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母の話 - ビートたけし

母の方針で小学生の頃は視聴するテレビ番組が決まっていた

月曜日「クイズ100人にききました」
火曜日「それは秘密です」
水曜日「わくわく動物ランド」
木曜日「タイムショック」
金曜日「かっくらきん大放送」
土曜日「クイズダービー」
日曜日「象印クイズ ヒントでピント」

ときに「連想ゲーム」「霊感ヤマカン第六感」「世界一周双六ゲーム」などラインナップが一部入れ替わったり、追加したり、または戻ったり、新番組が始まるとそちらを試しに見てみることもあったが、いずれにせよ視聴するには母の検閲をパスする必要があった

パタリロは、バンコランがマライヒを押し倒したところで上映中止になった
「一般的な恋愛を知る前に、こういったことを知るのは」というのが母の弁である
当時の私の感想は「バンコランやらしー」ぐらいだったので、そう言われてもいまいちピンとこなかった

北斗の拳は「気味が悪い」の一太刀で斬り捨てられた
弟と、陰で母をハート様呼ばわりしたのは腹いせである

当然のようにドリフは見せてもらえず、そのため教室でひげダンスを踊っている男子を初めて見たとき、肩をイカらせふわふわしたステップを踏む別人のような動きに不安な気持ちになった

中学生になっても情報統制は完全解除に至らず「スクールウォーズをみんな見ているみたい」と言ったところ「不良の覇権争い(直訳:学校戦争)のドラマなんて」と言われた
大人になって見てみたが、スポ根大好きな夫がいちいち隣で号泣するのであまり集中できなかったのと、私が通っていたのは郊外の新興住宅地にある真新しい中学であり、ひどくのんびりしていたので、冒頭のバイクが廊下を走るシーンなどが非現実的すぎて思わず笑ってしまった

ひとり「パイン先輩」というのがいたことにはいた
髪型がパイナップルに似ていることに由来する
制服のズボンがやや太めであったり、ときに授業中校内をふらつくなどはあったものの、しかしパイン先輩が眉をひそめるような悪事をはたらいたという話は聞かない
卒業したあと原チャリで校庭に侵入する、という不良あるあるもあったが、在校生たちは窓辺に集まり口々に「パインせんぱーい」「パインせんぱーい」と声をかけた
パイン先輩はそれに軽く手をあげて応え、特にこれといった問題も起こさず校庭を走り去った
買ったばかりと思われる赤いピカピカの原チャリの、軽いエンジンの音が埃っぽい校庭の空に残り、やがてそれに、カンカンとかギーとかいうどこかの大工仕事の間延びした音が重なった
角材を振り回すとか、すぐ殴るとか、スナックに入り浸るとかいうのはあまりに突飛すぎて、私にはコントのワンシーンに見える

いつ頃からだろうか、母はビートたけしのファンになった
毒舌で、「おねえちゃん」が好きで、はちゃめちゃなたけしを母はなぜかとても気に入った
「わくわく動物ランド」は「たけしのスポーツ大将」にとってかわり、クイズ番組中心だったラインナップに「風雲!たけし城」「天才たけしの元気がでるテレビ」「スーパージョッキー」などがくわわった

たけしの映画もだいたい見た
たけし映画の音楽はたいてい巨匠・久石譲なのでいろいろなところで耳にする
したがってたけし映画の音楽の記憶は大抵CMやバラエティのVTRのBGMに上書きされてのっぺりしていくのだが、こないだ本当に久々に、キッズリターンのメインテーマを聞いた

その瞬間、母とこの映画を見た記憶が、レースのカーテンの向こうの明るさとか、コーヒーカップをテーブルに置く音とか、昼下がりのリビングの時計の針とか、そういったものが、あとからあとからわきあがった
駅からの帰り道、イヤホンから耳に流れ込んできた音楽に、信号待ちをしていた私は、エンドロールをリビングのソファに母と二人で並んで座って見た、あのなんでもない空間に一瞬で引き戻されていた
二人乗りの自転車で母校の校庭を走るあのシーン、不良あるある
いい映画だった
面白かったね、と心のなかで母に話しかけた
いい映画だったよね、と言う相手がもういないのが、これほど寂しいことはなかった

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