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検閲、『資本主義だけ残った』読書会、歌舞伎版ナウシカ、実家_m

鉛のなかを歩いているのでは、と思うくらい、不調の一週間だった。気持ちが落ち込み、びっくりするほど仕事が進まなかった。明日お返事します、と月曜日に書いた、その返事が金曜日になった。なにかの病気かもしれないと思い、病名を検索した。もしかしたら私は「もやもや病」かもしれない、このあいだ右手が痺れたのは予兆かもしれない、と考える。

担当している本の中国語版の出版社から、ある箇所を削除したいという連絡があった。いわゆる検閲というやつである。たしかに多少コントラヴァーシャルな話題かもしれないが、どう考えても思想的に問題ないところだ。検閲は正当性がないほど、トリビアルなほど効果的である。基準がわからなければ自主規制が働くし、歴然たる不正義にはみな立ち上がるからだ。仕方ないよなーと思いつつ、長いものに巻かれるのは気分がわるい。

ほかにも、ある掲示板でメッセージのやりとりしていて、どういうふうにお返事したらいいのかなと考え込んでしまって、そのせいか寝違えて、首が回らなくなって、治らず、ついに3年ぶりぐらいで会社の近所にマッサージを受けに行ってしまった。50分3500円。考えるのは健康によくない。お金もかかる。なるべく考えずに生きていきたい。

月食の夜、親戚のおじさんから、「僕たちは宇宙につつまれて生きているんだねえ! 僕たちは宇宙につつまれて生きているんだねえ! 僕たちは宇宙につつまれて生きているんだねえ!」というメッセージが届いた。よっぽど感動しているなぁ、と思った。私は疲れていて一瞥しただけだった。

11/12(土)『資本主義だけ残った』読書会

夕方からG読書会だが、該当範囲を読んでなかったため、朝から読む。いまは『資本主義だけ残った』を読んでいる。著者は元世銀のエコノミストで、現実的な妥当な案を提案してくるのだが、それが、ともすると妥協と現状肯定の産物に見えてくるのがイマイチなところだ。例えば移民問題については移民の市民権の制限が福祉国家存続と排外主義馴致のために必要だとするのだが、そうすると日本はだいぶうまく制御できてますね、ってことになってしまう。

*今回読んだ範囲で面白かった点
産業革命後のグローバリゼーション第1期では、輸送コストが下がって生産地と消費地の分離が可能になったが、遠隔地で所有権の保証ができなかったことが帝国主義に結びついた。
こんにちのグローバリゼーション第2期では、情報革命により情報コストが下がったことで、生産そのものが分離する。つまり、企業は設計・管理する中央と、世界各地の下請け業者に分離する(オフショア)。そしてオフショア拠点では制度的・技術的革新が起きる(中央にとってそうするインセンティブがあるからだ)。この点が従属理論と異なるところで、近年の中国の一足飛びの成長は、日本や韓国の成長とは違い、この後段のタイプのものだ、という。以上はリチャード・ボールドウィン『世界経済 大いなる収斂』(2016)で詳述されているとのこと。

食べ物は持ち寄り式。私は以下を持って行った。ガスコンロが壊れていて調理ができない。

  • 柿と春菊のごま和え(=春菊をサッとゆでて醬油をかける。切った柿を加え、すりごまで和える)

  • クレソンとレタスのサラダ

  • アイスランドラムの生ハム、クラッカーとケッパー

RULLYという白ワイン、私はワインまったくわからないけど、ラム酒のような濃厚な香りとスッキリした味わいで非常においしかった。またKeplingerの珍しい赤ワインを飲ませていただいた。こちらも複雑な味でとてもおいしかった。

シンプルな鯛とミニトマトのアクアパッツァをつくってくれた方がいて、これが絶品だった。ローズマリーをたっぷり使って、お魚さんの奥までローズマリーの香りが入り込んでいる。こんなにおいしいものは食べたことがない。その食べ終わったあとのソースで作った〆のパスタがまた絶品。

11/13(日)歌舞伎版ナウシカと実家

10時から母と「新作歌舞伎 風の谷のナウシカ」(後編)を見に行った。眠くなると困るのでガムとグミを買った。実は前日、明け方までマンガ「ファブル」を読んでいて(だれだよ面白いって言ったやつ……ハマったじゃないか)寝坊しかけた。

漫画版ナウシカ全7巻を1日の昼夜講演にまとめているので、多少は詰め込みすぎの感じ(場面転換がサクサクなところとか)はあるけれども、全体的に大満足!!! 欲を言えばの小さな文句はあるものの、ただ歌舞伎に置き換えたのではなく、歌舞伎ならではの表現をしっかりと使い、見せ場をちゃんととって、あの、魂が震えずにはいられない名場面まで行きつき(なんならマニ僧正やトルメキア王はマンガより魂が入っていた)、カオスな最高潮へなだれ込む、これはもう感涙もので、隣の人は鼻をすすっていた。

私は人間椅子みたいでいいじゃん! 歌舞伎アップデートしてるじゃん!と思って快哉を叫んでいたのだが、あとで母に感想を聞いたら「なんだあの歌詞は。笑いそうになった」とのことだった。えっ!?っと思った。

ナウシカはともかく、クシャナがすばらしい。再現度がすごい、立ち振る舞いも美しくかっこいい、虫たちに囲まれて(これも歌舞伎の道具立てをつかった表現でとってもよかった!)一夜明かすところは胸にじーんときた。また、ナウシカが母の亡霊に囚われるシーンは特筆にあたいする。ここも歌舞伎ならではの表現を使っているところだ。

見終わったあと、母とお茶をして、父の誕生日会ということで寿司を買って実家へ。

1990~1994年ごろの写真がドサッと入った箱があった。母は「押し入れ掃除で出てきたんだけど捨てようと思って」と言う。えー、もったいないんじゃないの、と言って、見たら、まったく覚えていないなつかしい写真がいっぱいあった。父と母は爆笑した顔で写っていて、ずいぶん仲がよさそうだ。まだ小学生ぐらいの自分たち兄弟もいて、どれにもお団子のようにくっついて並んで写っている。私たちは仲のいい家族だった。

「いやいや、こういうのは一度捨てたら戻ってこないんだよ」と止めると、「えー、でも終わったことだし。もう過ぎたことだから、ま、いいんじゃない」と母はやはり捨てようとしていた。「えっ この写真みて懐かしいとか思わないの? サイコパスなの?」と思った。

写真を見たら、思っていたより母は美しく、父も顔がよかった。私はどういうわけかぜんぜん可愛くなかった。当時はそのことに気づかなかった。

ロールケーキを前に、父:「線香、線香はどこだ」
「縁起でもないから。探すべきはロウソクだから」

鎌倉殿を見ながら、母:「ここが付箋になっているのよ!」
「それは伏線な。付箋はポストイットだから」

実家に戻るとツッコミ力が鍛えられる。しかし私はなぜか実家に戻ると帰りに具合が悪くなるので、やはり帰宅すると気分が悪かった。夜中まで、この間から紡いでいた「英国フィン」という甘茶色の毛をアンデスプライ(アンデス地方で行われていた3本撚りの技法)にしているうちに、だんだん気分がよくなっていった。

sakiちゃんの日記を読んで、書きたいこともあったのだけれども、どういうわけか文章が長くなってしまうので、ここまでにして、そのことはまた時間があったら書いてみたい。

ちょうど、某掲示板でも、「あなた達のやり取りは長すぎますから引き継ぎません」という管理者からのストップがかかってしまった。ちぇっ!
(m)


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