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「ト-ベ・ヤンソンを知る」読書案内 #3

第3回 トーベ・ヤンソンの大人向け小説とムーミン

 トーベ・ヤンソンは、1970年にムーミンの小説が完結した後、1971~1998年の間に複数の大人向けの短編・長編の小説を発表しました。これらの本は、全8巻の「トーベ・ヤンソン・コレクション」シリーズなどとして邦訳が出ています。

 今回紹介するのは、『トーベ・ヤンソン短篇集』です。この本は、『聴く女』、『人形の家』、『軽い手荷物の旅』、『クララからの手紙』の短篇集4冊から20篇が収められたアンソロジーです。訳者により主題として「子ども時代」「創作」「奇妙な体験」「旅」「老いと死の予感」が描かれる作品が選ばれています。

 ヤンソンの大人向けの小説は、ムーミンに似ている特徴と異なる特徴を併せ持っており、ムーミンと比べながら読むと理解が深まります。全9巻のムーミンの小説は、前半では冒険が描かれましたが、後半ではある登場人物の心理的な変化や登場人物同士の関係の変化といった、内面の問題を描くように変わっていきました。ヤンソンは後半のムーミンと類似する主題を大人向けの小説でも扱っています。

 本短編集とムーミンを比較してみましょう。たとえば「子どもが現実と非現実を同一視する」という主題がムーミンの短篇集『ムーミン谷の仲間たち』の「ぞっとする話」(1962年)と本短篇集の「森」(1987年)に共通しています。「ぞっとする話」では、ホムサという男の子が想像上の敵に襲われると考えます。「森」では、ターザンの本を読んだきょうだいが、彼ら自身をターザンの親子、森をジャングルと思い込むようになります。

 類似の主題が扱われながらも、ムーミンと大人向けの小説には異なる特徴もあります。端的に言えば、人間ではない登場人物が描かれるムーミンの物語は私たちの日常から少し距離がありますが、ムーミン以降の大人向けの小説は人間の日常が舞台です。ムーミンの「非日常のなかの非現実」よりも、大人向けの小説の「日常のなかの非現実」では非現実がより際立っています。

 「ぞっとする話」でホムサは、弟がへびに食べられたという彼の話を嘘だと言う両親に怒ります(弟は庭に座っています)。しかし、ミイという女の子が話す「生きたキノコ」の特徴がホムサのイメージと異なることについては、ミイの話を嘘と突っぱね、認めません。本作では、ホムサと両親の認識、ホムサとミイの認識が衝突しますが、正誤の判断が下されることはなく、ホムサは彼にとっての非現実を信じたまま終わります。ムーミンの物語では現実的な認識も非現実的な認識も平等に存在しています。
 「森」の主人公は、母親からもらったターザンの本を弟に読み聞かせました。弟が自分を「ターザンの息子」であると言うと、主人公は弟に引き込まれるように、ターザンとして弟とともに森をジャングルに見立てて探検するようになりました。主人公は、ある夜ふと「野生の友はもはや友でもなんでもない」と気づいて思考の中で獣を追い払い、非現実と決別します。物語の視点である主人公の認識が明確になることで、「ジャングル探検」は森の遊びに重ねられた非現実的な想像であったことがはっきりと示されます。こうした表現により、子どもから大人に成長する時に感じる、ある種の寂しさも浮き彫りになっていると思います。

 ヤンソンの大人向けの短篇は数ページの短い作品が多く、情景も心情も台詞もシンプルに描写され、洗練された印象を持ちます。ヤンソンは多くの短編小説を書き、ここで紹介した以外にもさまざまな物語を多様な主題や手法によって描きました。ぜひこの本を手に取って、ヤンソンのたくさんの魅力に触れてみてください。

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<紹介した本>
トーベ・ヤンソン著『トーベ・ヤンソン短篇集』冨原眞弓編・訳、筑摩書房、2005。

<参考文献>
トーベ・ヤンソン著『新版 ムーミン谷の仲間たち』山室静訳、講談社、2020。

著者紹介 / 小林亜佑美(こばやし あゆみ)
秋田県出身。高校生の時に初めてムーミンを読み、大学で文学・文化・表象論を学びヤンソン研究を始める。
2013年山形大学人文学部卒業、2016年法政大学大学院国際文化研究科修士課程修了。
修士論文タイトルは「理解・不理解の主題から読み解くヤンソン作品の変化:『ムーミン谷の仲間たち』を中心に」。
著作物;バルト=スカンディナビア研究会誌『北欧史研究』第37号に「日本におけるトーベ・ヤンソンおよびムーミン研究の動向」を掲載(2020年)。




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