
女の子が上を指差すので見ればカラオケのモニターがあって、ビキニ姿の白人女性モデルが砂浜を歩きながら延々と思わせぶりなポーズを取っているという意味不明な映像が流れていた。

「ハウマッチ、ハウマッチうひゃひゃ」
N村さんの笑い声が聞こえた。正視したくなかったのでチラ見すると斜め上を見上げながら幸せそうに笑っている。私と同じくモニターを観ていたのだろう。

確かにその白人女性モデル映像は妙に笑えた。でも声に出して笑うほどおかしいかな?と思いつつ自分がひどく場違いな遊び場に来てしまったことに気付き、居心地の悪さを感じていた。

「止めて下さい」
哀願するような日本語が聞こえた。かすれ声だったが日本人女性の声だった。ふと見れば先客の管理職風白髪日本人男性が隣に座っているホステスの髪を掴んで通路に引きずり出し、それを接待要員の駐在員達がソファーに行儀よく腰掛けて静観していた。

白髪の男性は左腕でヘッドロックを掛けながら右の拳で日本人女性の顔を何度も殴っていた。

店内は薄暗かったし特に注意も払っていなかったのだが、殴られている日本人女性はよく見れば15歳くらいだった。

N村さんもその異様な光景に気付いてはいたが、しおらしくうつむいて黙っていた。

私はデジカメで日本人少女を殴っている白髪の男性をフラッシュを焚かずに一枚だけ撮影した。店内のBGMでシャッター音は誤魔化せたと思ったが甘かった。白髪の男性は怯えたような眼差しでちらりと私の顔を見た。だが何も私に文句をつけることなくまた日本人少女を殴りだした。

なんで「止めろ」と言わないのか、と読者の方々は思うだろう。だが事情が全く分からなかった。初めて来たカンボジアで心細かったというのもある。

気が付いたら日本人少女は絨毯の上に仰向けに倒れていた。鼻が陥没しているような気もしたが出血量がひどく、生きているのかも薄暗い店内では不明だった。

やがて警察と救急隊らしき人達がやって来て少女を担架に乗せて運びだし、白髪の日本人男性は逮捕されるかと思いきや警官2名がむき出しのドル札を彼から受け取っていた。

「今夜は楽しかった、また来るよ」
何故か上機嫌の白髪日本人男性はネクタイを締め直し、ママサンは何事も無かったかのように頭を下げて彼と接待要員の現地駐在員達を見送った。

彼女は私とN村さんに向き直り笑顔で語りかけた。
「あなたがたもナグリ、いかがですか?」
細身のタイ人ママサンは流暢な日本語を喋っていたが、何を言っているのか即座に分かりかねた。

「クメール人200ドル、タイ人500ドル、日本人3000ドル。オンナノコの家族は生命保険で儲かる、あなたストレス解消」

やっと分かった。「ナグリ」って「殴り」のことか。

つまり、さっきの日本人少女は生命保険をかけられてカンボジアに売り飛ばされ両親は借金返済という血も凍るビジネス。

貧困層のクメール人男性が射撃の的になり家族にカネを残すという「射撃ツアー」の噂は聞いたことがあった。多分刃物を使うバージョンもあるのだろう。

「また明日来ますので」と言い訳して私とN村さんはおとなしく会計を済ませて店を出た。

私がデジカメで撮影した白髪の日本人男性の正体は、当時は画像検索なども無くさっぱり分からなかった。

しかし2012年の9月、関西某大都市で大手居酒屋チェーン会長71歳がホテルのロビーで射殺されるという事件があった。顔写真付きで報道されたが、間違いなくシェムリアップのカラオケパブで少女を殴り殺した白髪の日本人男性その人だった。

犯人は会長71歳の元運転手で半グレ。交友関係からカンボジア首都プノンペンで起業した不動産屋の指示が疑われたが報道はしりすぼみになった。今思えば六本木で某襲撃事件が発生したのも2012年9月…

さて。

読者の方々の中には「途中から話にフィクション入れてないか?」と疑問に感じた人もいたかもしれない。

ええ、いつもガチガチのノンフィクションしか書いていないもので自分の体験と都市伝説を混ぜてみました。でもまあ
「こういうこともあるかもしれないね」ということでイイネ!を押して貰えれば幸いです。

記事作成の為、資料収集や取材を行っています。ご理解頂けると幸いです。