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思索: 視覚化瞑想訓練の記録から

昨日の「#11 Lust 夜明けの女神」より(前後は省略)。

ヌイトがいた。挨拶をして体験のお願いをした。

今日は初めて?ヌイトの後ろを示され、後ろに乗った。
尻尾のアブラクサスを確認するように振り返ると、ライオンの顔があった。光っている。
火の国の扉が開き、テーリオンがのっすのっすと進んでいく。

大地はぬかるみで、べちゃべちゃ音がする。地面の下が透けて見える。
人々が楽しそうに遊んだり、エンターテイメントを楽しんでいる姿が見えた。
このぬかるみはだんだん深くなり、自分の足がそのぬかるみに入るくらいになった。

  • どうして深くなったのだろう
    自分もそこに浸かっているからでは…。
    自分は違うと思っていながら、分かっちゃいるけど実は自分もここで楽しんでるというのが実情というのが示されている。その自覚がないためヴィジョンとして示されている。

  • 地面の下が透けて見える
    見えるだけでなく、そこに見えるものはバラバラにもされていない。自分が世界と分かれていない。自分の意識の範囲内にしっかり入ってしまっている。

テーリオンが向きを変え始めた。
でも一向に進まない。ぐるぐると、方位磁石が方向を迷うみたいにその場所でテーリオンが回っていた。

  • どういうこと?
    自分の行くべき方向に迷いがある。あれもこれもの表れ。"これ以外いらない"となっていないから。

ある時ピタッと止まった。ヌイトが言った。
ここから先は「分離」します 
覚悟はできていますか 決心できてますか

  • なぜ止まった?
    この時は分からなかった。一日経って、ヌイトが手綱を引いたのだと感じた。
    止めさせてくれるのはいつも向こう側。

私は "はい" と答えた。答えながら、じゃあお化粧はだめかな、何を食べるか考えてはだめかななどと情けないことがぱっと浮かんだ。

  • こういう意識が、さっきのぬかるみに浸かってることなんだと記録してて思う。まるで欲望が飛びついているよう。
    お化粧や食べることがだめなのではなく、瞬時に飛ぶ意識がそこというのが、囚われということ。

背後のアブラクサスが光を発していた。
前方を照らす。テーリオンは前を進み始めた。
地面は次第に乾いていき、やがて砂地、火星みたいな、砂埃ができそうな地面になった。

地平線が見えて、太陽がのぼり始めていた。
アブラクサスからの光と太陽が呼応するようにつながって、私たちはその中におり、大きな細長い楕円の道の中を進んでいた。

とっさに、私はテーリオンから降りて太陽の方へ走り始めた。
不思議なことに、走っている自分を "一人で勝手に行動して大丈夫?" と見ている自分がこちら側にいた。私はテーリオンに乗ったまま、走っている私を見ていた。

  • 行動に躊躇がある、乖離がある。こちら側にいたい未練がある。
    これはこちら(外的世界)側の視点。「分離」になっていないことが表れている。

走った私は、太陽の光の中にいた。
こっち側の私は "どんなに走っても太陽にはたどり着けないのに "と、ものすごい唯物的な視点で見ていた。どうするんだろう?と。

でも太陽の光の中にいる私は、その光の中で何かとても確かなものがあることを感じていた。
言葉にしずらい。そこにいて…誤解を恐れずに書くと、コンタクトしているというか、自分がただ光の中にいるだけではなく相互関係があるように感じていた気がする。
その感覚を感じ取ろう、掴み取ろうとしていたのだと思う。
時間が来てからもしばらくとどまり、それが何なのか粘っていた。

気づくと、胸に一粒の生命の粒子がアップリケのようについていて、このことかと思った。

  • 「このこと」とは?
    さっき掴み取ろうとしていたことを "このことか" と言いたいんだろうけど、具体的には何なのか。

    胸、アップリケ = 胸飾り(lamen)、ティファレトとの関連。

ヌイトがすぐ後ろまで迎えに来てくれていた。私の胸を見て、生命の粒ですねと言われた。

帰り、フールにも生命の粒子がついているのを指摘された。


この訓練の前半は自覚すべき現在の自分の状態を示されていて、後半のぐるぐる回っていたテーリオンが止まるところからは、おもに Lust のタロットの世界が持つもの、その力を教えてくれていると理解しました。

前半・後半ともに共通するところでは、断片化した自分がいることを自覚することを指摘されています。
後半で自分は2つに分かれています。途中までは走る自分の目撃者になっている。
目撃者つまり傍観者。自分自身がLustの世界の中に参加していないことがわかります。
まさに火がついたように我を忘れて走る自分は「私」の知らない自分(永遠の私を求める)。
意識できるこちら側の自分は冷めていて、太陽なんて届かないと理屈で判断し、見ているだけで自分では走りません。バカみたいと思ってるのかもしれません。

後からは体験しています。これは体験を促してくれる力によって、体験を通して学ばせてくれたのだと思います。

アブラクサスの存在が重要と思います。
最初に光によって存在を示していること、聖杯の太陽と繋がって楕円を作っていること。楕円はイシスもあるかもしれません。イシスの探索の道。断片化した意識を統合することへつながる道です。

光輪。光は目覚める、という象徴体。
完全に見切ったので、付け入る隙がない。絶えず欲望は私たちをつけ狙ってくるが、付け入る隙がない。
ただし、それ自体は向こうからやってくる。フルの力の一部である Lust の力、
それがこっちにめぐってくる。
そうだったんだ、と私たちに目覚め、気づきが起こる。
Lustの講義ノートより

目覚めていないから二人の自分がいる。ただし目覚めさせる働きはここにあるとタロットは示しています。

もう一つ、胸についた生命の粒子はヌイトもフールも指摘しているので Lustを理解する上で特に大事と感じます。
これは光の花であり、タロットの霊が守護人(ここではLust)として招いてくれて自分の探求が起こっていることを表します。

一つの赤い生命の粒子。これを取り上げ欲望を停止する。これ以上働かせないようにしている。
それは有縁の関係。そうすることによって回向が発生する。

回向として生まれない生の探求は、文献的な学びにすぎない。それは何も起こらない。

そんなつもりはなかったが、ここまできた。それが回向 、round 、巡り。
もう一方、彗星。あれはコメット。計算外にやってくる。そろそろこうなるなという星とは違う。
まさかこんなところから。回す力。回向。地上の車輪ではなく、回転する輪として描かれている。
Lustの講義ノートより

この探求を行くには有縁の関係が絶対的に必要で、この関係があるから回向が発生する。胸についていた、つまりタロットの霊の招きと有縁の関係は切り離せないもので、それは自分ではなく向こうが付してくれる、与えられるものということを表しています。
回り続けていたテーリオンがピタッと止まった。ヌイトが手綱を引いてくれたのもそうです。あの赤い手綱と聖杯はどちらも、有縁の関係への自覚が獣性の力を止めるとあります。手綱を引いてくれなければ、ぐるぐる回ったままだったのです。回向は起こらなかったのです。

太陽に向かって走っていったのは、太陽が自分を呼んでいた。だから相互関係があるような感覚がしたのではないでしょうか。
呼んでいるなど微塵も気づけないのに・・、走っていくことが起こる。ここに言い表すことのできない霊的な働き、ここで表れている情けない自分、どんな自分であろうと、呼びかけてくれる愛を感じます。

それが訓練の時点では「このことか」と、ぼんやりとしか掴めなかったこと。
師が先立ってこの道を歩まれ、そしてタロットの霊 - その正体を知ると共にタロットの霊と結びついたゆえに、自分もまたこの道に与ることを許され、従ってこのような絶対的な絆が「ある」ということ。
アブラクサスの光輪からの光が聖杯の太陽と繋がってできた楕円はこの道であり、この絆ありき、ということを描いているのだと思います。

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