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狭すぎて袖も触れ合うLCC


後方に向けて親指を突き立てたキャビンアテンダントの眼差しは雄弁だった。千葉に帰る飛行機の中で僕は彼女の立ち姿を遠い目で眺めていた。

緊急時の行動の仕方を身振り手振りを用いて説明する彼女の姿を大半の乗客は気にも留めなかった。僕においても、言葉は上の空で意外にも弛んでいた彼女の横腹をぼうっと見ながら、ここ数日の出来事を回想していた。

そういえば村上春樹の「ノルウェイの森」もキャビンアテンダントとのやり取りから始まり主人公の回想に入るんだっけ。飛行機は轟音と共に大地を蹴り、僕の思考を引き連れて夜の闇に吸い込まれていった。













そんな僕の回想を1人の中国人が打ち破った!!!!

突然だった。僕の左で眠りこけていた中国人が突然目を覚まし、機内販売のお兄さんを間違えて引き留めてしまったようで大変困惑していた。

「コレナンデスカ」と質問されたので
「If you want…」と説明すると、状況を理解したようで機内販売を断っていた。

寝起きの彼は続けて慌てたように尋ねてきた。「もうTOKYOに着きましたか?寝てしまって」
「まだ空の上だよ」
彼は安心したようだった。

僕が英語が通じるとわかると、中国人の彼はに袖ふれあうのも多少の縁と言いたげに質問をしかけてきた。何だかそんな気がしていた。狭いLCCの機内で僕らの袖は実際にふれあっていたのだ。

彼は中国で工学の勉強をしている大学2年生で、今はギャップイヤーを設けて日本を観光しているらしい。大阪で多国籍シェアハウスをしているとのことだ。その行動力たるや感服に値する。

僕が出会ってきた大半の中国人と同じように、彼は英語が達者で話好きだった。日本列島の上空で奇妙だが有りがちなシチュエーションの国際交流が始まった。

彼は、
「日本人と英語で話すのは奇妙ですね」
と溢すのだった。

旅は道連れ。旅行の最大の醍醐味でありながら中々達成できない現地人との交流の役割を担えるのは、やぶさかではない。それを断るほど僕も野暮ではないのだ。

そしてまた、彼と話していると僕が出会ってきたお喋りで愛すべき中国人達のことを想起しないわけにはいかなかった。

下呂温泉の露天風呂で僕らを2時間以上拘束し、滔々と流暢な日本語で話しかけ続けたハンさん。

大学のブルーグラスサークルで出会った、音楽の才気に溢れたチョウさん。

彼らはいつだって僕の甘美で洒脱な日常や旅情を有意義にぶち壊していった。そして僕らはそんな彼等の意外性ある行動に大いに感謝している。


中国に限らず日本に訪れる外国人の多くは日本の文化に関心がある。彼もまた日本の映像作品が好きで日本に興味を持ったようだ。
エヴァや青ブタ、とらドラなど日本のアニメが好きだそうで、中々いい趣味を持っていて関心である。

今回の北海道旅行の主眼は小樽への聖地巡礼だったようだ。Love letterという映画の名場面の舞台が小樽の天狗山なのだと説明してくれた。1995年の日本の古い映画とは言え、日本人の僕がそれを知らない事に大いに驚かれた。

どうやら、Love letterは中国では爆発的な人気を誇るらしく、学校の教科書に載るほどだとか。長らく北海道に住んでいて矢鱈中国人観光客が多かった理由の一端を垣間見た瞬間だった。

彼は鋭意日本語の勉強中だそうなので少し質問してみた。

「お気に入りの日本語とかある?」
「難しいから君のを教えて」

少し悩み込んでしまった。そう言われるとお気に入りの日本語って何だろう。気の利いた言葉の一つや二つ言ってやりたかったが、僕の頭に浮かんできたのは「みぞれ」という言葉だけだった。

「The mixture of rain and snow」と説明した。言葉の響きが綺麗で気に入っていると付け加えた。僕の辿々しい英語もキチンと理解してくれたらしく、
「日本語は一単語で複雑な状況を説明するからすごいね」
と感心してくれた。

僕らは多くの言葉を交わした。日本語の難しさ、中国と日本の野菜の違い、食品衛生、キャッシュレス化、良い観光地、日本のサービスなど。

彼が言うには北海道は寒くも何ともないらしい。彼は半袖の薄いシャツ一枚という格好だった。君なら何処でもやっていけるよ。彼の底知れぬバイタリティを目の当たりにした。そういえば僕が出会った中国人は例外なく活力に溢れて積極的だった。

また、彼は日本の中で東京が最も退屈だとも言った。外国人にとって東京という都市は奇妙で特異に映る物だとばかり思いこんでいたから、彼の言葉は少し意外だった。東京は大都市然として香港や上海と似通っていているので面白みがないらしい。

確かに大観では東京も香港も上海も大差はなく、あらゆる街が巨大化して行き着く最終形態に過ぎないのかも知れない。東京がそういった類の煩雑さを持つ都市であることは否定できない。


こういった国際交流は常に我々に新たな視点をもたらすものだ。物事に海外的な新たな視点が加わることは大変喜ばしい。彼等もまた日本人的な新たな視点に飢えているのだろうか。


彼と「Have a nice trip!」と言い交わし別れた後、今日学科長の偉い教授との面談で言われたことを思い出した。

「海外に行った方がええよ。それも1人で行かなあかんで。その時の記憶は今でも痛烈に残っとる」

恐らく中国人の彼もまた、今まさに人生の痛烈な経験の1ページの中にいるのだ。その一幕に不肖ながら僕が関われたことは素直に光栄に思う。

そして、僕も海外経験に惹かれる気持ちが少し芽吹くのだった。このセンセーショナルな経験が同じ日に起こった事には何か運命的なものを感じずにはいられない。

この出会いが僕の痛烈な経験の幕開けになる予感もしたし、それをもたらしてくれた彼にはやはり感謝している。


狭過ぎて 袖もふれあう LCC

雲の上にて


今日ばかりはこの狭さにも感謝しなければなるまい。

小原

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