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映画「クライ・マッチョ」

クリント・イーストウッドは美しい年の取り方をしてきた。

熱烈なファンだった訳ではない。映画を観たのは「許されざる者」、「マディソン郡の橋」、「ミリオンダラーベイビー」くらい。監督作品では「ミスティックリバー」が印象に残る。

ガンマンやダーティー・ハリーのシリーズは、さほど興味が湧かず、観たことがない。

フランキー・レインのあの主題歌と共に、忘れ難いTVドラマ「ローハイド」の主役、女に惚れっぽいカウボーイ、ロディは、強い男machoのイメージよりも、繊細さ、弱さをまとっていたように思う。1930年生まれとすると、日本で視聴率40%を超えたシリーズの終わりには、30代半ばだったことになる。吹き替えの山田康雄の若々しい声も相まって、子供の目にも、ハタチそこそこにしか見えなかった。

監督・主演した「マディソン郡の橋」の時は60代半ば。そしてこの映画の監督・主演時の昨年は91歳。さすがに動きはゆっくりになったが、眩しげな眼差しも、スリムで長い手足も、映画への情熱もずっと変わらずそのまんま。ただ、味のある皺が、顔に深みを添えてきただけである。

タイトルの「マッチョ」とは、少年が可愛がっている闘鶏用ニワトリの名前である。父親からの依頼を受けて、メキシコから少年を連れ戻しに来たかつてのロデオスターと、道中を共にする。2人と一羽のロードムービーである。

最近、生き物に感情移入することが多い私としては、1番の注目キャストだった。

感情を表に出すことを潔しとしないmachoに、   "Cry" と呼びかけるのがこのタイトル なのか。これはよくわからない。

強い男に憧れる少年に、machoであらねば、との若い頃の自身の思い込みの虚しさを聞かせて諌める。半世紀以上、男らしさを体現する役回りを演じてきたイーストウッドが今、自身の体力の衰えも隠すことなく、意識の変革を見せる。

老いて背中が丸くなっても、メキシコのカフェの美人女将に惚れさせる、存在の説得力はさすが。

にしても、作品に対する、批評家たちの余りの高評価は解せない。週刊文春のCinema  Chart ではいつも辛口の5人中、3人が☆5つ(もう最高!ぜひ観て‼︎) とある。一般人のレビューも、殆どがとても温かい。役者イーストウッドのファンなら、甘くても仕方がないが、彼は監督であり、プロデューサーでもある。

イーストウッドと美人女将以外の役者の演技が下手過ぎる。特に要のキャストである少年の一本調子はイタい。追っ手や警官達が単細胞で弱すぎる。80年代のメキシコ人達が未開人のよう。西部劇でのネイティブアメリカンへの類型的な視線と同じ。放置された車を次々に乗り継いで逃げるなど、都合が良過ぎ。最後に極め付きの拍子抜け。父親にも母親にも虐げられて荒んでいた少年の葛藤が、映画の終盤、するりと消えてしまって父親とハグ?親友だったマッチョの行く末、心配じゃないの?君は本当にそれでいいのかい?

脚本と演出に不満あり。製作主演オファーを40年前に受けていて、満を持しての製作とあるのが、ますます解せない。時間とお金を惜しんで、急いで作ったとしか思えない。

海外のメディアや観客のレビューを見ると、かなり辛辣だが、共感する点が多い。素晴らしい実績を重ね、なお製作意欲が衰えないイーストウッドに対するリスペクトあればこその厳しい批評が、とても誠実に感じられる。

それでも私には、若き日のロディの印象が深くインプットされているので、面影を重ねる楽しみはあった。カウボーイハットも車の運転もさまになる。荒馬慣らしは流石にスタントだったが、違和感は無い。荒野の野宿、焚き火はローハイドだった。女将とのダンスはマディソン郡の橋だった。漆黒の羽根に真っ赤なトサカが美しいニワトリは、ここ1番の働きをやってのけた。一瞬だけだっけれど。数多のツッコミどころに目を瞑れば、クスリと笑える肩の凝らない映画ではある。

東京に蔓延防止措置がかかった初日、二重マスクで出掛けていく。躊躇はあるが、近所の映画館や大好きな飲食店に消えて欲しくない。おととい、お昼に寄ったお蕎麦屋さんには、1時前なのに私たち2人だけ。職人肌の若者が打つ、コシのある細麺が美味しい人気店なのに。今日の映画館も予想通り、10人にも満たない入りだった。

悩ましい日々が続く。冷静に慎重に。知恵を使ってみんなで乗り切らねば。                         

TOHOシネマ府中     1.  21




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