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たった一人の助けで人生は変わる【自己紹介②~これまで~】

 自己紹介について前回の続きを書きます(3記事で完結予定です)。
過去の記事はこちらから。

■たった一人の助けで人生は変わる

 高校3年間を母親と2人で過ごし、毎日のように喧嘩・揉め事を起こしていましたが、無事卒業することとなり、分かれ道に立つことになりました。
就職をするか大学に進学するか…

 生活保護を受けている家庭での、高校進学・大学進学については賛否両論あります。税金で暮らしているのだから中学卒業、高校卒業をしたら就職してお金を入れるべき…この話については、長くなるため今回は割愛します。また別の記事にて書こうと思います。

 さて、結論を先に言うと大学受験に失敗して浪人することとなります。
挙句、浪人中は1人暮らしをしつつ大学へ進学します。
生活保護を受けている身で浪人が許されるのか…
しかも実家にいてアルバイトをしつつですらなく一人暮らし…
市役所の方も何を言っているんだこいつは!!という感じだったと思います。私が逆の立場でもそう思います。市役所の担当者と何度も話をし、そして、人生を変えてくれた言葉があります。今振り返ってもその言葉があるおかけで今があると言えます。

「私の知らない間に、Kさんが家からいなくなっていた場合、それは私の関与するところではありません」
(確かこんな感じの言葉をかけていただきました)
生活保護の場合、定期的に担当の方が家に来て見回り?状況観察を行います。当時は、意味が理解できず何度か聞きなおした記憶があります…
「あの家から出てって良いんですか?」
「いえ、生活保護の仕組み上、Kさんには働いてもらい、お金を入れていただく必要がございます。ただ…」

 今思えば、母親がよく問題を起こしていたため、市役所内でも我が家は問題視されていたようで、手続き関係で市役所へ行くと担当以外の方も私の顔を見ただけで「Kさんのところの子が来たよ担当者さん!」とすぐにつないでくれました。つまり、現状を知っているからこと助け舟を出してくれたんだと思います。

■世界が急に明るくなった

 浪人生活を始めるにあたり、親戚に頭を下げ保証人になってもらい、実家から遠く、交通機関に疎い家族が来れないところにアパートを借りました。もちろん予備校に通うお金はなく、入学金等を貯める必要もあったため、時給の高いパチンコ店と塾の講師のアルバイトを週7でこなし、空いた時間で赤本を開くという宅浪が始まりました。

 パチンコ店勤務特有の不規則な生活、親分肌のスタッフ達に奢ってもらい、遊びに連れて行ってもらいを繰り返し、楽な方へ流された自分は、結果としてセンター試験の点数が現役時代と比べて50点近く下がりました。公立大学には受かったので、貯めた入学金と奨学金を借りて大学へ進むことに…

■考えも生き方も変わった大学生活

 幼稚園の頃の夢は、【宇宙飛行士】、小学生の頃の夢は、【サラリーマン】今思えば、なんて夢のない子供だったのだろう。特別やりたいことはなく、高校は普通科、大学も経済学部へと進みました。とにかくこれまでの環境から脱したいという思いのみでここまで進んできました。

 大学では、とあることがきっかけで大学祭の実行委員長を任されることになり、そこから多くの変化が生じました。
学生団体の立ち上げ
県庁と協力してのイベント企画
中学生の前で講演
ラジオ出演
etc…
自分でも驚くほど主体的に行動するようになりました。これまで無気力で流されるままだった自分、なるべく責任のないポジションでかつ世間体として悪くないポジションである副班長や副委員長などを務めていた自分が初めて矢面に立つ経験をしました。そこから起業をしたいという思いが芽生え、上京を決意し東京へ出てくることとなります。

続きは、次の記事で…

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