7 我が子に対して我々が最初にできること / ぐっち

 7月7日。その日我々は新幹線で東京に向かっていた。久しぶりの遠出ということもあって、妻はいつにも増して機嫌が良い。新幹線に乗る前に買った高級なサンドイッチを食べて満足したというのも大いにあるだろう。
「昼ご飯に2,000円のサンドイッチは高くない」
新大阪の駅ナカにあるカツサンドの店の前で、僕は妻に言った。
「いいんだよ久しぶりの旅行なんだから」
家庭の財政を考えてハーフサイズにした僕を尻目に妻は言う。これが我が家の上下関係というものらしい。
まあ食欲があるに越したことはない。これまで食べたくても食べられなかったのだから。と無理やり自分を納得させる。その前に今日は旅行ではないのだが。
 もし赤ちゃんができたら僕の目の病気は遺伝するかもしれない。そう伝えたのはまだプロポーズをする前だった。僕の病気はいわゆる小児がんの一種だ。それも約半分の確率で子供に遺伝することがわかっている。
今の医療ではもし遺伝したとしても、視力を失うことはほぼないそうだ。たったの30年前は命を残すか視力を残すかという選択を迫られていたのだから、医学の進歩というのは本当にすさまじい。
「大丈夫だよもし見えなくても」
妻はあっさりと言った。
「私たちにとって子供が目が見えるかどうかっていうのは、男の子が生まれるか女の子が生まれるかみたいなもんだよ。どっちであったって幸せには変わりない」
そう言ってくれた妻が本当に心強かったのを今でもはっきりと覚えている。
 東京築地にある国立がんセンターは、その名の通りがん専門の病院で、僕の病気に関しても日本で最も多くの治療実績がある。子供が生まれる前に、そこで僕の遺伝子の検査をしに行くことは前々から決めていた。妻の状態も安定してきたため、ようやくそれを実行に移したのだ。
今は出生前診断で、生まれる前の赤ちゃんの遺伝子を調べることもできる。ただ我々はあえてそれは選ばなかった。これについてはとても繊細な問題のため、ここではあまり踏み込まないが、一つ言えることは我々の中でそれは選択肢にすらなかったということだ。
今回の目的は、僕の遺伝子のどこに異常があるのかを事前に調べること。そうしておくことで、子供が生まれてからの病気の早期発見につながる。がんなんて、一日でも早く発見した方がいい病気の代表格みたいなものだ。
 がんセンターの近くにあるホテルで久しぶりに旅行気分を味わいながら、七夕の夜を過ごした。こんな東京のど真ん中でも天の川は見えるのだろうか。
本来なら、生まれてくるわが子に病気が遺伝しませんようにと願うのが親としての筋なのかもしれない。もちろん健康で生まれてほしい。ただ元気で生きていければ目の病気かどうかは、真剣なことではあっても深刻な問題ではない。
それが生きていく上での幸せを左右するものではないということを、我々はわが子に対して人生をもって見せていきたい。だからこそ、親として願うことはこれだけだ。
「自分で幸せを掴める強い子になりますように」
我々はホテルの窓に向かって、子供の時以来の七夕の願い事をした。
(続く)

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