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母の話 - 黄金バット

母の子どもの頃のエンタメといえば紙芝居だ
公園で遊んでいると自転車の後ろに紙芝居と駄菓子を乗せておじさんがやって来る、例のあれである

母たちがよく遊んでいた公園には紙芝居のおじさんが何人かまわってきた
そのうちのひとりを「第一ラッパ艦」という
当時の紙芝居のおじさんにはそれぞれ屋号がついていた

紙芝居のおじさんの収入源は紙芝居の前に売る水飴などの駄菓子なので、駄菓子を買った子は前で見る、買わない子は後ろというルールが一般的である
しかし母は駄菓子を買うことができなかった

祖母が、田舎の山野で育ったおてんば娘だったわりに潔癖症だったからである
それはなかなかのもので、バスなどの公共交通機関に乗るとまずそこらじゅうの手すりから吊り革から全て消毒したガーゼでぬぐいまくる、病院から帰ってきたら全ての衣服を着替えさせる、というほどだった
祖母は駄菓子は家のなかで内職のようにつくられているとイメージしたので子どもたちに駄菓子を禁止した
もちろんお祭りの屋台などもだめで、それは、と子どもたちは抗議した
すると祖母は「買ってもいいけど食べてはだめ」と無茶を言った

だから母や母の姉はいつも一番うしろで紙芝居を見るのだが、第一ラッパ艦のおじさんだけは「買わない子は後ろ」を言わなかった
おじさんは買っても買わなくても子どもたちを平等にあつかった
子どもたちのなかでは第一ラッパ艦のおじさんが一番の人気だった
優しいし、それに紙芝居を読むのがとってもうまかった、そうだ

第一ラッパ艦のおじさんは公園に着くとその名の通りラッパを吹いて子どもたちに紙芝居の始まりをしらせた
おじさんは江戸っ子らしく「悲劇」を「しげき」と発音した
それで、母がいくつかおじさんの口真似を私に向かって熱心に披露した

「しんぱしげきは母の涙」
「ごんごんごんごんごんごん、らっほい」
「ぜぜぜぜぜぜ、ぜるだん!」

と母はおじさん風に声色を変え、それから「どう?」と顔を覗きこんできたが、こちらとしては何のことやらさっぱりである
「ごんごんごんごんごんごん、らっほい」と「ぜぜぜぜぜぜ、ぜるだん!」は、おじさんのオリジナルだと思う、黄金バットにはこんなセリフは書いてなかったと思うんだけど「どう?」と言われてもさっぱりである

ところが、私が高校生の頃、家族旅行に車で出たときのことだった
休憩のためみなが車から離れて、しばらくして私だけ先に車に戻った
するとつけっぱなしになっていたカーラジオでおじさんが何やら情感を込めて朗読している
古臭い口調で何を読んでいるのかわからないが、そのうち

「ごんごんごんごんごんごん、らっほい」
「ぜぜぜぜぜぜ、ぜるだん!」

と言い出したのである
黄金バットだ!と慌てて母を呼びに行ったが、母は公衆トイレは使いたくないから喫茶店を探したいと父に言い募っている
母を連れて車に戻った頃には終わってしまっていた

第一ラッパ艦のおじさんが適当につくったセリフじゃなかったね、と母と話し合った
何十年も経ってわかったね
でもセリフの意味はさっぱりわかんないね、と

そして車が走り出すと母は「喫茶店のトイレならきれいだから」と再び父に言った
母もまた潔癖症だった

ちなみに祖母はこれほど潔癖なのにうさぎを家のなかで飼っていたのは謎である
うさぎの名前は「ミタコラ」という
「ミタコラは要求があって人を呼ぶとき、廊下で足をパターン、パターンと、一定のリズムで踏んでしらせた」と母は言った
その話を聞いたとき、縁側に面した廊下の奥のうすぐらいところで白いうさぎが小さい足でステップを踏んでいるという、見たこともないシーンが脳裏に浮かんだ
いまでもふとしたときにミタコラはステップを踏んで、なにかしらせている
第一ラッパ艦のおじさんの、到着だろうか

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