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スピッツは夜「「「を」」」駆ける

 気付けば今年も終わりが近いですね。2020年はどんな年だったでしょうか、という挨拶が定番になりつつある年の瀬。思い返せばこのnoteを開設したのも今年でした。初投稿【さざなみCD】は3月、それ以降ほぼ毎月のように続け、なんだかんだ十数回も投稿しているようで。最近はもっぱら【読了リスト】を週1で更新するばかりで、新規投稿は2ヶ月も止まっていました……
 というわけで年末に慌てて書きました。2ヶ月半ぶりの更新です。本来であれば1年振り返りとかをすべき時期だが、就活とニート生活しかしていない1年に振り返るべき事柄も無いので、全然違う話をします。……ここまでですでに前書きが長い。

 今年最も流行った曲は何か? というテーマは、各所の音楽番組で各々が独自のランキングを作っては似たり寄ったりな結果を示している。音楽をよく聴いている人であれば個人的ベスト曲なんかもあるだろう(ちなみに今年の私が1番聴いた曲は【「僕らだけの主題歌/センチミリメンタル」】です)。
 しかし私はあえてこの1曲を挙げたい。

 【夜に駆ける/YOASOBI

 CMや音楽チャートで何度も聴いた人も多いのではないだろうか。年末の紅白にも出演が決まっているYOASOBIの『夜に駆ける』。
 なぜこの曲か。理由は単純。
 めちゃくちゃ好きな曲とタイトルが似ているから、である。
 そう、私はここから「夜を駆ける」の話をします。本題に入るまでがほんと〜に長いわね。

 私が「夜を駆ける」と出会ったのは忘れもしない、2014年の【FESTIVARENA】だった。その当時の印象は引用元記事参照ということで割愛するが、まあそれはそれは、今風に言えばライブ映えのする曲で、たいそう気に入ったのだった。その後、友人に誘われて初めてカラオケに行った時に「なんでもいいから好きな曲入れて歌いなよ〜」と言われてこの曲をチョイスするくらいには好きだった。リズムの取りにくい冒頭部分や全体的にしっとりとした曲調で、その場にいた友人たちを困惑させたのは言うまでもない。
 言うなれば、もう6年間も想い続けている相手なのである。それが!

 こんな風に扱われていたら流石に思うところがあるというもので(Google検索結果のスクショでごめんね)。「夜を駆ける」について知りたかったら「夜を駆ける スピッツ」と検索しなきゃ出てこない世の中じゃ…… という思いから、このクソ長noteを書いているのです。ただ、他者を攻撃したり貶めたりするのは性にあわないので、とにかく自分の好きなものについて語る回にします。


 まず最初にこの曲の概要をば。
 2002年リリースのスピッツ10枚目のアルバム『三日月ロック』に収録されている曲で、シングルでもなくMVも無い、いわゆる“アルバム曲”という位置づけである(リリースから数年後にタイアップとしてアニメ挿入歌になっいたらしいが)。MVが無いので便宜上、サブスクへのリンクを置いておく→【Apple Music
 このアルバムに関しては好きな曲も多いし、それぞれの曲で1記事ずつ書けそうなレベルだが、ここでは置いておく。「夜を駆ける」はそんなアルバムの1曲目の曲であり、アルバム中最も長い曲でもある。

 ここからは冒頭から順に、歌詞解釈も含みながら好きな点を挙げていく。歌詞も引用しておくので、もしお暇でしたら再生しながら読んでいただければ。

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 まずは前奏。「始まるよ感」があると思ってるんだが、徐々に音量が大きくなっていく。
 そして最初のフレーズ

研がない強がり 嘘で塗りかためた部屋

「研がない強がり」っていう表現、今も昔もここでしか聞かない。「研ぐ」はその字のとおり、石や金属や米など、硬いものに使う語であるだろう。それを「強がり」という名詞にくっつけるというのがまず珍しい。スピッツらしい、“日本語にないコロケーション”だと感じた。しかもここは「強がり」と「部屋」(もしくは「嘘」)を並列にしていると見れる。一聴ではすっと入ってくるのに、深く考えてみるとよくわからない。これも一つのスピッツらしさではないかと思う。

ここは歌詞が難しいだけではなく音もリズムも取りにくくて、カラオケで入れてすぐ後悔した。マジで歌えないのよ。

抜け出して見上げた夜空

昔から過保護に育てられてきた自覚はあって、“部屋を抜け出す”みたいなテーマは結構好きです。それが夜というなら尚更、憧れというか羨ましさがある。もういい歳なのによ…… まだその気持ちは消えてないです。

よじれた金網をいつものように飛び越えて
硬い舗道を駆けていく

「よじれた」ってどういう意味なんだろ? 捻れたとかよれたとかとは違うのかしらね…… 単にフェンスのことかしら?
あと、“金網”ってことはどこか簡単に出られないところに入れられている? 過保護? 監禁? とか考えてしまう。いやーストーリーが深い! っていうかディープかもしれん!

“硬い舗道”ってことはある程度都市化された街で時代は近代以降、と読める。

似てない僕らは細い糸で繋がっている
よくある赤いやつじゃなく

この歌詞、ずっと大好き。運命の赤い糸じゃない、でも何かで繋がっている、ってなんか素敵だなあって。運命じゃなく後天的なもの、つまり自分から掴みにいったものって感じがして、相手への思いの強さが見える気がする。

落ち合った場所は大きな木もざわめき やんで
二人の呼吸の音だけが浸みていく

夜に部屋を抜け出して街中を駆けて会いに行く、っていうストーリーがここまでで見えてくる。

君と遊ぶ誰もいない市街地
目と目が合うたび笑う
夜を駆けていく 今は撃たないで
遠くの灯りの方へ駆けていく

サビで分かることがいくつかある。まず、市街地ってことだから、ある程度の都市であるということ。
にもかかわらず“誰もいない”ということは、他者が見えないくらい2人は夢中になっているのだろう。目と目が合うたび笑うくらいだからね。

問題はこの次の歌詞。“撃たないで”と物騒な言葉と懇願。そこで初めて、この物語は人間の話ではないのか? という可能性に思い至る。
“駆ける”という言葉、確かに馬とか陸上を走る動物に使うものかもな、と後から気づくのだが、
 金網=ペットか檻か罠?
 誰もいない市街地=ヒトの活動時間ではない?
 などなど。

壁の落書き いつしか止まった時計が
永遠の自由を与える
転がった背中 冷たいコンクリートの感じ
甘くて苦いベロの先 もう一度

夜だから寝転んだらコンクリートも冷たいのかなあ、季節的には秋冬とかかなあ、というかコンクリートに寝転ぶの痛くない? とか考えたけど、ヒトじゃない可能性を考慮するとなんとも。
ここで注目するのは“甘くて苦いベロの先”
舌の味覚でいうと先の方は甘味を感知するエリア。

でたらめに描いたバラ色の想像図
西に稲妻光る

“バラ色の想像図”って、おそらく自嘲を含むのかなって。だって、自信を持った未来なら自分でバラ色って言わなくない? どこかでその想像図が現実とならないことを分かっていながらも、バラ色であってほしいという思いを消しきれていない感じ。
その想像図を嘲笑うか、未来の雲行きの怪しさを暗示するかのような稲妻。

夜を駆けていく 今は撃たないで
滅びの定め破って駆けていく

撃たないで、という懇願は1番と変わらないのだが、ここではさらに「滅びの定め」というワードまで現れる。
動物なら絶滅危惧種とかのことだろう。では、人間社会で考えてみたら?王族とか経営者一族とかだと滅びを恐れるかな。

君と遊ぶ誰もいない市街地
目と目が合うたび笑う
夜を駆けていく 今は撃たないで
遠くの灯りの方へ駆けていく

ラスサビは1番サビと全く同じ言葉を繰り返す。唯一違うのは、最後「駆けていく」という言葉を何度も繰り返すところ。名残惜しさなのかと思っていたが、“滅び”というワードから、「彼ら」の最後の望みか叫びなのかとも思える。


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 ここまで、歌詞を全引用して長く思い感情を書き並べてきたが、今回の趣旨は「多くの人に『夜を駆ける』を知ってもらおう!」です。なので、誰かがこの曲に興味を持ってくれればそれでいいんです。

 これは曲の中身とは全然関係ないんですが、こんなタイトルの記事にしておきながら、スピッツは夜を駆けるのか? という疑問も浮かんできて。去年SONGS出たときにテツヤがすぐ眠くなっちゃう話してたな? とか、歳だから昼まで寝てられないって言ってたな? とか思い出した。今から18年も前に世に放たれた曲なんだから今と状況は違うんだ、というのは理解した上で、なんとなく、スピッツは夜に外出するのがあんまり似合わない人たちだな〜 と思うなど。

 さて、以上が曲に対するラブレターでした。最後に、今年の私とスピッツについてちょっとだけ。
 毎年大阪Zepp Nambaで開催されるスピッツ主催のイベント「ロックロックこんにちは!」が今年は中止となった。私は大学進学で関西に出て以来、毎年参加していたイベントだっただけに、ショックはなかなかに大きかった。個人的には関西にいるのが今年で最後だったため、両日参加も検討していたのもあって、割としばらく凹んだ。
 例年、スピッツはアルバムリリースツアーやファンクラブツアーなど(アルバムツアーだと年またぎもあるけど)を毎年回り、いつも1年に1回は会えるようにしてくれている。さらに大阪や東京や東北では夏にライブハウスイベント(前述のロックロックなど)を開催するため、うまくいけば年2回はスピッツのライブに行けるのだ。それが今年はツアーは年始のアルバム『見っけ』リリースツアー大阪公演のみ、夏イベは中止となり、ライブの本数自体が少なかった。そんな中、城ホール公演に行けたことは運が良かったし、しかも席も近かったので、相対的に見たら恵まれたスピッツ経験をできた立場である。
 とはいえ、行く予定にしていたツアー別公演は来年に延期だし、大好きな夏イベも中止だし、私にとっては少なからず喪失感のあった1年だった。
 そんな日々の中で、口をついて出るスピッツの曲は、なぜだか分からないが「夜を駆ける」だった。初めて見たものを親と思い込む習性と似たものかもしれないが、やはり初めて生で見たスピッツが歌う曲は、何年経っても忘れることは無いし、自分にとって大事な、意味のある曲になっている。ちなみにこの曲、初めて行ったFESTIVARENAと、その次に行ったTHIRTY30FIFTY50でも披露されていたようだ。生で聴いたのは2回だけど、それ以上に思い入れがあり、勝手にライブ定番曲だと思い込んでいる節がある。そして何より、個人的ベスト口ずさみやすいソングでもある。多分一生好きでい続けるしふとした時に歌い続けるんだろうなあ。


 私が望むことはただひとつ。これを読んだあなたが、「夜を駆ける」のことを知ってくれますように。あわよくば「スピッツ 夜を駆ける」でGoogle検索してくれますように。最終的には、「夜を駆ける」で検索して一発でスピッツが出てくるようになりますように。
 そうでなかったとしても。世界が「に」だと言っても、私は「を」だと言い続けるよ。

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