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汽車のある情景 国鉄山陰本線嵯峨

 山陰本線京都口の無煙化が近いと聞き、
とりあえず嵐山を訪れたのは、
三月になったばかりの小雪舞う寒い日だった。

 急行「比叡」と山陰本線の各停を乗り継ぎ、
嵯峨駅についた頃には、あたり一面が、
すでに真っ白に雪化粧していた。

 この先の竹林でトンネルから出て来る
上り列車を捉えるつもりだったが、
底冷えの嵯峨野を歩く元気もなく、
このまま駅で待つことにした。

 木製の頑丈そうな跨線橋こせんきょうを渡り、
上り線のプラットホームへ降り立つと、
列車の到着までまだ時間があるためか、
人影もなくひっそりとしている。

 駅前のロータリーを走るタクシーの
シャーッという音の他は、
全て雪が吸い込んでしまったかのように静かだ。

 じっと耳を澄ませていると、
絶え間なく落ちる雪片の一つ一つが、
積もった雪の結晶にぶつかる音まで、
聞こえてきそうな気がする。


 汽車の時間が近づくにつれて、
ホームにも三々五々と人が立ち始めた。
降り続ける雪を避け、上屋の屋根の下で、
肩をすぼめながらみんな無口である。
古めかしい重厚なこの駅で、
それは雪の中汽車を待つ正しい情景だった。

 そんな中、屋根もないホームの端で、
降りしきる雪を払いもせずに立ち尽くす、
二つの人影があった。

 よく見るとそれは、
制服の上に地味なコートを着た、
男女の高校生の姿だった。

 すらりと背の高い男子学生は、
手に旅行鞄を下げ、
真っすぐに前を見ていた。
女生徒は両手を前に添えて学生鞄を持ち、
じっとうつむいたままだった。
音もなく降り積む雪が、二人の髪も肩も、
白く凍らせているようだった。


 やがて微かな響きとともに、
オレンジ色の小さな灯りが近づいてきた。



湿った汽笛が
「ぼっ」
と鳴った。

 
 女生徒は意を決したかのように顔を上げ、
手を伸ばし、男の肩の雪を払った。

 白い蒸気に全身を包まれて、
汽車はしずしずとホームに入り、
立ち込める湯気が、二人の姿を、
手品のように怪しく隠した。

 機関車はくぐもった音を響かせて止まり、
人々は声もなくただ汽車を降り汽車に乗る。

 男子学生は最後尾の車輛のデッキに立つと
初めて女生徒の正面を向いた。
言葉もなく向かい合う二人の間に、
舞い落ちる雪のベールが揺れる。

 遠く紫に輝く転轍機てんてつきの灯りが瞬き、
機関車の白い吐息がしゅうしゅうと音を立てた。

 対向列車を待つわけでもなく、
汽車はしばらくそうしていたが、
赤ん坊を背負った女が
小走りに乗り込むのを合図に、
駅員はベルを鳴らした。

 そのベルが鳴り止むと
女生徒一人が佇む閑散とした広いホームは、
一瞬の静寂に包まれる。
そして直後に、
長い長い機関車の咆哮ほうこうがこだまし、
汽車はゆっくりと地を這うように動き出した。

 女生徒はその位置を動こうとせず、
ただ立ち尽くすだけだった。
挙げかけた手を口元で止め、
その手にはぁーっと白い息をかけた。
男も手を振ろうとはしなかった。

 まるで列車がまだそこにいるかのように、
二人は意固地に手を振らなかった。

 二つの赤い尾燈が揺らめきながら
雪の中に消えてしまっても、
彼女はそこにそうしていた。



遠いどこかのお寺の鐘が鳴っていた。


昭和四六年 三月二日
国鉄山陰本線 嵯峨










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