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祖母の話 - 関東大震災

祖母の実母ツヤの実家であるアサカは御家人だった
小名木川沿いの御三卿田安家の隣の敷地に住んでいた
一人娘を、羽振りがいいとはいえ商家の後家に嫁にやるくらいなので、教科書の維新後の不平士族の乱の項に書いてある通り生活にゆとりがあったとは言い難い
一人娘のツヤは嫁に行って数年で亡くなり、そのあとも侍もなくなった
残ったのは奥方である
侍の妻とは思えないほどおしゃべりだったと聞いている

ちなみに祖母も母も私もおしゃべりで、私などはとうとう母方の叔母から「ぶっかれラジオ」という二つ名を賜った
「ぶっかれラジオ」とは「ぶっ壊れラジオ」がつまったものである
壊れて電源オフにできないラジオとでもいう意味だ
ちなみにこの叔母はすさまじくおしゃべりだということを書きそえておきたい

おしゃべりな奥方はひとり深川の地で暮らしていたが、ツヤが亡くなったあともモンゾウはツヤの実家への援助を怠らず、つまり奥方と連絡を取り合っていた
そのおかげで、関東大震災で奥方が亡くなったこともじきにわかった
ひとの話によると火災から逃れるために小名木川から隅田川に出てそのまま川沿いを避難し、両国の被服廠で火災旋風に巻き込まれたとのこと
被服廠の火災旋風の被害は大きなもので、その跡地には関東大震災の記念館と慰霊碑が建っている

関東大震災のとき、祖母が住んでいた浦和も揺れた
そのとき祖母は二階にいたのだが、階下からモンゾウが大声で祖母を呼ばわったそうだ
「早く降りて来い、おかめ」と大慌てでモンゾウは叫んだ
モンゾウには子どもが5人いたが、そのうちで娘は祖母だけだった

震災時のおかめ発言からも伺えるように、モンゾウは口が悪く、またせっかちだった
ホシノ家には当時まだ珍しい電話があった
その頃の電話というのは、電話をかけると交換手につながる、交換手に「どこぞの誰に電話をかけたい」というと交換手が相手方の回線にコードでつないでくれるという仕組みである
モンゾウはこのインターバルに耐えられず、あるとき「早くしろ、かわらけ」と電話口で怒鳴った
かわらけとは土器と書く、それは恥毛がないという隠語で、つまり今でいうパイパンを指す
ハラスメントという言葉では手ぬるい
当時、家の外で働く女性、しかも電話交換手という技術職につく女性は一筋縄ではいかぬ気質の人が多かったのか「見えるのかよじじい」と、すかさず怒鳴り返した

妻亡きあともその実家への援助をつづけたモンゾウはまた、情にあつい人でもあった
彼は店の奉公人がへまをやらかしたとき、必ず奉公人が食事が終わってから叱った
叱られたあと落ち込んだ気分で食事をすると、せっかくのご飯がまずくなるという気遣いだった
「ご飯は終えたのかい」とモンゾウは奉公人に優しげに問う、終えたというとモンゾウは叱る、まだだと答えるとご飯が終わってからモンゾウに呼び出されて叱られる
ゆえに奉公人はモンゾウの「ご飯は終えたのかい」のセリフを聞いただけで震えあがったので、せっかくの気遣いも台無しだった


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