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健康で文化的な最低限度の生活について

タイトルにもある通り、私は、私たちは「健康で文化的な最低限の生活」を送れているだろうか。

私は怪しい。

薬を飲んで、生活リズムを整えて、なんとか”健康そう”な暮らしはできているかもしれない。

文化的と言われても、どのような生活が文化的かよくわからない。
ただし、好きな漫画を読み、たまに映画に行き、こうして文章も書いているので文化的といえば文化的かもしれない。

そして苦悶なのが「最低限度」という言葉。

一体どのラインを越えれば「最低限度」なのだろうか。
個人的には、今の生活を送るだけで精一杯なのだが…。

というのも、私には同年代と比べると圧倒的に低い収入しかない。
そんな中で、「健康で文化的」と言われても無理がある。

何とかやりくりをしてわずかながらカルチャーを接種しているような状態だ。

多分、本当に最低限生きのびていくためだけにお金を使って生活していたら、鬱になる。

そこで「健康で文化的」という文言が生きてくる。

しかし、それを達成するためには余剰金が必要だ。

結局、「健康で文化的な最低限度の生活」が示すのは「ある程度自分で稼いで生活しろよ、楽しむ分には自由だから」という意味に聞こえてしまうのだ。

国が憲法で定めたこの項目を満たして生活できるように、私たちはせっせと働いて、たまの休みにけらけらと笑って過ごすほかない。

これを苦しみながら何とか毎月達成している私は、まさに「最低限度」の人間なのである。

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