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棚の本:源氏物語 A・ウェイリー版1

今回の棚のテーマは、「あつい本」です。

「厚い本を読もう」と思って「うすい本」を手に取ってみたり、手に取ったら読むのが遅かったり白目をむいてみたりで、とうとう年末になってしまいました。

棚主の主観により、ハードカバーは厚さ3cm、文庫本は厚さ2.5cm程度を、「あつい本」の一応の基準としています。


くまとら便り

「枕草子」は好きでしたが、自分が「源氏物語」を読めるとは思っていませんでした(ちなみに、まだ読んでいる途中です。)。

「源氏物語」の現代語訳は、色々な版があります。
有名どころでは、谷崎潤一郎、与謝野晶子(青空文庫で読めます)、瀬戸内寂聴さん、角田光代さん(最近文庫化されました)が、大仕事をされています。

このA・ウェイリー版は、「源氏物語」の現代語訳の中では、極めて異色なものです。

1920〜30年代に出版された、アーサー・ウェイリーの手による世界初の英語全訳版を、再び現代の日本語に置き換えるという、一風変わった過程を経ているためです。

A・ウェイリー版も、実は佐復秀樹訳『ウェイリー版 源氏物語』(平凡社ライブラリー)と、今回紹介する毬矢まりえ・森山恵訳『源氏物語 A・ウェイリー版』(左右社)の2つの版があります。

2つのA・ウェイリー版の大きな違いは、和歌の扱いと、登場人物の表記にあります。
毬矢・森山訳では、A・ウェイリーが大胆に省略するなどした和歌の扱いについて工夫が凝らされ、本文中に元の和歌が敢えて加えられています※。
英訳に際して失われた重要なピースが、本国への帰還で元に戻されたということになります。

それから、毬矢・森山訳では、登場人物がカタカナ表記されるなど、カタカナ英語が多用されているところも特徴的です。
好みが分かれるかもしれませんが、棚主的には、推しポイントです。
少し、ご紹介します。

朱雀離宮レッド・スパローへの行幸は、ゴッドレス・神無月マンスの十日に決まりました。今年はいつになく華やかになりそうですから、パレスに残る貴婦人たちは残念でなりません。エンペラー•キリツボ桐壺も、フジツボ藤壺が来られないことが惜しまれて、代わりに宮中で大リハーサルを行うことにしました。
プリンス・ゲンジは、トウノチュウジ頭中将ョウをパートナーに<ブルー・ウェイ青海波ブス>を舞います。

紫式部著,A ・ウェイリー英訳,毬矢まりえ・森山恵邦訳,『源氏物語A・ウェイリー版1巻』(左右社)317頁・「紅葉賀」

いかがでしょうか。
「シン・カナ遣い」、とでも呼びましょうか。教科書で習った源氏物語とは全く違う雰囲気です。
異国情緒たっぷりの大スペクタクル恋愛絵巻は、読んでいても心楽しいです。

内容の紹介や感想は控えておきますが(そんな技量・度量はない)、千年の時が、「源氏物語」が類まれな物語であることの確かな裏付けであるのと同じように、百年の時がまた、A・ウェイリーの英訳版の素晴らしさを保証していますよ※※。

さて、「訳者あとがき」には、本書の日本語への翻訳を「螺旋訳」と呼んでみる、とあります。

元々日本の古文であったもの(A)をウェイリーが英訳(B)、それを更に日本語に訳し戻す(A’)。
A→B→A’

前掲書680頁・「訳者あとがき 毬矢まりえ」

平安時代の古文(A)では隠された「主語」が、英訳(B)で必然的に補なわれ、分かりやすくなったはず。古語(A)と結びついていた様々な情念※※※も、ウェイリーによる言葉の置き換えで(B)、幾分か濾過され、さっぱり・すっきりしたのでは。
姉妹の訳者が日本語に戻す際(A’)には、シン・カナ遣いと元の和歌のピースが加えられ、新しさと古さが備わりました。
螺旋状の進化です。

2024年は大河ドラマも始まり、源氏物語イヤーです。
一生に一回読めたら・・・というような、ゆったりとした気持ちで、手に取っていただければ。棚主も、そうします。

表紙はクリムト、帯は漫画家の竹宮恵子先生です。1巻は、プリンスの誕生から、「須磨」「明石」でのエグザイルまで収録されています。

それでは。
良いお年を。



※ 毬矢・森山訳でも、一部の和歌は英訳版に従い省略されたままです。ちなみに、オリジナルの「源氏物語」の和歌の数は795首だそう。紫式部は、場面場面に応じて、登場人物の視点と技量で詠み分けています。「すごいやばい」しか言葉が出てこないです。

※※ A・ウェイリーの英訳版は、ヴァージニア・ウルフも感動させたとか。

※※※ 情念という言葉の意味を確認しようと、Google検索したら、Wikipediaのデカルトの『情念論』のページにたどり着きました。
デカルトは、基本的な情念として愛、憎しみ、欲望、喜び、悲しみ、驚きの六つがあると言ったらしいです。
源氏物語は、まさに登場人物の情念が複雑に絡み合い、これらが紫式部の才気により、美しい物語に統合されています。





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