見出し画像

YOLOの揺らぎ

YOLO(You only live once)、人生は1度限りという命題の揺らぎ。
我々は2030年頃超知能にたどり着くかもしれない。
その場合2030年代には猛烈な勢いで生命科学が進歩する可能性があるだろう。

昔から人生は1度限り。やらない後悔よりやる後悔と言う。しかし、才能と努力のできる素質やモチベーションの過多は多かれ少なかれ生来的、環境的に定められているため、そんな事ができる人は一部だ。
多くの人は子供の頃の夢なんてそもそも思い出せもせず、日々を生きるだけで精一杯だし、何者かにならなくてはならないという強迫観念さえ抱く暇なんてない人がほとんどだろう。

しかし2030年代から人類史上はじめて、我々は「死なない可能性」を意識的にでも無意識的にでも少しずつ感じ取った価値観に移行するかもしれない。

それをやらなきゃ後悔するよ、今頑張らなきゃいつ頑張るんだ。そんな声が我々社会の根幹で囁かれる。

しかし、と同時に圧倒的な速度で進歩する科学技術に、その価値観が揺らぎ始める。

「そもそもわたしたちは死なないのではないか」

寿命という鎖から放たれた、もしくは放たれるかもしれないと感じさせる空気は我々社会の価値観を根底から揺さぶるだろう。

私たちは今何かする必要も今何者かになる必要もないのかもしれない。特に頑張らないでもいつかやればいい。それが本気で技術的に可能になる可能性が社会の無意識に挿入されていく。

あーそうか、我々は死なないかもしれないのだな。
ゲーム的リアリズム。お前は死ぬんだぞと言われ覚悟ができないもどかしさ。確率的な不安。

と同時に聞こえる死の足音。それは個人レベルの老死ではない。ゲーム的リアリズムを根底から破壊する巨大な物語。物語でさえないのかもしれない。

人類絶滅の懸念。

この加速する技術はどこまでも人間社会を豊かにするように思える。私は死なないかもしれない。しかし、「私達」は死ぬかもしれない。技術的特異点は我々人類の存続を脅かすかもしれない。

そんな奇妙なリアリティが社会に静かに波を広げていく。誰も感じたことのないおかしな感覚が配達されていく。

2030年代の世界における遠大なユートピアとそれを阻むかもしれない透明なグレートフィルター。白の世界と黒の世界に引き裂かれる現実のノイズ。

其の2つの大きな物語に、数十万年続いてきた原始的な社会的価値観は色染めされて、とても微妙なニュアンスのあるものになっていく。

大きな物語。それもとても物質的な物語。人類が絶滅するか繁栄するか。それともその間、空、中か。人類存続規模のゲーム的リアリズム。このゲームはどこに向かうのだろうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?