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中嶋真澄『エニアグラムー性格と本質ー』

なんやかんやで、エニアグラムもののビューが集まる私の記事。先日、あまり出ないエニアグラム本の新刊が出たので購入。しっかりと読めたというわけでもないのだが、今の段階で簡単にまとめたものを記事にしてみたい。

作者が自身のyoutubeで売れる本ではなく、書きたいことを書いたと言っていたと思うので、かなり独自色が強く挑戦的な内容なのかなと思いながら読んでいたが、本書の中にも「リソ・ハドソンの理論を踏襲(p.31)」あるとおり、基本的には自分を知る9つのタイプの基礎編・応用編の内容(9タイプ・3つ組・発達の諸段階等)をぎゅっとまとめたような内容だった。

ただし、センターの話やコラムでグルジェフが、囚われの話の中でナランホとイチャーソが登場する。そういったところからはリソ・ハドの理論を起点にして広がりを持った説明したいという筆者の意欲を感じる。補遺やコラムもそのような狙いがあるのだろう。

以下は私が気になった著者の主張を抜粋してみたい。

生物でも無機物においても、何かを理解しようとするとき、それについてのたくさんの事例やサンプルを集め、似ているものとそうでないものとを分け、比較してみるということが行われます。物事の理解の初めは、分類することにあります。
そして、人を類型化してとらえることは、「人間とは何か?」を理解することの初めです。

p.34-35

これらの感情的な囚われ(パッション)は、そのタイプにのみ生じる感情というわけではなく、誰の心の中にも湧き上がる性質のものです。ただ、一人の人の心の内には、繰り返し同じような感情の囚われが生じることがあり、これと比べると他の感情の囚われそれほど強くなく、あまりなじみのないものである場合もあります。

p97-p98

健全度を上げるためには、自分自身を内観し、前の章で挙げた三つのセンターに意識を向けるなど、実践的な取り組みが必要になってきます。

p163

自分の心の中に沸き起こるエニアグラムで言うところの囚われを内観することが健全度をあげるために重要で、わきおこる様々な囚われを認識するためにエニアグラムは有益だということなのだろう。最近ネット界隈でもよく耳目にする話である。

ゆえに、ネットでタイプを診断して、「このタイプかなー。」「このタイプじゃないかなー。」と煩悶するだけでは本質的な話ではないですよということが、帯にもある通り「タイプ論」を越えてという筆者の主張だろうと感じたところだ。

基本的にはリソ・ハドの理論を他の系譜にある理論を紹介しながら、しっかりまとめた本だと思う。この手の本は自分のタイプの所だけ読みがちだけれど、筆者の主張に寄り添えば、自分の心の中に起こる囚われの全体像を知るために他のタイプのところも流し読みでもいいから目を通す必要があるのだろう。

それにしても、ネットで一通り知識を得た人をターゲットにしているのだと思うが、それにしては価格設定が・・・と思ってしまう。


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