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【雑記】映画にまつわる思い出。

#映画にまつわる思い出

 というお題を見つけまして。なんだか、懐かしいなWOWOW。すみません、過去のことのように言ってますけど、以前、加入していたことがあるんです。フジロック・フェスティバルを観たいがために加入していました。
 ミッシェルガンエレファントの解散以降は(ずいぶん古い話ですけど)、ロックフェスへの熱も冷めてしまって。近年では聴く音楽も変化して、スピッツ。幾田りらさん。それから山下達郎さん。自分が書いている物語の主題歌に拝借したいものを……なんてことばかり考えております。

 さて本題。
 映画にまつわる……もう、なにから話そうかなと迷いますね。母がとても映画の好きな人でしたので、その影響で、よく映画館に行ってたんです。なにを鑑賞したのかな。洋画でした。母はとにかく洋画の好きな人で(母の家系は絵描きも多かった。おじは絵描きだし、いとこの女の子も、プロにはならなかったけど、すごい絵を描いている)、邦画はたぶん連れてゆかれたことがない。
 でも、僕はどちらかというと、子供のときから邦画のわびさびというのか、間の取り方、静けさが好きでした。
……子供のときから旅番組やドキュメンタリーが好きでした。わりと海岸に近いような気もするけれど、砂漠が好きで、トルコやイエメンの日本大使館に電話してしまったり。ご親切にも、観光ガイドが送られてきました。その節はお世話になりました。
 いつか行こう、トルコ。イエメン。

 鳥取砂丘なんて、ラクダもいるし、遠くに海が見えるし、ある種の郷愁さえ感じていました。
 脱線しましたね。
 ほら、よく、「邦画は迫力がー」みたいな言説があるけれど、僕は迫力という要素を求めていなかった。子供ながらに、大林宣彦監督作品のような、儚さや束の間の光のようなものが好きだった。日本の風景も好きだった。
 小学校も高学年になると、電車に乗って、あるいは自転車で姫路駅周辺の映画館へ通うようになり(中学生になると電車を乗り継いで甲子園球場にもよく行った)、なんやかんやとよく観た記憶があります。さっぱり覚えてないけど。
 でも、やっぱり、映画館というと、女の子とのデートをよく憶えていますね。修学旅行の自由行動でも、グループを離れて、女の子と映画館に行ってたくらいには()。若かりしころは年上のお姉さんとデートする機会が多くて、やっぱり、そんなときも映画館に行った。
 場内が暗くなる。暗幕が開く。これから先に上映される作品の予告編が始まる。この瞬間がたまらなく好きなんです。なにか特別なことが始まる予感。少し身を乗り出し、画面を見つめる。ビールを飲む。二時間ほど、映画の世界で呼吸する。
 昨年はずいぶん、劇場に行った。今年はまだ行っていない。観たい作品がなくて。有村架純さんの「ちひろさん」を観たいのだけど、高知には上映予定もなくて(そもそもNetflix向けの作品だそう)。でも、そのぶん(というわけでもないけれど)、今年だけで三十くらいは未見の作品を見て、やっぱり、映画が好きなんだと思った。
 テレビがついてるときは、映画観てるだけ(最近はWBCしか見てなかったけど)

 これからずっと未来に思い出になりますように。
 一昨年の夏にこの高知に移住してきて、そのときにあらためて小説を書こうと考えました。広大で美しい土地。激しい気候。そして雄々しい太平洋。ここは映画の舞台になると思った。長く文章は書いていないし、やってみないとわからない。
 でも、ひとりで映画は作れない。映画はムリだろうけど、映画化される原作小説ならひとりで書ける。書いてみよう。やってみよう。生まれ変わるつもりで、生まれ育った土地を離れて移住してきたのだ。
 うまくやれたら続ければいい。だめだったら、他のことをやればいい。長く文章を書いてきた「ビリー」という、手垢にまみれた人間に、そろそろ決着をつけなければならない。そう思って書き始めて物語は、思ったよりずっと良かった。
 長編小説らしくボリュームもある。それを書きながら、別の物語の着想を得て、それもどうにか中編小説くらいのサイズでラストまで書いた。
 あとは推敲だけ。書きながら、自分の文章が洗練され、能力の向上も感じた。やれるだけやってみよう。あと少しやってみよう。
 何度か、ここでお話ししたことがあるんですけど、僕はあまり小説や詩というものに関心のない人間で(単に読解力がなくて、読んでも数行で挫折してしまう)、たぶん、五年くらい前に西加奈子さんの「漁港の肉子ちゃん」をどうにか読了して以降、活字の類は何も読んでいない。新聞はもちろん、雑誌も読まない。ごく稀に読むのは、野球に関する専門誌か、ファッション、インテリア関連の、写真を主にしたものばかり。
 文学の世界の大きな賞が発表されても、さっぱり知らないまんま生きているし、とくに不便もない。文芸書のコーナーそのものに足が向かず素通りするだけ。
 最近はマンガもあまり読まなくなって、映画を観るか、野球を観るか。ただ、それだけ。
 これからは、映画化される原作小説を書こう、そうすれば、僕も映画に間接的に関わることができる。そのときは、毎日、劇場に行こう。そこでうまいビールを飲もう。そんなことを考えては、ニヤニヤとしています。

 最近はやっとWBCが終わってくれて。いえ、めちゃくちゃ幸せな時間だったし、最高に面白かったけれど、毎日、ハラハラドキドキはさすがに()。あんな体験は数年に一度でいいんです。
 で、借りてきたのは「 #志乃ちゃんは自分の名前が言えない 」。おそらく吃音なのだろう、会話に自信のない女の子が、友達に誘われるがまま歌い出す物語でした。良い作品だったけれど、映像はいまひとつだったな。光を掬えていなかった。でも、感動に打ち震えるシーンがありまして。
 朴訥なギターで弾き語られる「世界の終わり」。ミッシェルガンエレファントのデビュー曲にして、そのバンドの最後にも演奏された、世界の終わり。パンを焼いたり、紅茶を飲みながら、普段通りの、淡々とした生活の先にある、世界の終わり。それを待っていると歌われる、チバ文学の結晶。自意識や個人ではなく、物語を歌う、美しい、映画的な楽曲。
 ほらまた、脱線しちゃった。
 とりとめのないことを書いていると、着地点がいい加減になる悪癖。今日はもうこのへんにしますね
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 じゃあ、また。ビリーでした。


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