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ばなな。

 ばななって、美味しいよね。会社でお昼休憩にも行けなかった時に、デスクで黄色いばななを剥いて食べてたら、それを眺める好奇の視線に晒されたことがある。何、ニヤニヤ笑ってるの。ただシンプルに味わってるだけなのに。


 人間って正気を失って、有り得ない行動をするものだから、わたしが、あんな女を演じたのも、仕方ないと言えば仕方ないのかもね。やっぱり思考停止してたと思う。恋愛においては、精神的に繋がる愛って一番大切だと思う。でも、愛には身体の繋がりも必要じゃない?身体は愛が最優先じゃなくても繋がれる。現実逃避したいから脇道に外れる場合もあるの。未熟なほど。


 失恋した弱味につけ込むのが、恋愛でのターゲットを落とす重要なポイントって聞くけど。経験してみないと分からないことってあるのよね。確かにそうだった。彼もそうだったんだと思う。ただ、持続はしないんだけど。彼と出会ったのは、出会い系だった。男性じゃないけど「英雄色を好む」とは言ったもので、ものすごく好きだった人に失恋したばかりだったのと、仕事が忙しいのと、余計な時間なんて無かったにも関わらず、友人から聞いたあるサイトに登録して、適当に撮影した写真と一緒にアップしてみたら「こんにちは」メールが鬼のように届き、設定した記憶もないアラート音が続き驚いた。大半は目を背けたくなる内容ばかりだけど、彼は違った。2個年下で、埼玉で働いている人で、家具と言ってもインテリアショップとかじゃなくて、タンスやソファを製作している工房に勤務してる家具職人だった。「本と猫が好きです」という一文も印象が良かったし、アイコンがアラジンの石油ストーブだったのも気に入って、少しだけ写り込んだ手が血管が浮いて、ゴツゴツしていながらも白くて美しかった。男性の身体のパーツで、手は重要って女性は意外と多いのかな。添えられた紹介文にはベタに「ストーブみたいに貴女の心を暖めます」と。日記も更新していて、

"今日は31日なんで、あのアイスがお得だから、職場の仲間の分も休憩時間に買いに走りました!自転車を飛ばして、作業場の二階の屋根に座って、青空を眺めながらのアイスは最高でした"

 どんな人物像なのか?が垣間見れる内容に、画面越しに笑った。インテリア雑貨は好きだし、家具の工房も一度見たかった。メールと電話で話してみて3ヶ月。好きなバンドの話とか、話題になってる本の話しとか、ミッドセンチュリースタイルのソファの製作過程の話しなど、こちらの興味心を程良く満たしてくれる。

 一度くらい会ってもいいかな。ガードが緩む時。

 金曜日の夜、会う約束をした。お互いの住む中間地点の駅の改札口で待ち合わせして、その街の洋食屋で、その店の看板メニューの、卵の表面が綺麗なオムライスを食べた。向かい合わせに座る彼を改めて見た。背が高くて細い。華奢な体型はタイプじゃないけど、家具職人だと言うだけあって、細いけど適度な筋肉。ルックスは写真で事前に知っていたけど、見事な草食系だった。俳優だったら…誰似だろう…見かけほどあてにならないしあてにもなる。暇つぶしになればいいと傲慢にも算段をしていた。再び立ち上がるまでの時間、藁を掴みたい時はある。

 会計での支払いは割り勘でいいと伝えたのだけど、どうしても自分がと強く言うので、断るのも面倒になり、素直に「ありがとう」と受けた。本来は相手に借りを作らない方が気が楽でいい。

 彼の住んでる駅から、歩いて15分、一見アパートのようなマンション。単身向けではなくファミリー向けの間取り2LDK。玄関を開けたら、あのアラジンのストーブが置いてあった。本当にあったんだ。動物園のパンダを初めて見たように、テレビの芸能人が現実に存在することを目撃したように妙に浮かれていた。東京に住むようになってからは、エアコンだったり、オイルヒーターだったりして、火災を注意するのもあって石油を使用する機具は、規約で禁止していたりする管理会社も多い。何が言いたいかと言えば、まだ使用する季節じゃないのが残念だけど、アラジンのストーブはお洒落だったということ。

 途中のコンビニでコーラやビールやお菓子を買って来たので、レジ袋をさげたまま、彼の部屋から3階のベランダに出て、そこから夜景をみた。そして、それぞれ缶を開けて乾杯しながら、部屋の間取りの案内をされて、寝室を見せられた後に、突如、キスをされた。

(ん?なんか違うな)

 服のボタンを外されて、あ、そうか…と妙に淡々と感情の乱れもなく、抵抗もしなかった。

 容易くそういう関係になると軽い女だと思われてしまうという懸念はあるけど、彼との未来を望んでもないし、お付き合いすることはないと判断していた。そもそも相手によりけり熱量は違うし、態度だって接し方だって変わるのが当たり前だから。でもひとつ、脱いだ後で躊躇う状況であることに気づいてしまった。その日、白い上下を選んだので服のラインに響かないように着用していた下着は、何の装飾も面白くも可愛くもないベージュ色の上下だった。彼も「あっ…」と一瞬だけ声を漏らすように手が止まってたから、申し訳ないと思った。傷口が塞がっていない傷物だから、勝負下着を身につけるまでの気力も体力も回復をしていない。言ってしまえばサービスするつもりもない。

 すっぽんぽんになってしまえば、後は流れに身を任せて、することは同じ。

 キス魔なのか、キスの頻度が多い。涎が粘ついて嫌だった。ノーマルと一筆書き出来る性行為。

 「僕…たぶん通常より大きいみたいなんだ」

 漁船の漁師に一本釣りされたマグロと、網で一気に大量に引き揚げられたマグロとを比較し、甲板でピチピチと暴れ動き回る様を空想していた。

 早く水中に戻りたい。

 終わった後、急に下腹部に鈍く重い腹痛が走って、トイレへ駆け込んだ。彼が「ゴメン、きっと僕のサイズのせい」と得意げな呟きと共に、黄色いばなな模様のトランクス、そんなの履いてたんだ。あのね、ばななはね、サイズじゃないんだよ。

 目が醒めるには充分だった。

 一睡も出来ずに、夜明け前にグッスリと寝ている彼の寝顔を一切見ないで、荷物をまとめて「帰ります」のメモ書きだけを義理のように残してから、玄関を出た。家に帰ったら、思いっきり歯磨きしてからシャワーを浴びよう。それから朝ごはんもしっかり食べよう。何でこんなことをしてしまったんだろう。愛人宅で一晩過ごした世の人達は、こんな感覚を抱いたりするのだろうか?とシュールで阿呆なことを浮かべながら、笑えない苦い気持ちを抑えて、朧げな駅までの道順をスタスタと歩いた。もう二度とこんな虚しいことはしない。駅に着いて、バッグの中にあったはずの小説が入ってないことにも気付いてしまった。良い悪いに関係なく物事は重なるもの。もう取りには戻れない。返してと連絡もしたくない。人は何処かで、自分の行動に代償を支払いながら生きるように仕組まれている。

 改札口を通過して着信音が鳴り、メールが送られて来た。「起きたら居ないから、あれは夢だったのかと思った。置かれたメモを見て現実だったんだと分かった。本を忘れてるよ。これからもお互いが無理のないように会えたらいいね。狼少年より」との画面を見て、アドレスごと消去した。

 狼少年の住んでた駅は思い出せない。

 恥を脳が上手く忘れてくれるんだろう。

 でも、忘れないで欲しいのは、彼は少年でも、まして狼でもなかった。皿ごと全て喰らったのは、赤ずきんを被った私だからね。









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