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トイレで纏う魅惑の香り

駆け出しのライターとして出会ったメンバーたちが、毎回特定のテーマに沿って好きなように書いていく「日刊かきあつめ」です。今回のテーマは「#トイレ」です。

子供の頃、朝、父がトイレを済ませた後にこの香りが漂ったら、すぐに危険を察知した。暫く時間を置いてからトイレに行くのが無難だというサインだったからだ。父はきっと、「消臭剤」を何回もシューっとしていたのだろう。その「消臭剤」の香りは強烈で、使用したら他の部屋にいてもわかるくらいだった。あれはワンプッシュくらいで十分なのに。

父が振り撒いた「消臭剤」の香りをその後に入る家族が纏う、そして、次の人も纏う。我が家は皆、毎朝、同じ香りを纏って出かけていたことになる。

私はあの香りが苦手だった。あの小瓶は触っただけで香りが付く強敵だった。だから、使う時はトイレから出て、室内の空中に向けてシューっとし、すぐに扉を閉めて我が身に降りかからないようにしていた。石鹸で手を洗っても香りが取れなくて、石鹸の香りと混ざり合い、さらに強い香りを放つところが嫌だった。

あの香りは、私にとって(違った意味で)危険な香りだったのだ。

説明する。倹約家の母は、使わなくなった自分の香水をトイレの消臭剤として再利用していた。彼女のお気に入りだった香水は、どれも濃厚な香りだった。

あの頃の私は、琥珀色の液体が入っているその小瓶の、古びたラベルに書いてある文字を読むことが出来なかった。だから、結構な大人になるまで、あの香水がとても有名な香水であることを知らなかった。読めそうで読めず、諦めていたのだ。

その小瓶のラベルには、「N」の右上に小さい丸、その隣に「5」とあり、「チャネル」と記載されていた。

……お分かりだろうか。お叱りを受けそうだけれど、我が家のトイレの消臭剤として使われていたのは、「CHANELのNo.5」だった。

つまり、こうだ。我が家族は全員、「CHANELのNo.5」をふんわりと纏ってそれぞれの場所へ出かけていたことになる。優雅なのか呑気なのかよくわからない。ちなみに我々は、「GuerlainのMitsouko」という香水を纏っていた時期もある。こちらもなかなか濃厚な香りだった。そして、何と書いてあるのか読めなかった。フランス語だもんね。

出逢った場所が良くなかったからなのか、私は香水が苦手である。気分転換に付けるとしても、ボディミストやヘアミストといった、香りの持続時間が数時間のものを好む。濃厚な香りを振りまく人が長時間近くにいると、頭が痛くなるくらいである。香りの好みは人それぞれだから、ふんわり香るくらいが丁度いいと思うんだよなあ……

それから暫く時は流れ……私自身が初めて購入した香水は、Diorだった。海外旅行先の免税店であんなにドキドキしながら買ったのに、香りが強くてすぐにつけなくなってしまったのだけれど。

実家を出た後、久しぶりに帰省した時、我が「Miss Dior」は、トイレの窓際の棚で太陽の光に照らされてきらきらと輝いていた(あの小瓶、可愛かったんだよなあ)。きっと、父が纏っていたのだろう。ふんわりと「Miss Dior」を香らせている父を想像したら、笑ってしまった。

文:彩音
編集:アカ ヨシロウ

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