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これからの安全システムと安全文化に必要なもの

先週「医療の質・安全学会」という学会に出席していたのですが、そこでちょっと心動かされる出来事があったのでメモっておきたいと思います。出来事については、公になっていることのみとし、個人情報をなるべく伏せながら書きますが、プライバシーを侵害したなら大変申し訳ございません。

この学会は、全国の医療安全などに携わっている人たちが集まる大規模な学会で、毎年幕張メッセで開催されています。私は3年に一回くらいしか出席していないのですが、今年はいくつか役割をいただいたので一日目も二日目も出席しました。

二日目の一番大きな会場で行われたシンポジウムに、「患者のエンパワメント」に関するセッションがあったのですが、実はそこでちょっとしたトラブルがありました。このセッションの発表の中で、聴覚に障害を持つ患者さんに対してコミュニケーション支援をするための手話通訳の取り組みについて発表する演題があったのですが、発表者の方自身が聾者(あえてこの言葉を使用しますが)であったため、発表者のプレゼンを「発音言葉」に変換するための準備が必要でした。そして、シンポにその準備がされていなかったことが開始15分前に発覚したのです。

シンポジウムの企画者/座長としては、この状況はちょっとした窮地なのかと私は推察しました。そして、その時に座長の二人がとった行動はまさに「安全文化」の神髄ともいえる行動でした。座長の一人がシンポジウム開始直前にマイクを取って、「すいません、皆さんにお願いがあります。どなたかこのフロアの中で手話ができる方がいらっしゃったら私たちのシンポジウムにご協力いただけませんでしょうか?実は、プレゼンターの方の発表に手話の音声通訳が必要だったのですが、座長の不手際で音声通訳を準備することを忘れてしまっていました。十分な通訳でなくてもいいですからどなたか助けてください。」というような趣旨のアナウンスをしたのです。

これは実に勇気がある行動だと私は思いました。「自分たちの責任でトラブルが発生している」ということを、とっさの判断で公表することは、今の自分に果たしてできるかどうかわかりません。さらに、そのトラブルをリカバリーするために、全然知らない人たちに対して「助けてください」ということは相当勇気がいる行動だと思います。

この物語のすごいのは、それで実際に手を上げてくれた方がいたということです。もちろんその方も仕事で手話通訳をしているような方ではなく、その能力には限界があったはずですが、それでも手を差し伸べてくれたのです。結果、急きょ発表の順番が入れ替わり、打ち合わせの時間を確保したうえでプレゼンテーションは見事に素晴らしいものになりました。

「医療の質・安全学会」という学会の一番大きな会場のシンポジウムでこのようなことを会場にいた多くの人が体験したことはとても意義深いことだと感じました。このようなことこそが安全文化、あるいは安全システムと呼ばれるものの最も重要な根幹なのだと思いました。「安全システム」という言葉から通常想起されることは、以下に事前にしっかり準備をして失敗がないようなプロセスを踏んでいくのか、というものです。これはこれで確かに大切です。しかし、人は誰でも間違えるし、間違えなかったとしても必ずトラブルは起きるのです。だとしたら、「失敗しないようにする」ことと同じかそれ以上に「トラブルから迅速にリカバリーする」ことが、安全において重要な価値になるのではないでしょうか?

そして、「トラブルから迅速にリカバリーする」うえで、大変重要なことは、その時のベストパフォーマンスを行うために自分が持っていたプロトコールをいったん捨て、フレキシブルに考えるということです。「クリニカルパス」や「プロトコール」が綿密であればあるほど、このフレキシビリティは失われていくのかもしれません。だからといって、おおざっぱでよいというわけではないのですが、我々のプロセスにはトラブルに対して迅速に対応できる「適当さ」が必要なのだと思います。

そして、さらに重要なことは、トラブルが発生したときに「自分では解決できないことについてほかのだれかに助けてもらう」という姿勢をしっかり見せるということです。「自分一人ではここにある問題を解決できないので、誰か助けてください」ということをしっかりとメッセージとして伝えること。これは大変な勇気が必要ですが、これこそがトラブルからリカバリーする上で最も重要な価値なのかもしれません。これからの「安全システム」あるいは「安全文化」に最も必要なものは、トラブルが起きるということを前提とした中で、どうやってたくさんの人を巻き込みながらみんなでリカバリーに向けていくか、ということなのだろうな、ということを強く感じました。そして、このような感覚を、実際のトラブルを通して医療安全にかかわる多くの人々が共有できたことは、とても意味があることだと思いました。

結果、このシンポジウムには大きな化学反応が起き、自分自身もとても学ぶものが大きな時間となりました。二人の座長の勇気と、安全文化に対する責任感に敬意を表したいと思います。帰り道は実に晴れ晴れとした気分でした。

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