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失われるもの、残るもの。

思えば学生時代から住んでいる街が変わらない。私鉄の線路をはさんで南に移ったり北に移ったり、半径1キロぐらいの圏内を転々としてきた。

住まいを転々しているうちに街は変わった。駅前には無駄に大きい広場ができたが、以前にはここに何があったのか思い出せない。近所にも関わらず足が遠のいている場所もある。

その日、ちょっと歩いてみようと思った。きまぐれだった。久し振りに以前によく通っていた美容院の方面に足を運ぶ。髪を切りたかったわけではない。ぶらりとそちらの方角に向けて歩く理由がほしかっただけだ。

かっこいいお兄さんと素敵な奥さんのふたりが営んでいる美容院で、通りに面したガラス窓が広かった。いつもスタイリッシュな洋楽がかかっていた。髪をさっぱりしてもらいながら、いろいろな話をした。

そういえば通っているあいだにふたりは結婚して、子どもが生まれたような気がする。お祝いを告げた記憶がある。こちらのあれこれの出来事も祝ってもらったり、同情してもらったりした。バレンタインの時期にはお菓子をもらったかもしれない。あまりにも遠い昔なので忘れてしまった。

引っ越してから自宅に近い美容院に変えてしまったため、その店には通わなくなった。なんとなく後ろめたい気がして、その界隈から足が遠のいていた。だいたい、いつも自分はこうだ。勝手に申し訳なくなって、勝手に親しそうなひとと距離を置いてしまう。

今日も開いているだろうか。髪を切るわけでもないのに訪問するのはおかしくないか。といっても「おう、久し振り!」と声をかけられるんじゃないかと緊張しながら、通りを進んでいく。

ところが、通りを進むにつれて古い中華料理屋があったはずの場所がみつからず、やけにおしゃれなイタリア料理のような店ばかりが続く。要塞のような頑強な新しいアパートが建ち、コワーキングスペースがある。あれ? と思う間もなく通りが終わってしまった。慌てて引き戻した。答え合わせをする気分だ。しかし、美容院の影は何もない。

そうか、なくなっちゃったんだ。

なんとなく土曜日の放課後のような、胸の中心をきゅうっとつかまれるような思いに打ちひしがれて、歩いてきた通りを引き返した。

なくなってしまう前に行っておけばよかった。散歩しながら挨拶だけでも立ち寄ればよかった。しかし、どれだけ「よかった」と考えてみても、失われてしまったものは戻らない。なにもよくない。変わらないようでいて、どんどん街は変わっている。

なくなってしまったものと残っているものが気になって、翌日、電車に乗ってとある街へ行った。かつて日曜日になると社会人バンドの練習をするために通っていた音楽スタジオが残っているかどうか確かめたくなったのだ。確かめたくなると、居てもたっても居られなくなった。

駅から降りて、すぐに途方に暮れた。ここは、どこだ? 全面ガラス張りのような建物と広い道路。適当に歩き出してみたのだが、記憶と現実が同期しない。慌ててスマホのグーグルマップを使って現在地から「音楽 スタジオ」と検索する。思い当たるスタジオのピン止めされた場所は、いま立っている自分の場所の真後ろだ。え?

少し後戻りすると地下に降りる階段があった。そうそう、こんな感じだった。おそるおそる階段を降りていく。ゴーイング・アンダーグラウンドといったところか。タッドポウルというスタジオの名前をみつけた。

階段から降りた廊下の左に迷路のようないくつかのスタジオがあり、こもったドラムの音が聞こえる。かつては縦に細い窓から中を覗き込めたのだが、いまは見えないようになっている。そして、スタジオとは反対側の右に、待合室。

ああ、と思わず声が出そうになった。まるで時代から置き去りにされたかのように、変わらない場所がそこにあった。

あの頃、日曜日の朝になるとベースをかついでこのスタジオに来て、4時間練習をした後は、この待合室で4時間ミーティングをするのが日課だった。スタジオ内のラジカセで録音したカセットを聴きながら、ああだこうだ反省会を開く。たまにはそれぞれの自作曲を持ち寄って、同じようにああだこうだ批評を繰り広げた。あの時間は、なんだったのか。

回想から戻ると平日だったから、スタジオが空くのを待っているひとは誰もいなかった。カウンターのような場所にスタッフだけが見えた。ドアの前で何度かためらったが、中に入るのはやめた。ドアを押しても「おう、来たか!」というメンバーは誰もいないし、今日はベースのショルダーバッグを持っていない。

その地下のスタジオは廊下の両端に階段があり、台形をひっくり返したシューティングゲームの階段のようになっている。入ってきた場所とは反対側の階段を上って、別の出口から外に出た。明るかった。

こんなに暗い場所で毎週のように顔を突き合わせて音楽をやっていたのか、と苦い思いがした。ほかにもやることはあっただろうに。いや、なかったかもしれない。そして「まだスタジオあったのかよ」という安堵と困惑。

時々失われたものより、残されたもののほうが切ない。

時間が止まったような音楽スタジオを後にして「まだあったんだ、そうかそうか」と思いつつ歩いた。古本屋に立ち寄って岩波文庫を一冊買って帰った。里見弴の『文章の話』という本だ。文章について、ちっとも書いてない本だった。

2024.01.30 BW



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